最近、原稿を書いていて間違いが多い。何かに追われるように出かけては、奥歯をかみしめる日々が続く。なぜかみしめているのか、わからない。ゆとりがないので、余計な力が入っているのかもしれない。つまるところ、風に吹かれる爽快感が、書いているものから感じられない。
と、自分の書いたものに文句を言っても仕方がないのだが、ここで考えた。1月5日にはマダガスカルへ移動する。1月3、4日をどう過ごすか。
今までの流れでいけば、フランス領のマヨットに行って、取材をするのが王道だろう。領土問題を書いてきたのだから、コモロを離れた側の反応をとるというのは、新聞記事ならば必要なことだ。
ただ、意外と移動の便が悪く、飛行機の席がとれたとしても、向こうに昼過ぎに着いて翌早朝に戻らないといけない。そんな短い間に言葉もできずに何ができるかというのが問題だ。それに領有権だの、「生活か自由か」だの、にわか取材で書き散らしただけでコモロを後にするのも寂しい気がする。
ここは記事的整合性はさておき、コモロの別の面にも目を向けてみよう。しかつめらしくやっているから、だめなのだ。高杉晋作ではないが「おもしろきこともなき世をおもしろく」でいこう。と、わけのわからないことを思う。
せっかく島に来ているので海に出たいところだけれど、前夜から急に風が強くなり、波が高く天気も不安定だ。手伝ってくれていた観光業者の青年が「素晴らしい場所に案内しますよ」と誘うので、自然の中で風に吹かれて歩いてみるかと思った。そう、ずっと車にばかり揺られているし。
島の北部の熱帯雨林を回る4時間の短いコースに行くことにした。観光気分の小旅行は「ナイルの源流」以来だ。いけない、しょぼい旅行を思い出しては。
小さな島ながら走ってみるとかなりあるもので、1時間以上かけて島の北部、700メートルの高さまで上ってきた。あいにくの曇り空だが、風は涼しい。村のはずれで、車を降りた。
いよいよ、マウエニの森に入る。なぜこんなところを、と思う急な沢のような筋を登り始める。少しわくわくする。周囲の巨木からは水が滴り落ちてくる。今朝方降った雨で、土が緩んでいる。
熱帯雨林をのんびり歩くという風情ではない。両手も使わないと登れない。先行していた若い男女のグループが、途中であきらめて引き返してくる。足をすべらせ、3メートルほどずり落ちた。「ピクニック気分の中年が遭難」の見出しが頭に浮かぶ。大げさだけど。ズボンと靴が泥だらけになる。
せっかく涼しいところに来ているのに、あっという間に汗にまみれた。20分ほどすると、沢筋を抜けて土の道に出た。なんだ、歩ける道があるんじゃないかと思うけど、息があがって何も言えない。
そこからは二足歩行で順調に登れる。というか、何だか変だ。熱帯雨林というけれど、バナナの林があるし、レモンの木も植わっている。柵があって、バニラのつるが結わえてある。ジュースの缶や、大きな巻き貝まで落ちている。
ついにはメイズ畑に出たところで、おじさんが草刈りの刃物を持って現れた。そこから、下界が見渡せて、吹き上がる風で体が一気に冷やされる。標高は800メートルを超えているので、約100メートル登ってきたことになる。
「さあ、戻りましょう」とガイドの青年が言う。えっ、あと100メートルも登れば頂上なのに行かないの? 「向こうの山に移ります。あっちからでないと、下りられませんから」。確かに、さっき登った道を下りるのは無理だと思われた。
釈然としないまま、後に続く。ガイドは途中、野イチゴを摘んでくれたり、レモンをもいでくれたりするが、うれしくない。
つまり、最初の20分の登りがほぼすべてだったということだ。すえた汗のにおいを放ちながら車に戻り、モロニに帰り着くとちょうど4時間たっていた。歩いたのは1時間だけ。久しぶりの運動で疲れはしたけれど。
コモロの素晴らしい自然を紹介する意気込みだったが、それは羊頭狗肉(ようとうくにく)のそしりを免れない。あえて記事にはしたものの、一日を失ったという気持ちが強い。残る1日の過ごし方が問題だ。果たして、巻き返せるだろうか。
いやいや、そんな風に考えるのがいけないのだ。あしたはあしたの風が吹く、ということにしよう。

61年生まれ。社会部をへて00年代、ナイロビ、ニューヨーク支局に勤務。バルカン半島、中東、アフリカ各地の紛争取材を経験しつつ、小心さは変わらない。動作が緩慢でのんきに見えるが、気は短い。趣味は散歩。しばしば二日酔い。だめトラファン。