1日遅れで6日、アンタナナリボに着いて、日曜日だったので何もできなかった。7日、まずは携帯電話のSIMを買って、いくぶんかのドルを現地のお金アリアリに換える。
これでいくつ目のSIMだろう。実は、日本から持ってきた会社の貸与携帯も、ナイロビの携帯もここでローミングできるので、SIMを買うのはよそうかと一瞬思った。
手伝ってくれる英語使いを探すため、いくつか心当たりの番号に電話してみたところ、通じない。現地の電話がやはり必要かと思った。でも、現地のSIMを手に入れてかけても通じなかった。記録していた番号が変わってしまったのかもしれない。後でわかったのだけど、契約している携帯電話会社が違う電話にかけると、極端につながりにくくなるようだ。
らちがあかないので、ホテルの近くにあった旅行会社に英語のガイドを紹介してくれないか頼みにいった。そんなサービスはしていないと言われたが、親切な人がいて心当たりを当たってくれた。
昼過ぎにその英語使いの青年がホテルまで来てくれた。アメリカで学び、英語を教えていたこともあるという明るい二枚目で、交渉の結果、いっしょに働いてくれることになった。
手伝ってくれる人たちには、必ず「どういうことをしているのか」と尋ねられる。いまだにうまく説明できない。「風に吹かれている」と正直に言うことがあるけれど、言った先から馬鹿のように思えてくる。
「具体的に、どこへ行って何をしたいか」とも聞かれる。「特に決めていない」と最初は答えることが多い。そのうち、あそこに行きたい、次はこっち、となるものだから「もっと早くに言ってくれれば」と不平を言われることもある。
今回は、できれば2002年当時のもう一つの首都トゥアマシナにも行きたいが、確か当時は2日がかりだった。すでに4日しかないので、行けるかどうかわからない。
アンタナナリボにいたのでは、全体は見えてこないだろう。ここでは新しい大型ショッピングセンターが次々とできている。でも、治安は悪化し、国の南部では武装強盗が横行、半強制的な子どもの労働も問題になっている。
手伝ってくれる青年は、09年のクーデター騒ぎ以降、暮らしはかつてないほど苦しくなったと話した。
前日、眠いのをおしてホテルの周りを散歩したのだけれど、「危ない」と思った。単なる勘なので現地の人たちには申し訳ないのだが、いつもは持って歩く財布をホテルの部屋の金庫にしまい、何かあっても困らない程度のお金をポケットに入れて出た。
きょうのところはもう午後なので、首都の中心部周辺を、昔とどう変わったのか見て歩くことにした。古い大統領府や官庁のある丘から見渡すと、アンタナナリボの建物は急勾配の三角屋根でどこかフランスの山小屋と英国風が混ざったようなものが多い。階段を下りるとそこはかつて大きな市場ズマが開かれた場所になる。ズマとは金曜日という意味らしい。
今はパラソルの店は少なくなり、建物の中と周辺で様々なものが売られている。魚市場にはウナギやエビが並んでいた。ウナギが少なくなったとき、マダガスカルから輸入したという話が朝日新聞に載っていた。マダガスカル産のエビは、長く日本の食卓を支えてきた。
ズマから独立広場へ向かう。02年に来た時は戒厳令の中ということもあったのか、いまほど人はいなかった。09年のクーデター騒ぎ後も一時、観光は冷え込み、回復に2年ほどかかったという。
公園やちょっとした緑地が、柵で囲まれているのが目立つ。デモができないようにしているらしい。道路を渡って歩道を歩いていたら、10歳前後の少年が灰色のハンチング帽を差し出してきた。お金をくれということらしい。
その灰色のハンチングが心に残ったのは、何だか場違いな気がしたからだけではない。取り合わずに歩いていると、仲間と思われる少年たちが「ボス」とか「ミスター」とか言いながら次々と帽子を差し出してきた。無視してジグザグに歩いたが、どんどん体を寄せてくる。
これは危ないと思ったけれど、蹴ったり殴ったりするわけにもいかない。カメラを首からかけていたのと、両方のポケットにドルとユーロとアリアリと合わせて4万円ほど入っていたので、カメラを片手で押さえ、ポケットに手が伸びてこないようにしながら急ぎ足に歩いた。ガイドの青年は「カメラに気をつけて」と英語で叫びながら子どもたちにどけと怒鳴っている。
突然、10人以上いた子どもが四方に散った。
サファリジャケットの右胸のポケットにナイロビの携帯電話が、左下のポケットに会社からの貸与携帯が入っていた。両方のポケットともボタンがかかっていた。全く気がつかないうちにあけられ、2個の携帯電話が盗まれていた。
右下のポケットにはパスポートが、左胸のポケットにはGPS装置が入っていたが、無事だった。「鮮やかなものだなあ」と妙に感心した。これは「二都物語」じゃなくて同じディケンズの「オリバー・ツイスト」だ、と頭をよぎった。
連中は常習犯に違いない。つまり、周りにたたずんでいた大人たちは、知っていてただ見ていた。少年たちが携帯電話をさばけるわけではないだろう。携帯電話そのものなのか、その中のデータなのか、それとも「送金機能」なのかわからないが、そういうものを求めて子どもたちを利用する大人がいる。
盗みが身に染みついて道を踏みはずしてはいけない。こんな町で届けたところでどうなるものではないことは明らかだけど、被害者の義務のように思えて警察に届け出た。
アフリカに来る前にみた映画「キリマンジャロの雪」の影響かもしれない。被害を乗り越えるということを、この映画は描いていた。まあ、今回はそんなたいそうなことではないけれど。
「危ない」と感じたのは正しかった。クレジットカードなどの入った財布を置いてきてよかった。「危ない」と思ったのなら、カメラをぶら下げて歩くなどもってのほかだという内なる声はこの際、聞かなかったことにしよう。
そうそう、GPSの位置情報の登録をすっかり忘れていたので、今回はこれを書いているホテルにて、ということで。

61年生まれ。社会部をへて00年代、ナイロビ、ニューヨーク支局に勤務。バルカン半島、中東、アフリカ各地の紛争取材を経験しつつ、小心さは変わらない。動作が緩慢でのんきに見えるが、気は短い。趣味は散歩。しばしば二日酔い。だめトラファン。