「アフリカの風に吹かれて」というより、アフリカの「べからず集」になってきた。ちなみにディケンズ原作の「二都物語」は70年以上も前に映画化されてアカデミー作品賞の候補になり、「オリバー・ツイスト」の方はミュージカル映画「オリバー!」として作品賞を受賞している。
気を取り直すのもなかなか難しい。8日は早朝にアンタナナリボを出発して、東へ向かった。郊外に出ると、岩の多い丘の間を水田が埋めている。まだ青々とした田が多い。もう収穫しているところもあった。
アンタナナリボは標高1200メートルほどにある。ここからだんだんと下る。欧風のしゃれた家が、土色の素朴な家に変わってゆく。木材と炭に使うユーカリや、松の植林が増えてくる。
時折、マダガスカルを象徴するタビビトノキが、手招きするように揺れている。「木というけれど、本当はゴクラクチョウカの仲間だ」とガイドの青年が説明する。
中部の町ムラマンガに着く。ここは1947年、マダガスカルの人たちがフランスの支配に抗して蜂起した時、列車の中にいた多数の人がフランス軍に銃撃されて殺された場所だった。
その郊外のアンバトビーに、住友商事が開発に参加するニッケル・コバルト鉱山がある。世界最大級のニッケル鉱山・精錬所が本格稼働を控えているというので、行ってみようと安易にやってきた。
砂利道を車で走れば毒蛇が道を横切る。すっかり木のなくなった丘をいくつか越えるとゲートがあって、ここから先へは事前の許可がないと入れませんと言われた。まあそうだろう、普通は。
ムラマンガの町に出先事務所があるというので、そこへ戻ってみると、入り口にフランス語やハングルとならんで「ようこそ」と書かれている。鉱山を見るには1週間前に連絡する必要があると言われた。代わりに、概要のビデオを見せてくれた。
鉱山から採取された赤土は、水と混ぜられて直径60センチほどのパイプラインを通り、220キロ先のトゥアマシナの精錬所に送られる。1トンの原料からとれるニッケルは10キロ、コバルトは1キロだという。
希少な動植物の宝庫というだけでなく、住民の移動も伴う大事業だ。いずれフル稼働すれば年間6万5千トンのニッケルと6千トンのコバルトがトゥアマシナ港から世界へ輸出されるという。これが携帯電話の電池やガラス製品から、飛行機の機体やエンジンに使われる。
鉱山を見ることができないのでは、どうしようもない。近くにアンダシベ国立公園があるというので、そちらに移動する。いくら風に吹かれてとはいえ、ただ国立公園を訪れたのでは観光だ。何か最近、変わったことはないのかとガイドの青年に尋ねると、その国立公園の外側に、地元住民が主導で開いた公園があるという。
アンダシベ国立公園820ヘクタールと隣接して、その名も「村の公園」、50ヘクタールあまりがあった。2009年に始めたという。2時間で2万アリアリ(約800円)の入場料をとる。住人のガイド、クロード・ラコトアリベイロさん(43)がついてくれた。
運営主体はアンダシベの村の住人68人で、土産物屋も兼ねる運営事務所には住人5人が交代で働き、住人4人がフリーのガイドとして活動している。
公園に入ると、歩きやすいように土の道に石が置かれていたり、砂利が敷いてあったりする。住民が協力して整えたという。でも、そもそもなぜ住民同士がこんな公園を始めることになったのか。そう聞くと、国立公園を訪れる観光客のもたらす恩恵が十分に周辺に還元されていない、と感じたからだという。
そんな話より、雨が降りそうだからインドリを探そう。そう言ってラコトアリベイロさんは早足になる。訪れる観光客の第一のお目当ては、このあたりで最大の原猿、白黒のインドリらしい。
観光目的でもないし、見つけてくれたとしても望遠レンズのないカメラとこの腕で木の上のインドリをとらえるのは無理だろう。そもそも、動物の話は取材しないと言っていたはずだった。と、もごもごとつぶやくのだが、一生懸命に探してくれるのが申し訳なくて、気持ちを高ぶらせようと努める。
森の中には、セミの声がする。アブラゼミのような、抑揚のない声だ。今回、アフリカに来て初めて聞いた。鋭く鳴くオウムと、野太く鳴くオンドリと、か細いカエルの鳴き声に、近くを走る車のエンジン音が聞こえる。
そこに、インドリのほえるような通った声が聞こえた。ラコトアリベイロさんは道を外れ、枝をくぐって探す。必死に続く。またしても、靴とズボンが泥にまみれる。51歳、きょうも泥んこ、ではしゃれにもならない。
さすがだ。インドリ一家を見つけた。最初にいたのが、子どものメス。次に現れたのが父親と子どものオス。母親は雨が降りそうなので、ねぐらの確保に行っているのではないか。というのがラコトアリベイロさんの見立てだ。
雨が降り出した。雷も鳴っている。
写真は撮ったものの、はるか木の上なのでとらえられたかどうかわからない。インドリは縄張りがあって、たいがい一家で動いている。地元でラミと呼ぶ木など、十数種の木の葉を食べるのだという。
もういいかと言われたので、大きくうなずく。戻るのかと思ったら、さらに林を分け入って、今度はチャイロキツネザルを探すという。雨が強くなってきた。
さほど時間を置かず、見つけてくれた。これまたさすがだ。でも、今度のはじっとしていない。こちらがラコトアリベイロさんに追いつくと、身を翻して移動してしまう。息が荒くなる。
それで、そもそもあなたはなぜガイドになろうと思ったのですか。そう尋ねると、「今も農業をしていてコメや野菜をつくっている。お金に困って、一時、木の伐採に手を染めようとしたけれど、思いとどまってガイドになろうと思った」「私が子どものころは、マダガスカルの言葉で教育を受け、英語やフランス語を学ぶ機会がなかった。だからガイドになるには2年間、両方の言葉を学ばないといけなかった。09年に公園ができたときから運営のメンバーだったが、ガイドになったのは昨年からだ」。そう英語で話した。
森林伐採からエコガイドへ。心を入れ替える大きなきっかけがあったのだろう、きっと。「いや、周りは保護された森林だったので、監視が厳しくて、木の伐採はとても無理だと思ったから」とラコトアリベイロさんは笑った。

61年生まれ。社会部をへて00年代、ナイロビ、ニューヨーク支局に勤務。バルカン半島、中東、アフリカ各地の紛争取材を経験しつつ、小心さは変わらない。動作が緩慢でのんきに見えるが、気は短い。趣味は散歩。しばしば二日酔い。だめトラファン。