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マリへ向かってケニアの首都ナイロビの空港を飛び立った時と、マリの首都バマコに飛行機が着陸した時とでは、世の中が変わっていた。
16日午前10時、日本時間の午後4時ごろ、飛行機は遅れて飛び立った。西へ。5時間弱かけてベナンのコトヌーにいったん降りた。50分後に給油を終えて離陸、今度は少し北西へ進路を変える。
眼下に見える緑の量が減り、茶色が目立ち始める。約2時間後、バマコの空港に降りた。駐機場に着く前に、杉山正・ナイロビ支局長が東京とやりとりを始めた。飛行機に8時間乗っている間に、アルジェリアで日本人3人を含む人質事件が発生したと伝えられていた。
飛行機に乗るときに、思い描いていた追うべきニュースが、すっかり変わってしまっていたわけだ。
こういう時の特派員はつらい。状況がほとんどわからないまま、ふだんの蓄積をもとに何らかの原稿を期待される。空港に着いたのは、もう東京の朝刊の最終締め切りまで1時間ほどしかないという状況だった。
ちなみに、バマコで降りた時、ケニア航空のフライトアテンダントと地上スタッフに相次いで「ここはバマコよ。間違いない?」と尋ねられた。乗ってきたケニア航空機はこの先、セネガルのダカールに向かうので、降りる場所を間違えていないか、尋ねていたわけだ。
実際に降りたのは、ほとんどが見たところメディア関係者だった。マリの情勢の急変がなければ、これほど多くの乗客が降りることはないのかもしれない。
とにかく、締め切り時間が迫っていたので、入国審査と荷物の受け取りを急いだ。杉山支局長の携帯電話がネットにつながったので、空港でしばし情報収集する。迎えに来てくれた車に乗ってホテルに向かう途中、右の前輪がパンクしてしまった。
携帯電話を操作し続ける杉山支局長は焦りの色を隠せない。だれだってこの状況ならそうだろう。タクシーを捕まえてホテルに急ごうと言っているうち、5分ほどでタイヤの交換は終わった。
ホテルに着くと、杉山支局長はチェックインもせずにロビーで原稿を書いた。その原稿は送った分よりだいぶ短くなったが、ちゃんと東京の朝刊の最終版に載った。
お疲れ様、と言う間もなく、マリの国防省に向かう。今後、前線近くで取材するには、国防省から一筆もらっておいた方がいいだろうという判断だ。行きたい場所の手前の軍の検問で追い返されたという話や、時間を区切ってメディアの取材を許可しているという話が伝わってきたからだ。
だが、すでに午後4時を大きく回り、担当者は外出していた。明日、出直すことにする。この後、さらに東京とのやりとりで事態は思わぬ方へ向かうことになるのだが、その話は次の回以降に。そんなこんなで、悠然と流れる大河ニジェール川に目を留める間もなく、バマコを吹く風を実感する間もないままに、マリの初日は暮れていた。

61年生まれ。社会部をへて00年代、ナイロビ、ニューヨーク支局に勤務。バルカン半島、中東、アフリカ各地の紛争取材を経験しつつ、小心さは変わらない。動作が緩慢でのんきに見えるが、気は短い。趣味は散歩。しばしば二日酔い。だめトラファン。