18日は、もう何年もしていないことから始めた。新聞に普通のニュース記事を書くことだった。
アルジェリアの人質事件について、マリでどのように報道されているかという、記事の注文だった。杉山正・ナイロビ支局長は複数の原稿を抱えて忙しそうなので、及ばずながら取材にでかけた。
朝刊を想定していたので、取材時間は1時間しかなかった。新聞をたくさん売っている街角のキヨスクに行って、売られていた新聞を全部買った。たまたま自分の新聞を店に置きにきた編集長に、少しだけ話を聞いた。写真は中野智明さんがとってくれた。
買った新聞の記事のいくつかを訳してもらいながらホテルにとって返して、そのままロビーで原稿を書いた。午前10時過ぎには原稿を出し終えた。
それから前日までの記者登録作業を続けることになった。戦時下の取材活動だ。少しでも安全につながれば、手続きが長くて面倒でもありがたい。というわけで、情報が混乱する中、あっちに登録しにいったり、こっちを試してみたりした。
どこそこで追い返されたとか、何もなくどこそこまで行けた、という記者の体験談は矛盾しあっていた。それだけ、状況が刻々と変わっているのかもしれない。17日から18日にかけて、イスラム武装勢力が抑えていた2カ所の要衝が政府側に落ちたという情報が流れた。
そんなわけで、またもひたすら待つうちに一日は過ぎゆき、気がつくと金曜の午後4時半、登録に訪れた事務所の扉はバンと閉じた。もうこれ以上、できることはない。
一昨日から事務所の扉ばかり眺めてきたので、街の中心部を車で回ってみることにした。
マリに到着した日、空港に駐機された戦闘機、大型輸送機、軍用ヘリを見た。それ以来、戦争を感じさせるものを、街なかで見ていない。普通じゃないなと思うのは、朝日新聞も報道したフランス国旗の洪水だ。店先にかざした大きな旗から、オートバイのハンドルに挿した小旗まで、いたるところで目に入る。
それ以外となると、難しい。貧しい国らしく、道ばたには壊れそうな木の屋台が並び、隙間はごみが埋めている。物乞いも多い。マリ北部がイスラム武装勢力の支配下に入ってから、バマコでは砂糖や牛乳、ナツメヤシの実などが手に入りにくくなったという。
でも、交通信号がちゃんと機能しているところは、アフリカの大都市ナイロビよりはるかにましだ。売る物がなくて、空の屋台が並んでいるわけでもない。あまり関係ないかもしれないが、バイクのハンドルを握る女性がたくさんいるのは、アフリカのほかの国ではなかなか見かけない。
そのバイクにまたがるライダーの多くは、ヘルメットはかぶらなくても模様を施したマスクをしている。前にも触れたけど、マリを吹く風はとても乾燥している。その風に、細かく赤茶けた砂が舞う。外にいるだけで鼻、唇、目がつらい。
でも、その砂があればこその夕刻が訪れる。走る車も、ごみで汚れた道も、中東っぽい建物の数々も、すべて黄金に染めて、日が沈んでゆく。

61年生まれ。社会部をへて00年代、ナイロビ、ニューヨーク支局に勤務。バルカン半島、中東、アフリカ各地の紛争取材を経験しつつ、小心さは変わらない。動作が緩慢でのんきに見えるが、気は短い。趣味は散歩。しばしば二日酔い。だめトラファン。