21日は午前6時ごろに目覚めた。前夜、原稿を書きながら寝てしまった。
ジェンネのホテルは吹き抜けの中庭を囲む2階建てで、食事はその中庭でとった。真っ青な空の下、かび臭いパンにインスタントの紅茶をすする。床はコンクリートなので夜の冷気がこもる。音が響く。泊まっているのは、どうやら我々の一行だけのようだった。
前日、車で大変な思いをしたので、運転手2人にきちんと整備するように言って、そのわずかな間、町に繰り出した。
ここの町は、同じ世界遺産でイスラム武装勢力に破壊されていると伝えられるトンブクトゥとその昔、ニジェール川の交易でつながっていた。木が壁から突き出た砂のとりでのようなモスクを中心にした、小さな砂と泥の町だ。
世界遺産の情緒はたっぷりといいたいところだが、汚い。ごみがそこら辺じゅうに散らばっている。人々の生活の場という点では、ほかのマリの町と変わるところがない。そして、マリの町はどこもごみが散乱している。
きょう月曜は市場の日で、その設営が始まっていた。本格的に開かれるのは午後だとのことで、まずはモスクの前の広場のあちらこちらに穴を掘っていた。小さなテントを張る柱のための穴だった。
外国人観光客があふれていた紛争前とは様変わりしている、とガイドの男性は言う。日常のものを売る市場ですら、テントの数、人の数、品物の数が減っていた。
小タマネギとナマズの干物を並べ、野菜袋の上に腰掛けたラジ・トゥレさん(34)は、400キロ離れたクーチラの町から来ているという。
ここで小タマネギを売り、地元のナマズの干物を仕入れ、さらに商売の旅を続けるそうだ。と聞くと、フーテンの寅(とら)のようだと思う。ダメダメ、商売あがったりだよ。寅さん風に言えば、そういうことだった。
「フランス軍の攻撃を逃れるため、武装勢力は大衆の中に溶け込もうとしている。どこに潜んでいるかもわからないので、怖がって人が市場へ出てこない。ここにいても、不安は感じるよ」。客がいなくて品物が売れず、値崩れする以上に困るのは、ところどころで市場そのものが閉鎖になっていることだと話した。
杉山正ナイロビ支局長がたどり着こうとしているコンナも、武装勢力が制圧して以降、市場が開かれなくなった。フランス・マリ政府軍が奪い返したと伝えられるけれど、行かないのかと尋ねると、また寅さん風に言えば、それを言っちゃあ、おしまいよという具合に答えた。「行っていいなら、今からでも行くさ」
市場の一角でミレットのパンを焼いていた。タコ焼き器のような容器を炭火にかざしている。1個どうぞとくれたので食べると、すっぱみのあるクレープのようだった。お茶の葉のようなものが売られている。料理に使うバオバブの葉だという。
宇宙的というのか、記号的というのか、言葉にしがたいこのモスクの威容に圧倒され、オレンジや魚やごみや尿のにおいの混ざった朝の風に吹かれるのもいい。でも、今はそれどころではない。出発しなくては。きょうは前日、止められたモプティの検問所から先に行けるか、再び確かめることから始める。
そのはずだったが、全く別の方角にあるディアバルの町にマリ政府軍が入ったという情報が伝わってきた。ディアバルも武装勢力の手に落ち、攻防が続いた場所だ。
モプティに入ってもそこから先、コンナへ行けるという保証はない。方向転換してディアバルを目指すことになった。400キロ以上の道のりだ。
前日たどった道を戻り、セグーの町から北に折れて進む。前日からいったい何度、ニジェール川を渡っただろう。その橋を渡って進むと、いままで見なかった農耕地帯が広がっていた。 運河のような灌漑(かんがい)用水路と並行に道が走る。ディアバルまで日があるうちにたどり着けるか、微妙な時間だったが、行けるところまで行ってみようと先を急ぐ。途中のニョノにフランス軍の部隊がいた。バマコの空港以外で、初めて目にする部隊だった。
さらに進んで午後5時過ぎ、目指したディアバルに着いた。街道沿いを政府軍の兵士と車両が固めていた。この地をめぐる攻防と住民の生々しい証言については杉山記者のルポをぜひ、ご覧ください。23日付の朝刊(一部翌日)に掲載されたはずです。
すっかり暗くなる前には移動したいということで、杉山記者も写真を撮る中野智明さんも夕日と争って取材した。通訳がいないこともあり、こちらは2人の取材を横目に暮れゆく町を眺めていた。
政府軍の兵士が昼寝なのか、早い就寝なのか、横になっている。たらい飯を囲んだ兵士が「食べないか」と誘う。夕刻なのに、道ばたに女性たちが並べたレタスやトマトは、とりたての鮮やかな色だ。戻ったばかりの日常の表情があった。日常と言っても、政府軍が見張り、フランス軍があたりを警戒する中の日常ではあるが。
武装勢力の車両が空からの攻撃で破壊された現場は、無残な姿の車両を除けば民家の外塀が焦げた程度だ。車両の荷台をみると、攻撃の衝撃ではぜた銃弾やヘルメットの残骸があった。攻撃を受けるまで武装勢力の1人がかぶっていたのだろうか。
ピックアップトラックの荷台を改造して機関銃を据えた車両のすすけた車体に「AM」の新しいひっかき傷が白く残っていた。「マリ軍」の頭文字ではないかと、ガイドの男性は言った。
報道陣を取り巻くように、地元の人たちが車の残骸を見やっている。歓喜と呼べるような、はじけた表情の人はいない。ほっとして少し放心したような顔がある。不安がのそいているように見える顔もある。
午後6時を過ぎ、撤収する。残照が、用水路脇を列になって進む牛の群れを水面に映していた。ニョノの町にたどり着くと、あたりは闇の中だった。
ディアバルにメディアが入れたのはこの日からだったようで、多くのメディアがニョノのホテルに拠点を設けていた。町の中で良いとされるホテルはどこも満杯だと言われた。100キロ以上離れたセグーの町まで戻ろうとしたが、検問で追い返された。逆にディアバルの方角へ少し行ったところにあるホテルを目指そうとしたが、それも検問で止められた。
ニョノの町に、泊まるところもなく幽閉された格好になった。さらに安宿を訪ねたがそこも満員で、いよいよ車中泊かと覚悟を決める。と、運転手が知り合いのつてで泊まれる家を探してくれた。その部屋で、原稿を書いている。長い一日が終わろうとしている。

61年生まれ。社会部をへて00年代、ナイロビ、ニューヨーク支局に勤務。バルカン半島、中東、アフリカ各地の紛争取材を経験しつつ、小心さは変わらない。動作が緩慢でのんきに見えるが、気は短い。趣味は散歩。しばしば二日酔い。だめトラファン。