ニョノの町外れの民家で一夜を明かした。5部屋を7人で分けることになった。申し訳ないことに1人の部屋に入った。申し訳ないので、午前2時半ごろまで原稿を書いた。
すぐ前の民家によく鳴く牛がいた。ロバの哀れな鳴き声も響いていたが、それも夜が深まると消えていった。気がつくと蚊が迫っている状態だったので、蚊取り線香をつけた。
前日も線香をたいた。砂ぼこりのすごさと相まって、のどを痛めてしまった。鼻水も止まらない。ちょうど寝ようとしたときに線香が燃え尽きそうだった。迷った末に新しいのをつけて寝た。
起きると、部屋が雲の中のようで、まだ線香の煙が立ち上っていた。部屋の隅にはまだ飛んでいる蚊がいた。もう6時近いのに、外はまだ暗い。
朝はバタバタして、ニョノを後にしたのは10時ごろだった。これからセグーという街道筋の大きな町に出て様子を見ようということだった。それが、最初に入ろうとしたモプティに行けそうだということになって、予定を変更することにした。
広大な畑が広がる平原を走る。途中、バオバブやバナンの木が多く見えるところで、また車がパンクした。交換の間、中野智明さんとともにバオバブの近くまで行って写真を撮ろうとしたら、すぐに交換は終わってもう出発すると言われた。いいのか悪いのかわからないが、手慣れたものだ。
牛がたくさんいる。マダガスカルのようにこぶのある牛だが、マリの方がだいぶ貧相に見える。そう思って見ていると、マダガスカルやコモロと、ここの違いが頭に浮かんだ。
コモロやマダガスカルでは、悪いことの背景には必ずフランスがいるという陰謀説が流れる。フランスの影響から抜け出ようとして、それができない、いらだちが感じられた。
マリではフランス国旗が打ち振られた。マリの国旗は、フランス国旗に黄色をかぶせたようなものだが、その両方の旗を掲げ、蜜月ぶりを強調する人たち。救世主を迎えるように、マリは旧宗主国を迎えた。
牛の違いが、変なところへいってしまった。そうこうしているうちに、セグーの町に着いた。海外メディアがニジェール川沿いのホテルに陣取っていた。中野さんが知り合いの記者と情報交換をしている。前日にディアバルに入った記者たちばかりと見えて、張り詰めた空気がない。
モプティの手前で午後6時に検問が閉まるという情報が入ってきた。ここから400キロある。このままだと急いでもぎりぎりだ。パンクしたタイヤを交換しにいった運転手は戻ってこない。
とにかく、モプティに近づこうということで出発した。だが、途中のサンに着いたらもう4時半になっていた。きょうはここで泊まることにした。到着後に眠気覚ましにシャワーを浴びる。3日ぶりのシャワーだった。

61年生まれ。社会部をへて00年代、ナイロビ、ニューヨーク支局に勤務。バルカン半島、中東、アフリカ各地の紛争取材を経験しつつ、小心さは変わらない。動作が緩慢でのんきに見えるが、気は短い。趣味は散歩。しばしば二日酔い。だめトラファン。