中央アフリカでは、ほとんど外を歩きませんでした。一つにはとても暑くてすぐに汗みずくになってしまうこと、最初の日に荷物を狙われるような出来事があったこと、それに、待機することがとても多かったことがその理由です。
バンギの町を車で走っていて感じたのは、軍服姿がとても多いことです。市の中心部付近では、国旗をはためかせた南アフリカ軍のパトロールによく行き交いました。地方に出ると「FOMAC」の緑色の腕章をした中部アフリカ多国籍軍の兵士たちの姿をよく見かけます。周辺諸国から停戦合意の監視のために派遣された兵士たちです。
街なかには表向き平穏が戻っているものの、まだまだ手放しで安定しているとは言い難い状態にみえます。
中央アフリカは中部アフリカ諸国経済共同体(ECCAS)のメンバーで、共通のフラン紙幣を使っています。これほど混乱した国ですが、紙幣は比較的きれいでした。時々、おつりにカメルーンの硬貨が混ざったりしますが。
電気が夜間に止まってしまうため、夜ごと暑さで目が覚めました。毛布をはねのけて寝ていると、午前5時には電気がきて冷房が再開するため、今度は寒さで目が覚めます。いつもに輪をかけてぼーっとして日中を過ごすことになりました。
昼食はほとんどいつもインターネットが使える市の中心部のカフェでとり、待機場所としてもここを使いました。夜はホテルの近くの中華料理店ですませました。毎夜のように地元の中国人が集まっているのを見ると、中国のバイタリティーを感じます。日本の外務省のホームページを見ると、在留邦人は3人だけになっています。
つい先日、訪れたジンバブエに比べると、首都を離れて見える風景は全く違っています。ジンバブエは整然と開拓されています。これは長かった白人支配の名残といえるでしょう。中央アフリカは混沌(こんとん)としています。
道路を走っていて、村々を通り過ぎるとき、家の前に所在なげに座っている人や、仲間と語らっている人、作業をしている人たちを眺めます。すると彼らの多くも、手をとめてじっとこちらを見つめます。だから始終、ほんの一瞬ではありますが、目が合うのです。
車が通るということ自体、それほどないからかもしれません。警戒の意味もあるのでしょう。つい先日まで反政府勢力が首都に向かって進撃していたわけですから。向けられる視線を、温かく感じるばかりではありません。
どうということはないことですが、日本ではこういうことはないと感じます。道ばたにいる人の多くが、通り過ぎる車に乗った人たちをじっと見るということなどないでしょう。そもそも、道ばたでじっとしている人など、それほどいないかもしれません。
アフリカの多くの国では、それがあります。子どもが手を振り、走り、逃げる光景が、車の動きとともに展開します。
これをどう考えるか。何も考える必要などないのかもしれません。日本では忙しくて、自分の周囲に気を回す余裕などないでしょう。アフリカの村では、あまりに単調な時間が流れていて、それを崩すような出来事にみなが関心を寄せるのかもしれません。
でも、日本だって、昔はそうだったはずです。
余計な心配をしないで、自分たちの生活に専心できることを、むしろ喜ぶべきかもしれません。周囲を警戒しあう社会というのは、不健全に違いないのです。それでも、どこかで私たちは周りへの関心を失い過ぎているのではないかと感じます。繭の中に閉じこもって暮らすように。
でもまあ、車の内と外とで視線が合うかどうかでそれを論じるのは、いささか行き過ぎだとは思います。
最初の旅は、内戦さなかのソマリアでした。コンゴ、マリ、中央アフリカと訪ね、サハラ砂漠以南のおもだった紛争地はひととおり訪れたことになります。
この辺でひとまず旅装を解き、今後をどうするか考えたいと思います。その前に、ケニアで大統領選を眺めつつ、ほんの少しの時間を過ごします。

61年生まれ。社会部をへて00年代、ナイロビ、ニューヨーク支局に勤務。バルカン半島、中東、アフリカ各地の紛争取材を経験しつつ、小心さは変わらない。動作が緩慢でのんきに見えるが、気は短い。趣味は散歩。しばしば二日酔い。だめトラファン。