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09月22日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

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3・11 時が変えるもの、変わらないもの @ナイロビ

 ケニアの大統領選の投票が3月4日から5日にあり、きょう9日、やっと正式な選挙結果が出ました。

 この4日あまりは、不思議な日々でした。道路はすいて、店もすいて、ナイロビがナイロビではないようです。単なる旅行者からすれば誠に申し分のない状態でした。でも、その間、経済もいわば止まっていたわけで、ぎりぎりの生活をするケニアの多くの人たちにとっては、じりじりする時間だったに違いありません。

 10年ぶりにケニアに来たのが10月9日ですから、ちょうど5カ月になります。ブログなのか記事なのか、よくわからないものを書き続け、訪れた国は16カ国になりました。サハラ砂漠以南、「アフリカ特派員」にとってのアフリカの3分の1になります。

 最初に何となく決めていたのはソマリア、南スーダン、コンゴ(旧ザイール)という、アフリカ特派員時代もいまも紛争状態にある国を訪れることでした。戦場記者・カメラマンならともかく、「何となく」紛争国に行こうという人はまずいないでしょう。体力にも自信のなくなってきた中年には、正直、気も荷も重いことでした。

 世界各地にいる特派員は、伝えたい事柄にひたすら向かうため、その過程に起きる様々なことを新聞紙面では切り捨てています。そぎ落としている部分もまるごと書いたら面白いのではないかと考えて、このような企画を立てました。

 間抜けな失敗やうれしい出来事や、道ばたのふとした出会いは、ふだんは個人的な酒とともに流れてしまう運命にあります。新聞という器を考えた時、それはあるべき姿だと思います。でも、一方で一人のドジな記者が右往左往したり、悩んだりする様を正直に書くことで、ふだんの記事の後ろに隠れているものを少し浮かび上がらせることになるかもしれないと、偉そうですが考えました。

 心配はありました。明確な目的がないわけですから、「伝えたいこと」がはっきりしません。そんなあいまいな、のほほんとしたものを読む時間など、ふつうの人にはないでしょう。少しは取材する側が困難な立場にいなければと思って、紛争地やかつての紛争地を行き先として選びました。途中のドタバタは伝えたいことの一つではありましたが、途中からそちらの方が中心になってしまった感はあります。

 「アフリカの風に吹かれて」というタイトルは意識しました。引きずられた面もあります。タイトルも自分で考えたのですが、「かっちりとしたものは書けないだろう。寅(とら)さんのように風の吹くまま、風まかせ。それしかできない」と感じたからです。

 どういうわけか、最初の訪問地のソマリアから、毎日1本の原稿を書くようになりました。ブログは日記のようなものですし、毎日書くことで次の日に向かえた感じがしました。ためると、最終日に青くなる夏休みの宿題のようになると感じました。

 アフリカ特派員時代に感じたのですが、言葉というのは本当に怖いもので、出張に行って日本語と接しなくなると日本語が出てこなくなります。逆に英語は滑らかになりますが。ですから、久しく記事すら書いていない身には、毎日書くことは訓練のようなものでもありました。

 こちらに来て150日ほどで、いま書いているような言い訳じみた記事を含めると130本ほど書いています。そのほか、ツイートもしていて、ほぼ全部140字ぴったりにしてあります。つまり、だらだら書くのではなく、少し原稿風にまとめたつもりです。

 そう考えると5カ月にわたって毎日、何かしらの仕事をしていたわけで、それは普通かもしれないのですが、これまでのぐーたら記者生活からすれば信じがたい。何度も書いているように、粗製乱造のそしりは免れませんし、底の浅い記事ばかりだったとも思いますが。

 旅といえば、道を求めるとか、人生を問うとか、深みのある言葉と感じます。ですから、今回のは取材旅行という感じですが、それでも続けていくのはつらいものでした。

 なにより、こういう道行きは自分の醜さ、弱さと常に向き合わなければなりません。約束、時間、お金、いろんなことで接する人とせめぎ合う場面が生じます。そのつど、自分の狭量にへきえきします。

 若く柔軟性のある身なら、成長の道筋にもなるのでしょうが、すでに絵の描かれたキャンバスの身では、なかなか変わりようがありません。行く先々で明確な目標があれば、達成感がそのつど、悪い記憶を洗い流してくれるでしょうが、今回のような場合はそうもいきません。

 また愚痴っぽくなってしまいました。それでも、これだけの回数を続けてこられたのは、読んでくださった皆様に支えていただいたからです。深く感謝いたします。

 この5カ月の間、日本でもケニアでも、結果的に政権を変える大きな選挙がありました。どちらも勝利した方は確実に流れにのったようにみえます。でも、その流れは伏流を含んだより大きな流れの一部なのかどうか、いましばらく見なければわからないように感じます。

 日本ではあの3・11の際、私たちの暮らしや考え方の土台が激しく揺さぶられました。そこを一から考え直す大きな流れの中で私たちは再出発したように感じます。でも、その大きな流れは、いま見えにくくなっているのではないかと思うのです。

 ケニア大統領選では、ケニヤッタ副首相とオディンガ首相の事実上の一騎打ちになりました。もし仮にオディンガ首相が勝っていれば、部族を超えた票の流れがあったといえたでしょう。オディンガ首相はケニアでは少数派の部族を背負っているからです。でも、結果は逆に多数派連合を背景にしたケニヤッタ副首相の勝利になりました。

 ケニヤッタ氏は最大部族のキクユの支持を背景に、カレンジンを背負うルト氏と連合を組みました。この2人は2007年の大統領選後の暴動をめぐり、国際刑事裁判所(ICC)から訴追されています。外国によって追い込まれた状況がこの2人を強く結びつけたという見方ができます。

 移動中の車のラジオでケニヤッタ氏の勝利演説を聞いていて、そのことを思いました。ケニヤッタ氏が国際社会とこれからも協調していくと語った後に、次のようなことを言ったからです。国際社会もケニアの主権とケニア国民の民主的な意思を尊重すべきだと。その言葉に対し、ひときわ大きな喝采が聞こえました。

 国際社会の圧力に抗して当選したと言いたかったのでしょう。それに激しく反応する聴衆を思うと、ケニアの人たちの選択の背後にある、負の情熱とでもいうものを感じずにいられません。

 部族の対立、違いは、より大きな敵と対決する時には一時的に氷解する。ステレオタイプと言われるかもしれません。でも、欧米先進国の普遍的な正義による「圧力」は、大きな敵として部族同士を結びつける力にはなったはずです。その実、これからしばらく見なければ部族間の緊張や対立が薄らいだかどうかもわからないように思うのです。

 ナイロビで借りたアパートの前に、大きな木がありました。ここは標高が1755メートルあり、ナイロビでも高いところにあるのだろうと思います。11月でしたか、その木に雷が落ちたことがありました。

 木がありましたと過去形で書いたのは、ここ1週間でその木を伐採する作業が続けられたからです。ちょうど大統領選と重なって、動きの少ない時期に合わせたのかもしれません。

 1年前、ニッポン人脈記というコラムに岩手県の陸前高田市の奇跡の一本松について書きました。雪のちらつく高田の松原で枯れゆく一本松を見つめたことを思いつつ、アパートの前の大木の伐採を眺めました。

 1年という月日のもたらす変化の大きさと、変わりのなさを思います。

 今後、この企画を続けるかどうかはわかりません。再開するとすれば、少し違った形を考えたいと思っています。日本に帰って、その相談をします。

 本当にありがとうございました。

江木慎吾

プロフィール江木 慎吾(えぎ・しんご)

61年生まれ。社会部をへて00年代、ナイロビ、ニューヨーク支局に勤務。バルカン半島、中東、アフリカ各地の紛争取材を経験しつつ、小心さは変わらない。動作が緩慢でのんきに見えるが、気は短い。趣味は散歩。しばしば二日酔い。だめトラファン。

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