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08月18日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

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(オルタナティブ・ニッポン)第18共徳丸を、世界遺産に

写真:清水さんと第18共徳丸(左奥)=宮城県気仙沼市、魚住ゆかり撮影拡大清水さんと第18共徳丸(左奥)=宮城県気仙沼市、魚住ゆかり撮影

写真:マルトヨ食品からみた第18共徳丸=宮城県気仙沼市、魚住ゆかり撮影拡大マルトヨ食品からみた第18共徳丸=宮城県気仙沼市、魚住ゆかり撮影

■気仙沼市・清水浩司さん

「話そう、震災遺構」特設マップ

 今なお、宮城県気仙沼市の道路をふさぐ330トンの巻き網船。東日本大震災の津波によって、港から750メートルも離れた場所に運ばれてきたこの船を、被災地・気仙沼の象徴として、いや「世界遺産」として残したいと思っている。

 この2年、勤めている食品会社の倉庫屋上から毎日のように船を見てきた。

 この船の発信力はすさまじい。連日、多くの人が見物に訪れ、毎年、3・11前になればマスコミ関係者が押し寄せる。東日本大震災を語るとき、最もよく使われる「絵」でもある。

 この船がなくなったら、今の気仙沼にどれだけの人が来てくれるだろう。言葉は悪いが、これからの町づくりに必要なアイテムなのではないか――。昨春あたりから、そんな考えをSNSなどで発信してきた。

 外部の人々は賛同してくれた。地元でも、同世代を中心に賛成の人が増えた。

 だが、船がある地区では今も、高齢者を中心に「見たくない」という声が強く、船の所有者である福島県いわき市の会社は解体する意向だ。

 あの日、私は会社の3階から、繰り返し寄せる津波にのって、火のついた多くの船が行きつ戻りつするのを見た。そのたびに建物が壊れ、燃えた。

 足の弱い高齢の母を残してきた海近くのビルが、この船に壊されるのを見た、という人もいる。

 2千人もの人が亡くなり、いろいろな思いが交錯するこの街で、船を残すのは簡単なことではない。

 だからこそ、何のために残すのか、というビジョンが必要なのだ。

 あの日、巨大津波に襲われる東北沿岸の映像が世界各地を駆け巡った。高い技術を誇る建築物も、数々の先進的な取り組みも、自然の前には無力だと、世界中の人々が思い知った。

 広島・長崎の「非核平和」にあたるメッセージをかかげ、東日本大震災について深く学べる場所にできないか。東北の世界遺産、白神山地や平泉と組み合わせれば、魅力的なツアーもできる。

 だが、地元だけでは実現は難しい。元の暮らしを取り戻すのに精いっぱいで、震災後に生じたさまざまな格差によって多くの溝もできている。

 船を残す意義をわかりやすい言葉で伝え、すぐれたビジョンを掲げて住民をひとつにしてくれる、外部の指導者が必要だ。

 他力本願に聞こえるかもしれないが、気仙沼には、現場でがんばれるリーダーはたくさんいる。街を立て直す覚悟もある。地方都市にはいない、すぐれた力をもつ人の協力がほしいのだ。

     ◇

 〈しみず・ひろし〉1965年生まれ。宮城県気仙沼市の水産加工会社「マルトヨ食品」営業部長。第18共徳丸が打ち上げられた鹿折地区は、会社の目と鼻の先だ。

 清水さんの父が経営する会社と生家は大きな被害を受け、生家は取り壊しに。会社が操業を再開したのは、震災翌年の1月だった。

 「第18共徳丸は、最初は特別な船ではなかったんです」と清水さんは言う。がれきの山となった一帯には、何隻もの船が埋まっていた。それが片付くにつれ、第18共徳丸が目立つようになった。がれきが片付いても、船とその周囲は、そのまま変わらなかった。

 これからの気仙沼をどうすればいいのか。支援に訪れた神戸の人たちに教わったフェイスブックで様々な人と交流し、考えを深めた。

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