メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

06月26日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

新着記事一覧へ

このエントリーをはてなブックマークに追加
mixiチェック

(オルタナティブ・ニッポン)「防災意識は直接言葉で」

写真:君ケ洞剛一さん拡大君ケ洞剛一さん

写真:会社事務所の前で、震災当時のことを説明する君ケ洞さん=岩手県釜石市平田拡大会社事務所の前で、震災当時のことを説明する君ケ洞さん=岩手県釜石市平田

■釜石市、君ケ洞剛一さん(35)

「話そう、震災遺構」特設マップ

 東日本大震災の教訓を伝えるには、被災した私たちが被災地の外の人に直接思いを伝え、今後もつながっていける関係をつくれるかが重要だ。被災した建物を残してきれいな公園にするだけでは意味がない。

 あの日、私は岩手県釜石市の海沿いの自宅にいた。会社兼自宅は流され、友人や親しい漁師が亡くなった。

 震災後、全国各地の顧客や、フェイスブックで知り合った人から、被災体験を話す機会をもらった。

 「大変でしたね」と気遣っもらうのはありがたかったが、「東北に寄り添って」「震災を風化させないよう頑張る」といった言葉をかけられることには違和感があった。

 東北で震災があったことを心に留めてほしいとは思うが、私が伝えたいのはそういうことではない、と気づいた。「あなたの住む地域で同じ規模の災害があった時、自分の身や家族をどう守るか、真剣に考えてほしい。また多くの犠牲者を出したら、今回亡くなった人たちはどうなるのか」ということなのだ。

 東日本大震災が風化しなかった、といえるのは、同じような災害が起きても犠牲者が限りなくゼロに近くなったときだ。

 私の思いを伝えるには、千人に一方的に話すより、10人、20人の小規模のグループに、目を見て話すのが効果的だと思う。その人の家族や友人にも伝わり、共有されていくはずだ。

 遺構を残せば、人が来て地域の活性化につながるという考え方もある。でも、本当にそうだろうか。

 かつて釜石は、長く依存していた製鉄所の規模縮小とともに活気を失った。今回の震災で大打撃をうけたのは事実だが、釜石をふくむ東北の沿岸部は震災前から、全国にあまたある「過疎地」と同様、苦しい状況にあった。

 いまは、復興需要で土建業や飲食業が好調だが、「このバブルはせいぜい2、3年」ともいわれる。

 「被災地」でなくても人が集まり、心地よく住み続けられる街にできるかどうか、が問われている。

    ◇

 きみがほら・たけいち 1978年生まれ。岩手県釜石市の活貝問屋「ヤマキイチ商店」専務。父親が社長を務める会社の事務所兼住宅は津波で全壊。2012年7月に元の場所に再建した。

 同年5月には、市内の若手経営者らによる復興支援組織「NEXT KAMAISHI(ネクスト釜石)」(青木健一会長)の立ち上げに携わった。市内外から集客を図る集いの場を作ったり、祭りの復活を提案したりして、他団体とも協力して計画を進めている。

PR情報
検索フォーム

検索

亡くなられた方々

| 記事一覧

ハッシュタグ #震災遺構

※Twitterのサービスが混み合っている時など、ツイートが表示されない場合もあります。

注目コンテンツ