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(オルタナティブ・ニッポン)「記憶引き継ぐ工夫を」

写真:メッセージボードの前から、しばらく動けなかった=2011年5月、宮城県石巻市拡大メッセージボードの前から、しばらく動けなかった=2011年5月、宮城県石巻市

写真:2011年に茨城県を訪ねた拡大2011年に茨城県を訪ねた

■作家、乙武洋匡さん(37)

「話そう、震災遺構」特設マップ

 最近になって、東日本大震災の苦しみを、何らかの形でしっかり残しておきたい、と明確に思うようになった。それも、ただ残すだけではなく、何十年後、何百年後にも、今感じている危機感や防災意識を引き継いでいけるような工夫をしながら。

 これまで、被災地を6回訪ねているが、最初は遺構を残すことには懐疑的だった。

 でも、大きく気持ちが変わったのは今年3月。ニュース番組の取材で岩手県大槌町を訪れ、県立大槌高校に通う男子生徒に出会った。

 彼は津波の到達地点に、木でつくった碑を建てようとしていた。なぜ、石ではなく木なのかと尋ねると、「碑を作ることが目的じゃないから」と言う。

 木なら数年に1回はメンテナンスやつくりかえる必要がある。それはいつ、どのあたりまで来るかもわからない震災の恐怖について考える機会をつくることになる。何十年、何百年たっても、木碑を作り直すたびに震災への備えを引き締め直してもらえるかもしれないというのだ。

 震災への強い恐怖心も、いつかは薄れる。でも、工夫をこらしながら次の世代につないでいくものならば、子孫にも多くのことを引き継いでいけるかもしれない。彼には、「形」を残す大切さを教わった気がした。

 東日本大震災の遺構を残すのは簡単なことではない。

 遺構を見ながら暮らす人たちは、遺構がなくても震災を忘れない。でも、遺構がないと震災を忘れてしまう人々は、遺構を目にする機会が少ない。被災地、特に岩手県の沿岸部は、とにかく遠い。価値のある震災遺構でも、訪ねるには強いモチベーションが必要だ。

 遺構を、どう残すか。あの高校生のように知恵を絞る必要がある。日本だけでなく世界からアイデアを募ってみてはどうだろう。どれにするかは被災地にすむ人たちが決めればいい。誰もが「これなら残したい」と心から思えるものが必要ではないだろうか。

 そうなれば、何十年後も何百年後も、その遺構は生き続けるに違いない。

     ◇

 〈おとたけ・ひろただ〉1976年生まれ。作家。早稲田大学在学中に出版した「五体不満足」がベストセラーに。その後、スポーツライターや小学校教諭を経験する。作家として活躍するかたわら、今年3月から東京都教育委員も務める。

 東日本大震災発生時は東京にいた。恐怖や無力感とたたかいながら、ツイッターで情報を発信しつづけた。

 被災地を初めて訪れたのは、2011年5月。主に子どもを訪ね、特別授業などを通して励まし続けている。

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