このコラムを再開するにあたり、ちょっと原点に立ち返ってみたい。ここで目指すもの、というほどの大げさではないけれど、それは普通の新聞記事とは全く違う何かだった。
新聞記事を書く時には狙いを明確にし、事前の準備をして取材に行く。「伝えたいこと」が明確であるほど、そして準備が万全であるほど、読む人には伝わりやすい記事になるだろう。
現場に行ってみないとわからないルポもある。それでも、こんなことが伝えられそうだと、ある程度の想定はしてゆく。何があるかわからないけれど行ってみようというような取材は通常、成り立たない。それをやってみようというのがこのコラムだった。
なぜそう考えたのかというと、まず朝日新聞にはアフリカを担当する記者がちゃんといて、大事なニュースはその記者、杉山正ナイロビ支局長が伝えている。そこに入り込んで同じことをしても仕方がない。もう一つ、「伝えたいこと」に焦点を合わせすぎると、周りが見えなくなるということをずっと感じていた。取材の途中の風景、音、におい、皮膚感覚やドタバタが、すっかりそぎ落とされて普通の記事は完成する。
おこがましいけれど、夏目漱石の夢十夜に出てくる運慶の話を思い浮かべる。運慶は無造作に木から仁王を彫るように見えて、実はすでに木に宿っている仁王を掘り出しているだけなのだから間違いようがない――ざっとそんな話だったと思う。
新聞記事も、いわば木の中にいる仁王を表に出してくる作業に似ているように思う。伝えたいこと、つまり仁王を掘り出すことが大事なのであって、そのほかの木の部分はすっかりそぎ落とされる。
でも、木には本命の仁王だけではなくて色々と潜んでいるのではないか。新聞記事としては仁王を彫ることが大事だけれど、仁王ではないものに目を向けてみたら、案外面白いのかもしれない。まあ、そんな発想もあった。
でも、何が出てくるかもわからない、のほほんとした旅など、付き合っていられないというのが、忙しい日々を生きる人たちの思いだろう。せめて少しは緊張感のある場所を選んで行こうと、当初はソマリア、南スーダン、コンゴ(旧ザイール)、マリ、中央アフリカなど、紛争や混乱の中にあったり、そこから抜け出そうとしたりしている地を中心に訪ねた。次第にそうでもない国にも足をのばし16カ国に行った。
新聞記事に求められているような深い味わいはない。目指していることができているのか、そもそもこんな旅の記録が意味があるのか、よくわからない。行き当たりばったりのドタバタは、各地で礼を失する事態を引き起こしているだろう。
やれやれ、能書きのない旅のはずなのに、能書きと言い訳ばかりになってしまった。再開を決めて、すでにケニアのナイロビに来ている。ここから、また、風に吹かれ始めよう。

61年生まれ。社会部をへて00年代、ナイロビ、ニューヨーク支局に勤務。バルカン半島、中東、アフリカ各地の紛争取材を経験しつつ、小心さは変わらない。動作が緩慢でのんきに見えるが、気は短い。趣味は散歩。しばしば二日酔い。だめトラファン。