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ナイロビのアパートを出て14時間で、西アフリカの入り口、ナイジェリアの首都アブジャの道路を走っていた。今までに見たアフリカのどの都市とも違う街が、闇の中に垣間見えた。
三つの分離帯に分けられた、片側5車線ほどの道路を、ジグザグに走る。「ほど」と書いたのは車線がほとんど描かれていないからで、車がジグザグに走る理由の一端でもある。
南アフリカには及ばないが、ケニアよりいい道路が続く。だけど、高速道路なみの道をUターンしたり、横切ったり。交差の設計や管理が良くない。
運転の荒っぽさはケニアと甲乙つけがたい。突然、追い越していった四輪駆動車が急停止し運転手が下りてきて、こちらの車の運転席の窓とドアを拳で殴り、蹴っていった。どうも手前でこちらの車が幅寄せしたと怒っていたらしい。
アブジャは首都になって20年あまりの若い都市だ。中心がないというか、官庁やホテルやモスクや教会が適度に散らばり、いかにも造られた都市という印象がある。同じく遷都で誕生したパキスタンのイスラマバードに似ている気がした。
ヨーロッパ色に傾いたヨハネスブルクには似ていないし、英国調とアフリカ色を残しつつ新しくなるナイロビとも違う。中東のような雰囲気や中国の影響も感じる。ちなみに、アブジャの中心街づくりには丹下健三さんがかかわった。
さて、突然話題は変わるけれど、最近オクラづいている。ナイロビのインド料理店でオクラカレーを食べ、中華料理店でオクラのフライをつまんだ。野菜が足りないので、この中華料理店に来てニンニクとタマネギとともにピリ辛の味にまとめたオクラのフライを食べる。広く知られているように、アフリカでもオクラは「オクラ」だ。
アブジャの最初の夜はホテルに着くと5月31日の夜9時だったので、レストランのビュッフェですませた。ナイジェリアの主食のセモビタにオクラのシチューをかけて食べる。セモビタはメイズからつくられ、餅と「かるかん」をまぜたような食感で、似ているケニアのウガリより食べやすい。ナイジェリアの料理の多くはピリ辛で、汗を拭き拭き食べることになる。
翌日の朝は、4階建ての集合雑貨棟という感じの「プラザ」で朝食をとった。こういったプラザが各地にある。1980年ごろの学生寮のような心もとない造りだ。
そこではインスタント焼きそばのインドミを食べた。卵焼きが載り、ニンジン、タマネギが入って、やはり辛い。真っ赤なチリをよけながら食べる。
昼にはパウンデッドヤムという、ヤムイモをつぶして練ったものを、やはりオクラのスープや干し魚のシチューに浸して食べた。白い色も食感もセモビタと似ていて、ほんのり甘い。スープとシチューがことさらに辛かったので甘さがありがたい。さほど暑くないのに、やはり汗を拭き拭きになった。
食事の話ばかりだ。土曜日なのであまりすることもなかった。この夜はナイジェリアの音楽を聴きに行ったのだけど、思惑とは大きく違ってしまった。

61年生まれ。社会部をへて00年代、ナイロビ、ニューヨーク支局に勤務。バルカン半島、中東、アフリカ各地の紛争取材を経験しつつ、小心さは変わらない。動作が緩慢でのんきに見えるが、気は短い。趣味は散歩。しばしば二日酔い。だめトラファン。