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3年足らずで滅んだビアフラの遺構をめぐり、国とは何なのかを思う。
植民地政策によって、一つの版図に囲われた200を超える部族。その中で対立し、追い込まれ、独立を果たそうと見る夢。一つにつなぎとめる意思。せめぎ合いの中で100万人以上の餓死者を出して戦争は終わる。
短い命に終わった国と、短い命を終えた人々について、地下壕(ごう)で思いを巡らせたかった。でも、そういうわけにはいかない。ウォリからここまで、車で5時間半かかった。途中、警察や軍の検問が各所にあった。ボコ・ハラムの脅威は低い代わりに、南部では犯罪の危険は高い。
遅くならないうちにウォリに戻ろう。滞在2時間あまりで、ウムアヒアを後にした。ビアフラを思いつつ帰ればいい。でも、そうは問屋が卸さなかった。
出発すると、日本製四輪駆動車が異音を発した。エンジンの回転を車輪に伝えるシャフトが外れ、交換しなければならなかった。
運転手、ガイド、中野智明さんともどもウムアヒアは初めて。修理工場を尋ねて、たどり着く。午後3時半、普通に走っても戻り着くのは8時を過ぎる。
すぐに交換できるのか。油まみれのオレンジ色の服を着た若い男性が「大丈夫」と作業を始める。左前輪を外し、シャフトを取り除く。金づちでたたくなど乱暴だが、手際はいい。
いつものことだが、車を生産する国の人間でありながら、タイヤの交換ぐらいしかできない身が恥ずかしい。解体は簡単でも、組み立ては難しい。結局、まるまる2時間かかった。
午後5時半。微妙な出発時間だ。心もとない車だから、なお危ない。途中に1泊するかと考えたが、運転手もガイドも大丈夫だというので、行けるところまで行くことにした。
走り出して、また変な音がした。こういうときの心理は不思議なもので、いったん行くと決めると、都合の悪い音などは聞かなかったことにしようという気持ちが働く。
途中で泊まるべきか、どのタイミングで判断するかを考えていた。ビアフラはどこかへ行ってしまった。気づくと来た時と違う道を走っている。GPS装置を見ると、行くべき方向の逆へ進んでいる。道を尋ね尋ね来たのだが、帰りは運転手が焦ったのか、曲がる場所を見逃したのだ。初めてGPS装置が役に立った。
進むに連れ、異音と振動は大きくなる。修理した左前輪もおかしいが、振動は主に後輪からだった。いずれ動けなくなることは、みんな気づいていた。それがウォリに着く前なのか、後なのかが問題だった。
それでも、前の座席の運転手とガイドはケタケタ笑ったり大あくびしたりで、たくましいというか少し腹立たしくなる。あと3時間、2時間。希望的な逆算を続けるうち、闇のかなたに油田地帯特有の紅の空がみえてきた。
極度に緊張する場面があったわけではない。でも、疲れた。「結果オーライだったけど、1泊すべきでした。判断ミスでした」と中野さんと笑って、この夜はまた禁を犯して地元のスタービールを飲んだ。

61年生まれ。社会部をへて00年代、ナイロビ、ニューヨーク支局に勤務。バルカン半島、中東、アフリカ各地の紛争取材を経験しつつ、小心さは変わらない。動作が緩慢でのんきに見えるが、気は短い。趣味は散歩。しばしば二日酔い。だめトラファン。