再びマンデラさんが入院しているプレトリアの病院の前に戻る。空は晴れて、冬に入ろうとしているにしては暖かい。微風が街路樹の葉を散らしている。
差別と抑圧に根ざした支配と闘い、27年に及ぶ投獄の暗黒を耐え抜いた。マンデラさんの歩みは、苦難の道をたどったアフリカのそれと重なって見える。アフリカも植民地支配と闘い、その負の遺産と闘ってきた。
マンデラさんは獄中から解放されて大統領へ転じ、約束を守って1期で身を引いた。その後もアフリカの紛争解決にかかわり、南アフリカ統合の象徴であり続けた。それは、アフリカの指導者たちに範を示したともいえる。
マンデラさんが政権を去った後、南アフリカは数々の大きな国際会議を主催し、ついには世界最大のスポーツイベントともいわれるサッカーW杯をアフリカ大陸に初めて迎えることに成功した。
大陸全体を見渡すと、内戦、感染症、経済停滞との苦闘をへて10年ほど前から経済発展の道をたどり始めた。オバマ米大統領がアフリカ訪問で「ともに潤うパートナーシップ」を強調したように、いまでは援助ではなく投資を求める空気が強まる一方にみえる。
アフリカの問題はアフリカが力を合わせて解決を、という域内自立の動きも目立ってきた。紛争解決に、アフリカ各国の力が投入されている。
だが、バラ色の未来ばかりではない。腐敗は相変わらず根深く、経済発展の恩恵は一部の国民に偏って貧困の解消につながっていない。格差の拡大は国を分断しかねない。
ケニアでは2週間以上も小中学校の教職員のストが続いている。政治家の高収入に比べて、一般公務員の給与は低く抑えられ、それが末端の汚職を助長している。
そうした状態をこれからどのように抜け出していくのか。すべての人々が経済成長の恩恵を感じられる社会に変革できるかどうかの分かれ道に、アフリカは立っている。南アフリカを始め、資源に恵まれた「持てる国」とそうではない国の格差も広がりをみせている中で、アフリカを束ねることができる、もはやただ一人のカリスマが失われようとしている。
マンデラさんのいるアフリカと、いないアフリカを思う時、そこに深く大きな溝を感じるのは、そういう時だからこそだ。
ハート病院の門脇の柵に張られた数々のメッセージが風にあおられて1枚、また1枚と落ちてゆく。そこに新たに紙が張られる。
「あなたがいるから、私はここにいる」「あなたが許すことを教えてくれた」。よくなってほしいという願いとともに、マンデラさんへの感謝がつづられている。その下には花束が重ねられ、ろうそくの跡が地面に点々と連なる。
集まる人たちに悲壮感はあまり感じられない。祈りと感謝をないまぜに、ひととき病院の門の脇にたたずんで去ってゆく。「あなたはもはや世界の人です。いっときでも『私たちの』と呼ぶことができたことを幸せに思います」。緑色の紙に、控えめな字でそう書かれていた。今少しだけ、さらなる旅立ちを思いとどまってほしい、と言うように。

61年生まれ。社会部をへて00年代、ナイロビ、ニューヨーク支局に勤務。バルカン半島、中東、アフリカ各地の紛争取材を経験しつつ、小心さは変わらない。動作が緩慢でのんきに見えるが、気は短い。趣味は散歩。しばしば二日酔い。だめトラファン。