これではできの悪い観光案内だ。少し観光から離れてみよう。
安心して歩けるリゾートの島と書いた。でも、ケニアの沿岸部などアフリカの他の地域と同様に、この島にも影がさしている。自立への願いに差す、過激な宗教の影だ。
タンザニア全土で信じられている宗教はキリスト教、イスラム教や伝統宗教に分散される。ここザンジバルでは住民の97%をイスラム教徒が占めるので、本土、つまりタンガニーカとは構成が大きく異なる。
話は1964年にさかのぼる。多数のアラブ、インド系の住民が殺された「革命」をへて、ザンジバルはタンガニーカといびつな連合国家をつくった。
いびつというのは、ザンジバル側には地元の政府があるのに、タンガニーカ側にはなく、実質的にタンザニア政府=タンガニーカ政府になっているからだ。ザンジバルからみれば、タンガニーカの下に置かれているようにみえる。
もっとも、面積はもちろん、人口でみても100万余のザンジバルと4千万をはるかに超えるタンガニーカでは比べものにならない。
ザンジバル側には完全な自治を求める動きが64年以前からある。革命政府と呼ぶ地元政府を置いているけれど、外交、防衛、内務などはタンザニア政府にゆだねられている。独自通貨の発行もできない。ずっと半独立の中ぶらりんな形になっている。
タンザニアでは独立以降、与党タンザニア革命党(CCM)の地位が揺るがずにきた。だが、ザンジバルでは野党の市民統一戦線(CUF)の力が与党CCMに迫っている。ザンジバルのCUFは、外交権などを含んだザンジバルの完全自治を目指してきた。
2010年の選挙で与野党の連立政府がザンジバルにできた。この島で先鋭化したイスラムの動きが目立ちだしたのは、そのころからだ。動きを担ったのが、ウアムショ(覚醒)と呼ばれるグループだった。
01年に結成された宗教的なNGOで政治とは一線を画していた。だが、次第にザンジバルの独立を求める動きを強めた。タンザニア政権が、集会の規制などに乗り出したこともあって、12年にはウアムショのメンバーが暴徒化して死者が出る事態も起きた。
海外からの観光客に依存する島だけに、タンザニア政府は治安部隊を島に投入、ウアムショ幹部を拘束して組織を抑え込みにかかった。ウアムショを誇示するメンバーがザンジバルの市街地から消えていった。
だが、宗教的な事件はその後も続いた。今年に入ってからも、カトリックの司祭が後をつけられて射殺される事件が起きている。
いま、タンザニアでは憲法改正委員会が設けられ、草案の作成が進んでいる。ここで議論されているのは「3政府」の仕組みだ。ザンジバルとタンガニーカがそれぞれ、地元政府をつくり、それとは別に外交などを担う連合政府を設けるというものだ。
ザンジバルからみれば、今までの連合に比べ、タンガニーカと同等の政府として並ぶことは前進に見える。でも、受け入れられるかというと、そうもいかないようだ。

61年生まれ。社会部をへて00年代、ナイロビ、ニューヨーク支局に勤務。バルカン半島、中東、アフリカ各地の紛争取材を経験しつつ、小心さは変わらない。動作が緩慢でのんきに見えるが、気は短い。趣味は散歩。しばしば二日酔い。だめトラファン。