前回のように書くと結局悪口になって、書かれる側は言うまでもなく、書く方も読む方もいい気がしない。本当は避けたい。でも「This is Tanzania」にスイッチが入ってしまった。
余計なことを続けるようだけれど、運転手は弟を連れてきていた。弟だと紹介したきり、説明はない。そのまま車に乗って、スワヒリ語で兄としゃべりまくり、いつの間にか寝た。
ちなみにタンザニア、わけてもザンジバルがスワヒリ語の本場だ。道路脇のビルボードなどの宣伝も、ケニアに比べ英語ではなくスワヒリ語で書かれていることが多い。
寝てしまった弟はガイドなのか、疲れたら運転を代わるつもりなのかわからないし、出発時点ですでに険悪な空気が流れていたので黙っていた。でも、たぶんただ乗りだろうと思った。
ウガンダでも同じ経験をしたからだ。事前に知り合いのつてで現地の人にガイド役を頼み、車の手配も併せて頼んでいた。空港に着くと、8人乗りのワンボックスが待っていた。
四輪駆動車のつもりで事前に車代を支払ったが、ガイドを含めて3人なのに8人乗りはおおげさだ。そう話すと、この車がいいと言う。その上、「こういう大きな車に外国人がぽつんと乗っていると、特にいなかに行った場合に治安上よくない。だから知らない人間を乗せるかもしれないが、心配しないで」と言う。
実際にカンパラから出発するとき、10代の男女が乗ってきた。ガイド氏の子どもだった。社会勉強のためだろう、ずっとついてきた。そうならそうと言ってくれれば納得するものを、勝手に大きな車を手配し、治安対策と称して自分の子どもを連れて行く。こういうときに、つい「This is Africa」とお手上げになってしまう。
親族などのつながりがとても強いのは「三本の矢」ではないが、アフリカ社会の結束を強めるところもある。けれど、政治の一族支配が各国で言われるように、しばしば公私の境を乗り越える。
さて、くだんの弟は最初の宿泊地のイリンガから先にはついてこなかった。礼の一つも言わずに去った。運転手からの説明もついぞなかった。まあ、いまさら言っても仕方がない。
20日はつごう、13時間ほど車に乗ってかなりの悪路を行くきつい行程だった。悪路を乱暴な運転で走るものだから、案の定、パンクした。もう昨年から20回近くパンクを経験しているので、何とも感じなかった。
でも、運転手は道脇に車を止めたきり、修理するわけでもない。修理用のジャッキすら積んでいなかった。通り過ぎる車が親切に貸してくれて、1時間以上かかって修理した。
こんな基本的な道具すら積んでいないのは、これまでなかったことだ。だれも通らないところで止まったらどうするつもりなのだろう。この日は燃料漏れも起こし、深夜に目的地に着いたとたんにまたパンク。ホテルへはタクシーに乗って行った。
こういうときこそ、叫びたくなる。パンクが日常茶飯事だということぐらい十分わかっているはずじゃないか。「This is Africa」

61年生まれ。社会部をへて00年代、ナイロビ、ニューヨーク支局に勤務。バルカン半島、中東、アフリカ各地の紛争取材を経験しつつ、小心さは変わらない。動作が緩慢でのんきに見えるが、気は短い。趣味は散歩。しばしば二日酔い。だめトラファン。