水着もサンダルも持たずに、海の美しいリゾート地を訪れるべきではない。まあ、こんなことは書かなくても誰だってわかる。
ザンジバルの東海岸で長年、宿を経営している日本の方を訪ねていったが、あいにく予定が合わなかった。あるじ不在の宿の、海に面したレストランで炭酸水だけ飲んだ。
腰掛けてしまうと、もう立ち上がるのが嫌になる。この時、そう感じて立ったまま瓶から飲んで、逃げるように立ち去った。世界には数多くあるのだろうが、ため息の出る美しい海だった。
ダルエスサラームでは、1泊100ドル程度の二つのホテルに泊まった。この町はインド系の人たちがとても多く、カレーがおいしくて毎日食べた。部屋はどちらも高い階だったためか蚊が少なかった。ただ、片方は建材で片方は水回りだと思うが、どちらも部屋の臭いがひどかった。近くのスーパーで芳香剤を買って始終まいていた。
ダルエスサラームの空港から市内へ向かう道には、いまもオバマ米大統領歓迎の写真がたくさん飾られ、訪問地として選ばれた興奮が続いているようだった。半月以上たって特集記事を掲載する新聞もあった。
隣国ケニアの方にゆかりがあるのに、国際刑事裁判所から訴追されているケニヤッタ氏が大統領に選出されたことも影響し、オバマ大統領の訪問はなかった。ケニアの人たちの悔しさの上にタンザニアの人たちの喜びがあると思うと、少し複雑だ。それにしても、アメリカの存在感のすごさを感じる。
滞在中の7月18日に、入院しているマンデラ元南アフリカ大統領の95歳の誕生日があった。タンザニアの新聞の1面に誕生日の記事が載った。タンザニアは独立の父ニエレレ大統領時代、反アパルトヘイトの立場を鮮明にし、各国の独裁とも闘う基地のようになっていた。そういう歴史もあってのことなのだろう。
毎回、旅の最後は少し役に立つ情報を書くはずだったが、何だかよくわからなくなってしまった。一つ、文句を言いたいのがモデムだ。ケニアで買ったモデムを立ち上げると、アフリカ各国にローミングできるように表示される。でも、ウガンダでもナイジェリアでも使えなかった。
ウガンダではケニアのモデムに同じ会社のSIMを入れ替えて使えた。でも、ナイジェリアとタンザニアではモデム自体を買わないといけなかった。同じ会社のモデムを三つも持っている。
タンザニアで買う時に「同じ会社で、しかもローミングができるかのように書いてあるじゃないか」と文句を言ったが、「まだ整えている過程なんですよ」とかわされた。
まあ、この辺はそう遠くないうちに解消されて、アフリカの国々はもっと近くなっていくのだろう。ローミングしている日本の携帯はザンジバルでもダルエスサラームでも使えた。
ダルエスサラームは昼間歩く分にはさほど問題はなさそうだった。夜は気をつける必要がありそうだ。ホテルからは、出かける時絶対に部屋に貴重品を置かないように、パソコンも預けてときつく言われた。自分のホテルなのにそんなに確信をもって言うなよ、と口にしそうになった。

61年生まれ。社会部をへて00年代、ナイロビ、ニューヨーク支局に勤務。バルカン半島、中東、アフリカ各地の紛争取材を経験しつつ、小心さは変わらない。動作が緩慢でのんきに見えるが、気は短い。趣味は散歩。しばしば二日酔い。だめトラファン。