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「ノーモアヒバクシャ」被爆者の谷口さん、国連で演説

2010年5月8日11時1分

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写真被爆半年後の自分の写真を掲げながら演説する谷口稜曄さん=7日、ニューヨークの国連本部、加戸写す

 【ニューヨーク=大隈崇、加戸靖史】国連本部で開かれている核不拡散条約(NPT)再検討会議で7日(日本時間8日未明)、各国代表らに向けたNGO代表者の演説があり、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)を代表して被爆者の谷口稜曄(すみてる)さん(81)=長崎市=が被爆体験を語った。原爆で背中に大やけどを負った17歳当時の自分の写真を示しながら、「核兵器がなくなるのを見届けなければ、安心して死んでいけません」と訴えた。

 谷口さんは、16のNGO代表者の3番目に登壇。演説の大部分を通訳の代読に任せた。長崎市の爆心地から1.8キロのところで自転車で走っていて被爆し、背中を焼かれて1年9カ月間、腹ばいで身動きできなかったこと、現在まで手術を繰り返していることなどが英語で語られた。

 その間、赤く焼けただれた背中の写真を、微動だにせず高く掲げ続けた。演説は「被爆者は全身に原爆の呪うべきつめ跡を抱えたまま、苦しみに耐えて生きている」とつづられ、「私はモルモットではない。もちろん見せ物でもない。でも、私の姿を見てしまったあなたたちは、どうか目をそらさないでみてほしい」と訴えた。

 終盤、日本語で「人間が人間として生きていくためには地球上に一発たりとも核兵器を残してはならない。私を最後の被爆者に」と呼びかけた。12分余りに及んだ演説を「ノーモア・ヒロシマ ノーモア・ナガサキ ノーモア・ヒバクシャ」と締めくくると、会場を埋めた約300人が立ち上がり、しばらく拍手が鳴りやまなかった。

 谷口さんにとって「これで最後」と位置づけた渡米だった。成田を離陸し、ニューヨークまで半日余。背中には今もケロイドと手術痕が多数残るうえ、皮膚が薄く裂けやすいため、機内のいすに背をもたせかけることができない。高齢でもあり体力的にきついが、ちゅうちょはなかった。演説原稿は、出発前に準備した。「いつも修学旅行生に話しているのを、時間に合わせて短くしただけ」。半世紀以上にわたって続けてきた真実の訴えだからだ。

 米国では、NPT再検討会議が期待していたほど盛り上がっているとは感じられなかった。それでも、演説会場で拍手を浴び、「世界の人に被爆の真実を受け止めていただけた。やるべきことは一応できた」と実感した。

 秋葉忠利・広島市長と田上富久・長崎市長も、それぞれが正副会長を務める国際NGO「平和市長会議」を代表して演説した。

 秋葉市長は「被爆者が生きている間に核兵器をなくすには、2020年が限界だ」と述べ、「力を合わせれば絶対にできる」と強調した。田上市長は、4月に署名された米ロの新核軍縮条約を歓迎しつつ、「次の一歩として、核兵器禁止条約の実現に向けて努力を」と呼びかけた。

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