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広島に原発建設案 1953年、米政権内で検討

2011年8月6日3時0分

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 被爆地広島に原子力発電所を造る案が1953年時点で、米政権内で浮上していたことが、朝日新聞が入手した米公文書からわかった。当時のアイゼンハワー米大統領は「(原爆投下への)罪悪感を示すことになる」という理由で反対した。広島に原発を造る案はビキニ事件が起きた54年以降に米国で相次いだが、それ以前に政権内で検討されたことが明らかになった。

 この公文書は、原子力担当のスミス国務長官特別補佐官(当時)が、ストローズ米原子力委員長(同)から聞いた話として記録した55年5月20日付メモ。

 それによると、ストローズ氏は53年、広島への原発建設案をアイゼンハワー大統領に提案した。これに対し、大統領は「その考えは捨てた方がよい。(原爆を使ったことへの米国の)罪悪感を示すことになるからだ」と発言。ストローズ氏は「大統領の決定は正しかったと思う」とスミス氏に語ったとされる。

 広島原発案は54年以降も米国で相次いだ。きっかけは54年3月のビキニ事件で、日本の反核運動と対米感情の悪化に米国で危機感が高まった。55年1月、イエーツ議員が下院で広島への原発設置を提案。ビキニ事件について「日本では再び爆弾の犠牲者になったという怒りが深い」と指摘し、広島を選んだことを「破壊ではなく、平和のために原子力を使う決意を強調するため」と述べた。

 朝日新聞が入手した公文書によると、同年5月に、共和党のコール下院議員も広島に原発を造ることを提案していたことが判明。大統領と朝食を取りながら、コール氏が「日本人への贈り物として効果的だ」と語った様子が記されている。

 しかし、こうした提案に大統領は再び反対した。フーバー国務長官代行(当時)が大統領との会話を記した55年5月11日付の手紙には、「大統領は、そうした提案にはおおむね反対だと述べた」とある。

 国務省からホワイトハウスに送られた55年5月7日付の書簡も「広島に発電用原子炉をプレゼントする案は米国が罪を認めたと解釈される。対日政策に不利益になる」と伝えていた。

 一連の提案は、「平和利用」の象徴である原発を被爆地に造ることで日本の世論を懐柔し、原子力支援の姿勢を世界にPRすることを狙ったとみられる。

 山崎正勝・東京工業大名誉教授(科学史)は「原爆投下を正当化したい米政府は、広島に原発を造ることが米国の罪悪感の表れと解釈されることは避けたかった。損益を慎重にはかりながら進められた、米国の原子力外交の姿が浮き彫りになっている」と話す。(金成隆一)

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