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「小沢先生の命令絶対」 石川議員、住み込みから秘書へ

2010年1月16日8時40分

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 逮捕された民主党衆院議員・石川知裕容疑者(36)=北海道11区=は、党内で絶対的な力を持つ小沢一郎幹事長の元秘書の一人だった。「小沢先生の命令は絶対」で、当選しても「あくまで秘書」――。周囲の人々にそう映っていた石川議員。小沢氏の元秘書たちは、捜査に何を語るのか。

 「口には出さないけれど、昔から自分で使えるお金には困っている様子だった。石川議員の秘書はいつも資金繰りを心配していた」

 長年にわたって小沢幹事長の秘書を務めていた石川議員について、地元支援者はこう口をそろえる。

 石川議員は1973年に北海道足寄町で生まれた。3人兄弟の末っ子で父親は元町議。幼い頃から、ものおじせず、人見知りしないタイプだったという。父親は日頃から「こすいこと(北海道弁で『ずるいこと』)するな」と言い続けた。知人らは「父親の選挙を間近に見て育ち、自然と政治を志していった」と振り返る。

 小中学校は地元の町立校、高校は函館市内で寮生活を送った。高校時代は野球部で白球を追いかける一方、「三国志」などの歴史ものの漫画を愛読。海部内閣発足時に歴代最年少の47歳で自民党幹事長に就任した小沢氏に心酔していたという。

 早稲田大商学部在学中に小沢氏の事務所へ出入りし始め、書生として小沢氏の自宅に住み込み、洗車や庭掃除などをするようになったという。卒業後は就職せずそのまま私設秘書に。関係者によると、私設秘書の給与は月10万円程度だったという。

 秘書として小沢氏に仕えた当時、石川議員は「尊敬する小沢先生の命令は絶対で、言われたらその通りにやるしかない。悪いことかどうなのか考えない。仕事を選ぶ権利はなかった」と関係者に語っている。

 約9年半の秘書生活を経て、2005年の衆院選での立候補に備え、父親は帯広市内に敷地約180平方メートルの3階建てのビルを購入し、後援会事務所を開設した。北海道11区から民主党公認で立候補したものの落選。しかし、民主党議員が道知事選に立候補するため辞職し、07年3月に比例区北海道ブロックで繰り上げ当選した。

 09年の衆院選では11万8655票で自民党の故中川昭一氏を破って2期目の当選を果たした。同選挙区で民主党候補の当選は初めてだった。

 ただ、国会議員といっても、小沢氏との関係はあくまで秘書のままだったようだ。石川議員は知人に「国会の中では、いくら元秘書でも同僚議員として親しくできるわけではない。小沢先生は厳しい」と打ち明けていた。

 石川議員の元秘書は「石川氏は、帯広から札幌までの特急列車の同じボックス席で小沢氏と相席した際、3時間弱、緊張したまま背筋をピンと伸ばして座っていた。小沢氏からの問いかけに『はい、はい』と答えるのがやっとだった」と話す。

 小沢氏の資金管理団体「陸山会」が04年に取得した土地をめぐる問題で、東京地検特捜部から任意の事情聴取を受けたあとは、周囲に「自分の力ではどうしようもない。支援者の顔が次々と思い浮かび、しばらくしっかり眠れていない」などと漏らし、辞職をほのめかして弱気になることもあったという。年明け以降は、特捜部に逮捕された経験のある新党大地の鈴木宗男代表らと会い、報道対応など具体的なアドバイスを受けた。

 ある後援会幹部は「議員と秘書は、部外者には分からない濃密な関係。元秘書として、現在は若手の国会議員として、言いたくても言えないこともあると思う。つらい立場だ」と気遣った。

 関係者によると、石川議員の父親は逮捕前日の14日夜、石川議員と電話で話した。石川議員はかなり精神的に弱っており、「政治生命は終わった」などと話した。父親は電話を切る間際に「死ぬなよ」と伝えたという。

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