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即位20年 両陛下の記者会見〈全文〉

2009年11月12日5時0分

写真即位20年式典を前に皇居で記者会見する天皇、皇后両陛下=6日、代表撮影

《問い1》 両陛下におうかがいします。

 この20年間、天皇陛下は「象徴」としてどうあるべきかを考え、模索しながら実践してこられた日々だったと思います。日本国憲法では「天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴」と明記していますが、その在り方を具体的には示していません。陛下はご結婚50年の記者会見で「象徴とはどうあるべきかということはいつも私の念頭を離れず、その望ましい在り方を求めて今日に至っています」と述べられました。平成の時代に作り上げてこられた「象徴」とは、どのようなものでしょうか。

 戦後64年がたち、4人に3人が戦後生まれとなって戦争の記憶が遠ざかる一方で、天皇陛下が即位されてからも国内外の環境は激変しています。天皇陛下は「象徴天皇」という立場から、皇后さまは天皇陛下をお支えするという立場から、これまでの平成の時代を振り返っての気持ち、お考えをお聞かせください。

【天皇陛下】

 日本国憲法では、「天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴」と規定されています。私はこの20年、長い天皇の歴史に思いを致し、国民の上を思い、象徴として望ましい天皇の在り方を求めつつ、今日まで過ごしてきました。質問にあるような平成の象徴像というものを特に考えたことはありません。

 平成の20年間を振り返ってまず頭に浮かぶのは、平成元年、1989年のベルリンの壁の崩壊に始まる世界の動きです。その後の2年間に東西に分かれていたドイツは統一され、ソビエト連邦からロシアを含む15カ国が独立しました。そして、それまで外からはうかがい知ることの難しかったソビエト連邦、およびそれに連なる国々の実情や過去の歴史的事実が、世界に知られるようになりました。このような世界の動きを深い感動を持って見守ったことが思い起こされます。

 ベルリンの壁の崩壊から4年後、私どもはドイツを訪問し、ヴァイツゼッカー大統領ご夫妻、ベルリン市長ご夫妻と共に徒歩でブランデンブルク門を通りました。西ベルリンから東ベルリンに入ると、ベートーベンの「歓喜の歌」の合唱が聞こえてきました。私どもの忘れ得ぬ思い出です。

 しかし、その後の世界の動きは、残念ながら平和を推進する方向には進んでいきませんでした。平成13年、2001年、世界貿易センタービルなどが旅客機の突入により破壊され、3000人以上の命が失われました。それを契機としてアフガニスタン、続いてイラクで戦争が起こり、今も両国とパキスタンでは多くの命が失われています。

 このように、今日の世界は決して平和な状況にあるとは言えませんが、明るい面として考えられるのは、世界がより透明化し、多くの人々が事実関係を共有することができるようになったことです。

 拉致の問題も、それが行われた当時は今と違って日本人皆が拉致の行われたことを事実として認識することはありませんでした。このため、拉致が続けられ、多くの被害者が生じたことは、返す返すも残念なことでした。それぞれの人の家族の苦しみはいかばかりであったかと思います。また、チェルノブイリ原子力発電所の事故のような人々の健康や環境に大きな影響を与える事故であっても、当時のソビエト連邦では発表されず、事故についての最初の報道は、スウェーデンの研究所からもたらされました。ソビエト連邦が発表したのはそれより後のことで、事故のあった地域の人々の健康に与えた被害は一層大きくなったことと思います。

 国内のことでまず思い起こされるのは、6400人以上の人々が亡くなった阪神・淡路大震災です。地震による家屋の崩壊とともに火災が起こり、誠に痛ましい状況でした。ただ、淡路島では火災がすべて未然に防がれ、また、地域の人々による迅速な救出活動により多くの人の命が助けられたと聞きました。この地震はその後に大きな教訓を残しました。建築の耐震化が進められ、人々の間に災害に対する協力の輪が広がりました。

 のちに他の被災地を訪れた時、自分たちの災害に支援の手を差し伸べてもらったので、お礼の気持ちでこの被災地の支援に来たという人々に会うことがあり、頼もしく思いました。

 苦労の多い中で、農業、林業、水産業などに携わる人々が様々に工夫を凝らし、その分野を守り続けてきている努力を尊いものに思っており、毎年、農林水産祭天皇杯受賞者にお会いするのを楽しみにしています。

 今日、日本では高齢化が進み、厳しい経済情勢とあいまって、人々の暮らしが深く案じられます。そのような中で、高齢者や介護を必要とする人々のことを心に掛け、支えていこうという人々が多くなってきているように感じられ、心強く思っています。皆が支え合う社会が築かれていくことを願っています。

 平成が20年となり、多くの人々がお祝いの気持ちを表してくれることをうれしく思い、感謝しています。

 この機会にわが国の安寧を願い、国民の健康と幸せを祈ります。

【皇后さま】

 少し風邪をひいてしまって、聞きづらいようでしたら言い直しますので、おっしゃってください。

 戦後、新憲法により、天皇のご存在が「象徴」という、私にとっては不思議な言葉で示された昭和22年、私はまだ中学に入ったばかりで、これを理解することは難しく、何となく意味の深そうなその言葉を、ただそのままに受け止めておりました。

 御所に上がって50年がたちますが、「象徴」の意味は今も言葉には表しがたく、ただ、陛下が「国の象徴」、また「国民統合の象徴」としての在り方をたえず模索され、そのことをお考えになりつつ、それにふさわしくあろうと努めておられたお姿の中に、常にそれを感じてきたとのみ、答えさせていただきます。

 20年の回想ですが、平成の時代は先に陛下もご指摘のように、ベルリンの壁の崩壊とほぼ時を同じゅうして始まりました。ソ連邦が解体し、ユーゴスラビアもそれぞれの共和国に分かれ、たくさんの新しい国が誕生しました。

 新しい国から大使をお迎えするとき、よく、地図でその国の場所を確かめました。

 冷戦の終結に続く平和の到来を予想していましたが、その後、少なからぬ地域で紛争が起こり、テロ行為も増し、昨今も各地で人命が失われています。

 地球温暖化、世界的金融危機、様々な新しい感染症の脅威など、世界的な規模で取り組まねばならぬ問題も多く、様々な意味で世界をより身近に感じるようになった20年間でした。

 国内においては、阪神・淡路大震災を始めとし、大規模な自然災害が多く、被災した人々の悲しみは想像を絶するものであったと思います。災害の予知能力が高められ、予防の対策が進み、災害への備えが常にあることを切に願っています。

 高齢化、少子化、医師不足も近年、大きな問題として取り上げられており、いずれも深く案じられますが、高齢化が常に「問題」としてのみ取り扱われることは少し残念に思います。本来、日本では還暦、古希など、その年ごとにこれを祝い、また、近年では減塩運動や検診が奨励され、長寿社会の実現を目指していたはずでした。高齢化社会への対応は様々に検討され、きめ細かになされていくことを願いますが、同時に90歳、百歳と生きていらした方々を皆してことほぐ気持ちも失いたくないと思います。

 身内での一番大きな出来事は、平成12年の皇太后さまの崩御でした。お隠れの夜は、月が明るく、今はご両親陛下をお二方ともにお亡くしになった陛下のおあとを、吹上から御所へと歩いて帰った時のことが悲しみとともに思い出されます。

 平成20年の区切りの年に当たり、陛下とともに国の安寧と人々の幸せを心から祈念いたします。

《問い2》 両陛下におうかがいします。

 両陛下はこの20年、常に国民と皇室の将来を案じてこられたと思いますが、皇室についてはこの先、皇族方の数が非常に少なくなり、皇位の安定的継承が難しくなる可能性があるのが現状です。昨年末の天皇陛下のご不例の際、羽毛田信吾宮内庁長官はご心痛の原因の一つとして「私的な所見」と断った上で、「皇統をはじめとするもろもろの問題」と発言し、皇室の将来を憂慮される天皇陛下の一面を明らかにしました。両陛下は皇室の現状、将来をどのようにお考えでしょうか。皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻をはじめとする次世代の方々に期待することも交えながらお聞かせ下さい。

【天皇陛下】

 皇位の継承という点で、皇室の現状については質問のとおりだと思います。

 皇位継承の制度にかかわることについては、国会の論議に委ねるべきであると思いますが、将来の皇室の在り方については、皇太子と、それを支える秋篠宮の考えが尊重されることが重要と思います。2人は長年、私とともに過ごしており、私を支えてくれました。天皇の在り方についても、十分考えを深めてきていることと期待しています。

【皇后さま】

 皇位の安定継承という点に関しては、私も、現状は質問のとおりだと思います。それについて、陛下のお答えに私として付け加えるものは何もありません。

 幸せなことに、東宮も秋篠宮も、孫として昭和天皇のおそばで過ごす機会を度々にいただき、また、成人となってからは、陛下をお助けする中でそのお考えに触れ、日々のお過ごしようをつぶさに拝見し、それぞれの立場への自覚を深めてきたことと思います。

 これからも2人がお互いを尊重しつつ、補い合って道を歩み、家族も心を合わせてそれを支えていってくれることを信じ、皇室の将来を、これからの世代の人々の手に委ねたいと思います。

《問い3》 両陛下におうかがいしたいと思います。

 陛下が即位なさったのは、いわゆるバブル経済のただ中でありましたが、この20年は日本にとって大変厳しい時となりました。ご存じのように高齢化が進み、人口が減少し始め、経済は不安定です。両陛下は、日本の将来に何かご心配をお持ちでしょうか。お考えをお聞かせ下さい。

【天皇陛下】

 今、日本では高齢化が進み、経済が厳しい状況になっています。しかし、日本国民が過去に様々な困難を乗り越えて、今日を築いてきたことを思い起こす時、人々が皆で英知を結集し、相携えて協力を進めることにより、日本が現在直面している困難も一つ一つ克服されることを願っております。

 私がむしろ心配なのは、次第に過去の歴史が忘れられていくのではないかということです。昭和の時代は非常に厳しい状況の下で始まりました。昭和3年、1928年、昭和天皇の即位の礼が行われる前に起こったのが、張作霖爆殺事件でしたし、3年後には満州事変が起こり、先の大戦に至るまでの道のりが始まりました。

 第1次世界大戦のベルダンの古戦場を訪れ、戦場の悲惨な光景に接して、平和の大切さを肝に銘じられた昭和天皇にとって、誠に不本意な歴史であったのではないかと察しております。

 昭和の六十有余年は、私どもに様々な教訓を与えてくれます。過去の歴史的事実を十分に知って、未来に備えることが大切と思います。

 平成も20年がたち、平成生まれの人々が、スポーツや碁の世界などで活躍するようになりました。うれしいことです。いつの時代にも、心配や不安はありますが、若い人々の息吹をうれしく感じつつ、これからの日本を見守っていきたいと思います。

【皇后さま】

 今、質問の中で指摘されているような問題で日本の将来を全く心配していないということではありませんが、私はむしろ、今すでに世界的に蔓延(まんえん)する兆候を見せており、特に若年層に重い症状の出る新型インフルエンザのこと、また、今後日本に起こりうる大規模な自然災害のことが心配で、どうか大事なく人々の暮らしの平穏が保たれていくよう願っています。

 国の進む道で避けうる災難は、人々の想像の力と英知で、できうる限りこれを防がねばなりませんが、不測のことも起こりえないことではなく、これからの日本の前途にも様々な大小の起伏があることと思います。

 振り返ると、私がこれまで生きてきた年月の間にも、先の大戦があり、長い戦後と人々の並々ならぬ努力によって成し遂げられた戦後の復興がありました。多くの苦しみ、喜びを、人々はともに味わい、戦後60年の歴史をたどってきたと思います。

 近年、日本の社会にも様々な変化が起こり、家族が崩壊したり、人々が孤立していく傾向が見られますが、一方、社会が個人を支えていこうとする努力や、地域が高齢者や子どもたちを守っていこうとする努力も、其処(そこ)ここで見られ、また民間の各種の支援運動も増えて、人と人、家族、社会と個人など、人間関係の在り方が、いま一度真剣に考え出されているように思われます。

 この十数年の経験で、陛下もお触れになりましたが、これまでに訪れた被災地の各所で、かつて自身も被災者だったという人々によく出会いました。苦しかった時に人々から受けたご恩を、今度は自分が、新たに被災した地域でお返ししたかったと誰もが話していました。

 被災地で目にした、こうした連帯意識にあふれた行動は、同じく私どもが、どの被災地でも必ず感じる逆境における人々の立派さ――自制、忍耐、他への思いやり、けなげさ――などとともに、自らも状況に心を痛めておられる陛下にどれだけの希望と勇気をお与えしたか、計り知れません。

 心配を持ちつつも、陛下とともに、この国の人々の資質を信じ、これからも、人々と共に歩んでいきたいと思います。

《関連質問》

 天皇陛下におかれましては、昨年ご体調を崩されて、一時公務を休まれました。皇后陛下におかれましてもひざをけがをされて、万全の状態ではないとおうかがいしております。両陛下のご負担軽減が進められている中で、ご自身の健康と公務の在り方についてどのようにお考えになっていますでしょうか。お聞かせ下さい。

 【天皇陛下】

 皆が私どもの健康を心配してくれていることに、まず感謝したいと思います。

 この負担の軽減ということは、今年1年その方向で行われまして、やはり負担の軽減という意味はあったのではないかと思っています。

 しかし、この状況は、今の状況ならば、そのまま続けていきたいと思っております。また、皇后の方も、足の方が昔のようにだんだんと良くなってきているようですので、非常にうれしく思っています。ただ、まだ座るということができないので、まだしばらくは座ることの、例えば賢所(かしこどころ)など座らなければならない所のお参りは、これはまだしばらく、無理ではないかと思っています。

 【皇后さま】

 健康を案じていただいて、ありがとうございます。自分の不注意で転んでしまい、心配をおかけいたしました。陛下が仰せくださったように、だんだんと快方に向かっておりますし、もう少し早く治ってほしいと思うこともありますが、野球の松井さんに見習って、私も、忍耐強く治したいと思います。

 ご公務については、陛下が仰せくださいましたので、それで私の申し上げることも特にはございません。

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