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高校野球「やり通せたか問われる」 太田幸司さんに聞く

2010年7月15日4時20分

写真三沢高在学時の全国高校野球大会で準優勝投手となった太田幸司さん=大阪市北区、伊藤菜々子撮影

写真1969年8月18日、松山商(愛媛)との決勝で延長18回を投げきった三沢の太田幸司投手。翌日の再試合も完投したが、敗れた=阪神甲子園球場

 41年前の夏、三沢(青森)のエースとして延長18回の死闘を演じた太田幸司さん(58)。東北出身の太田さんに、高校時代の思い出、東北のチームや球児へのメッセージを語ってもらいました。

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――高校に入った時から甲子園は意識していましたか?

 まさか。当時は甲子園に行くなんて、夢のまた夢。「好きな野球を高校でも頑張ろう」くらいの気持ちだった。新チームになった1年の秋には、部員は2年生4人、1年生9人の13人だけ。半年後に甲子園に行くなんて思ってもみなかった。

――甲子園を意識するようになったのはいつから?

 1年生のときは2年生に1番をつけたエースがいたので、ピッチャーの球拾いばっかりしていた。秋季大会が近づいた練習試合で監督に「投げてみないか」と言われ、ためしに投げたら完封。秋季大会ではノーヒット・ノーランも達成して、県大会ベスト4になった。「このチームでも戦える」と思ったね。

 それから猛練習したよ。暗くなると球に石灰を塗ってノック受けるとか、もうむちゃくちゃよ。打った瞬間は白く見えるけど、地面転がったら何も見えない。それでも「集中していたら見える」とか言われてね。今思うと、ようやってたわ。でも「気持ちで負けるな」っていう姿勢は身についたかな。

――冬場の練習は?

 冬の間は雪でグラウンドが使えないから走ってばっかり。だから、春になると野球できることがうれしくてね。冬の間は基礎体力作りに集中して、雪が解けたら思いっきり野球をやる。そういうメリハリがあったな。

 選抜はやっぱり雪で厳しい面もあるけど、チーム力に雪国は関係ないんじゃないか。雪国だからハンディがあるとか弱いとか言われるのは好きじゃない。それに、年中だらだらと野球やってたら飽きるでしょ。メリハリをつけることが大事。

――猛練習の末、2年生の夏にはじめて甲子園に出場したときの印象はどうでしたか?

 ほとんどお上りさん状態。東京駅まで出てから新幹線に乗り換えていったんだけど、初めての新幹線でね。車内に冷房が付いてて感動したなあ。

 甲子園の球場では、スタンドの高さに圧倒された。そそり立って見えたよ。砂もサクサクしていて、芝も外野までビシッと敷かれている。「ここで野球ができるんだ」って感激したよ。入場行進のときも、テレビで見ていたあこがれの強豪高校とかを見て舞い上がっちゃってね。

――当時はどんな投球でしたか?

 僕は3年の夏まで、ピッチングは全部直球。まっすぐ放った方があたらへんし、そもそもカーブが曲がらへんかった。今の金属バットでは絶対打たれるだろうけど、当時はコントロールはどうでもいいからとにかくど真ん中に放った。打てるもんなら打ってみろっていう気持ちでね。

 3年の選抜が終わってから、夏までにカーブの練習もした。ほとんど曲がらなかったけど。

――そして再び夏の甲子園出場を果たしました。

 3年のとき一番怖かったのは、青森大会。「夏も春も出ていたから、甲子園に出て当たり前」と見られていたから。

 そのころには甲子園は自分にとって戦う場所になっていたから、県大会で優勝して甲子園入りしたときには「帰ってきた」って思いが強かった。

――何度も甲子園に出られる球児は、本当にごくわずかですよね

 たしかに、甲子園は誰もが立てる場所ではないよ。どんなに練習したって甲子園に出られない学校はいくらでもある。努力したからと言って、必ず結果が出るというものではない。でも、結果を出す人は必ず努力している。だからコツコツと努力を続けることが大事なんだよ。結果が出ないからって、すぐに投げ出すようなことはしちゃいけない。

 不思議なもので、小手先の練習でも結果がでることがある。だけどそれで満足している人より、レギュラーになれなくてもやり通して、応援席から声を出している人の方がよっぽど偉いと思う。結果も確かに大事だけど、どれだけやり通せたかが問われる。それが高校野球のいいところ。たとえ負けても、「おれはこれだけやってきたんだ」って胸を張れるような野球をしてほしい。

 僕がそういう気持ちになったのは、あとにも先にも再試合になった松山商との1試合だけ。すべてを出し尽くしたから、負けても悔しくなかった。

――延長18回に及ぶ激戦をどう乗り切りましたか?

 精神力とか言うのはあまり好きじゃないけれど、ピンチの場面はもう気持ちで乗り切るしかない。自分で自分を信じれるかどうかが、その分かれ目。苦しいときにこそ、普段の練習が自分に強い気持ちを与えてくれる。「これだけ手マメ作ったんだから、おれなら打てる」っていうようにね。

 負けたときに悔しくて泣けてしまうのは、それだけ努力してきたから。その経験は必ず財産になる。

――今の高校球児をどう見ていますか?

 最近の子たちは受け答えもしっかりしているし、大舞台でも堂々としていて緊張していないように見える。その辺は僕らのころと全然違う。はじめて甲子園のマウンドに立ったときはヒザはガクガクだったし、口は渇くし、キャッチャーはやたら遠くに見えた。火事場の馬鹿力で放っていたようなものだった。

 でも、負けて泣きじゃくる姿は僕らのころと何も変わっていない。ああいう姿を見るとホッとしちゃうんだよね。

――東北の高校野球については、いかがでしょうか

 今、東北の高校野球のレベルは自分たちのときより、高い。もう雪国とかは関係ない時代になっている。自信を持って、自分たちが東北に優勝旗を持ってくるんだという意気込みで戦ってほしい。

 強いチームは相手がどんなに弱くても、なめてかかってはいけない。弱いチームは、相手がどんなに強くてもひるんではいけない。高校野球に「絶対」はない。何が起きるか分からないから面白い。

――最後に、高校野球に必要なものとは何でしょうか

 「自分が何とかする」という気持ちは絶対的に必要だけど、高校野球はそれだけでは勝ち上がれない。「この仲間がいるから頑張れる」っていう信じ合う心がチームにないとね。それは僕らのころから一つも変わらない。野球は人生の縮図だと、つくづく思うよ。(聞き手=青森総局・藤原慎一)

     ◇

 おおた・こうじ 1952年1月23日、青森県三沢市出身。青森・三沢高時代には、68年夏、69年春、夏に甲子園に出場。3年夏の決勝で松山商(愛媛)と延長18回、0―0で引き分け再試合となり、翌日の再試合で2―4で敗れた。プロでは近鉄、巨人、阪神で58勝85敗を記録した。現在は毎日放送の野球解説者として活躍。

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