写真の一部はJAXA提供
ベビーロケットの後継機はK(カッパ)と名付けられ、1956年9月に打ち上げが成功した。58年には、高さ60キロまで飛ぶK6ロケットが完成。この年に行われた国際地球観測年のプロジェクトに参加することができた。
もっと!カッパの名前の由来
ランチャに装着されたK1ロケット
=JAXA提供
ベビーロケットの後継機の名前について、速そうだからという理由で「ぎんが」「かもめ」といった列車の名前や、日本らしいとして「高砂」や「紅葉狩」という能の曲名が挙がった。しかし、糸川の鶴の一声でギリシャ文字から選ぶことに。最初のK(カッパ)は歯切れの良さに人気があった。
ロックーン=JAXA提供
気球を使って空中で発射するロックーンと呼ばれるロケットも開発した。空気が濃い高さでは気球で上昇し、空気が薄くなる高さ20キロでロケットを発射。61年6月に高さ100キロまで到達した。
ロケットが高くまで飛ぶようになれば落下地点も遠くなる。このため、朝鮮半島と反対の東方向に向かって打ち上げる必要があった。
人があまり住んでいないことと、東側が開けていることが理由だった。62年2月、観測ロケットのOT75が内之浦から打ち上げられた。
K8ロケット10号機の爆発事故=JAXA提供
一方、道川海岸では62年5月に発射されたK8ロケット10号機が直後に墜落、大爆発を起こし、打ち上げ場は内之浦だけになった。
もっと!K8ロケット10号機
K8ロケット10号機の爆発の瞬間
=JAXA提供
62年5月24日午後7時49分、K8ロケット10号機が発射された。50メートル上がった後に機体が傾き、海岸線から15メートル離れた海に落ちた。 強い光とともに爆発音が響き渡った。機体の破片が飛び散り、ロケットの燃料が燃えて炎があがった。けが人はいなかったが、この事故が地元の人に与えたショックは大きかった。
K8ロケット10号機の残骸=JAXA提供
60年ごろから糸川は人工衛星の打ち上げを目指した。66年から69年にかけ、L(ラムダ)4SロケットとL4Tロケットを計5回打ち上げたが成功しなかった。人工衛星を軌道に乗せるスピードを得るためには、これまで3段だったロケットを4段にする必要があった。だが、段数と重さが増えてロケットの切り離しがうまくいかなかったり、3段目が4段目に追突したりするトラブルが起きた。
70年2月11日、L4Sロケット5号機がようやく人工衛星を軌道に乗せることに成功した。内之浦は大隅半島にある。打ち上げを支えた内之浦の人々への感謝を込め、人工衛星は「おおすみ」と名付けられた。日本は、ソ連、米国、フランスに次ぎ自力 で衛星を打ち上げられる国になった。
「おおすみ」記念碑と糸川英夫の銅像
=JAXA提供
内之浦の発射場にある太平洋を望む場所に、人工衛星「おおすみ」の記念碑がある。2012年11月、その隣に糸川の像が建てられた。像を作るための費用は、賛同した全国の人たちがまかなった。=敬称略(的川泰宣・JAXA名誉教授)
的川泰宣(まとがわ・やすのり)
1942年、広島県生まれ。東大工学部を卒業、同大大学院で糸川英夫博士に教わる。日本初の人工衛星やハレー彗星(すいせい)探査機の打ち上げに携わる。2008年にNPO法人「子ども・宇宙・未来の会」を立ち上げる。朝日新聞夕刊で毎週土曜日に「宇宙がっこう」を連載中。
将来の宇宙探査について考える「朝日宇宙フォーラム2021」(朝日新聞社主催、宇宙航空研究開発機構〈JAXA〉後援、ヤクルト本社協賛、ANAホールディングス、BASE Q協力)が1月、東京都千代田区で…[続きを読む]
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