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10月24日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

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  • 【災害大国】あすへの備え

    【災害大国】あすへの備え

    避難所、過酷な環境

     災害後に自宅に住めなくなったときや、安全の確保が必要なとき身を寄せる避難所。住み慣れた家を離れ、突然、他人との共同生活が始まる。不便で不慣れな生活は、心身の健康を害する原因になる。避難所での生活はどのようなもので、助けが必要な人をどう支援するべきか。

【1】配給に列、水や暖房制限 狭い空間、体調崩す恐れ

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  ■ 時期に応じた心のケア重要

 阪神大震災では約30万7千人が避難所生活を余儀なくされ、被災者が仮設住宅などに移り、避難所が閉鎖されたのは7カ月後。約10万人が避難所で生活した新潟県中越地震では閉鎖は2カ月後だった。

 岩手、宮城、福島の3県で約41万人、全国で計47万人が避難所生活をした東日本大震災は、避難所閉鎖まで岩手県で7カ月、宮城県で9カ月を要した。原発事故福島県双葉町の住民が避難した埼玉県加須市の避難所の閉鎖は2年9カ月後だった。

 避難所の生活はどんな様子か。改善は続けられてきたが、そもそも学校や公民館などは宿泊に適さない。

 日本女子大の平田京子教授(住居学)は、学生たちと震災の研究や実例からイラストつきの解説書を作った。「生活の過酷さは経験しないと分からない点もあるが、どんな生活か事前に知って備えることが重要だ」と指摘する。

 災害の発生間もないころは、多くの人が体育館などに集まり、それぞれが自由に過ごせる空間は非常に狭い。眠るとき手足を伸ばせないこともある。毛布や布団が足りず、カーテンやカーペットを防寒に使った例もあった。

 食料や水などの配給が始まっても、回数が少なかったり、行列で何時間も待たされたりする。暖房は制限され、トイレの水も足りず不衛生な状態が続くこともある。被災者間のトラブル、お金や物が盗まれることもある。

 体育館は、プライバシーが十分に確保されず、着替えにも不自由する。布や段ボールで間仕切りをつくる工夫もされてきた。

 避難所は、多くの人が集まるうえ、換気は不十分で空気が乾燥する。阪神大震災では、インフルエンザが流行、肺炎で亡くなる人が多かった。運動不足や狭い場所の生活も危険。中越地震では、車の中で過ごし、エコノミークラス症候群で死亡する事例が相次いだ。

 他人と寝食を共にする生活にストレスを感じる被災者も多い。他人のせきやいびき、子どもの泣き声で眠れず体調を崩す人もいる。

 中越地震で調査をした長岡技術科学大の中村和男名誉教授(人間工学)は「災害直後は危険から身を守る意識や衣食住に関心が高いが、時間がたつと、人間関係やプライバシーに関する不満を感じる人が増える」と話す。

 仮設住宅への入居が始まると、仕事や生活など将来の不安が強くなる。時期に応じた精神的なケアや、相談できる人がいるコミュニティーを維持できるかが重要だという。

【2】高齢者や障害者への配慮に課題

 東日本大震災では、高齢者や障害者など災害時に助けを必要とする人(要援護者)への支援のあり方も課題となった。

 内閣府によると、岩手、宮城、福島の3県の死者のうち60歳以上は66.1%で、震災関連死と認定された死者のうち89.1%が66歳以上。障害者の死亡率は全体の約2倍にあたる1.47%だった。

 内閣府東日本大震災の被災地に住む要援護者を対象にした調査では、避難所に行った要援護者の3割が「避難所生活の環境」を理由に退所した。理由は「設備面の支障」「周りに迷惑がかかると感じた」「障害のある息子と避難所に行くのをためらう」「精神的に居づらい」など。手すりやスロープ、障害者も使いやすいトイレなどがないと暮らしにくい。

 持病がある人は、被災前の医療や福祉サービスが中断すると深刻な事態につながる。病院や福祉施設の再開までの期間は「翌日~2週間」が最も多く、1~数カ月かかることもあった。断水や停電で人工透析が受けられない例も相次いだ。

 妊産婦は授乳できる場所や乳幼児向けの食事の確保が切実な問題だ。1歳の子どもと避難した臨月の女性は1日に2回の食事のために野外で30分並んだ。「寒い中、1歳の子を抱いて並ぶのは大変だった」と調査に答えた。

 バリアフリー化され、専門のスタッフが配置された要援護者のための福祉避難所は整備途上で、一般の人の認知度も低い。

 東日本大震災を受けて政府は昨年6月、災害対策基本法を改正。福祉避難所の指定と避難所生活の環境改善を市町村に求める指針を策定した。一時的に難を逃れる避難場所と、被災者が長期間にわたり生活する避難所を区別して指定するよう明確化。他の自治体や事業所団体と事前の協定で、要介護者の搬送態勢を作るよう求めた。

 避難所の運営は、当初は市町村職員が中心で、被災者の自主的な運営への移行が望ましいとした。コミュニティーの維持や生活再建の意欲を高めるためだ。

 (北林晃治)

【3】ホテル・公営住宅活用を

京都大防災研究所教授
矢守克也さん

 避難所は被災者にとって自宅。本来、お茶の間や寝室があり、個人ごとの快適性が確保される場所でなければならない。硬くて冷たい床の体育館が自宅だと言われてもむちゃな話だ。

 将来の見通しもつかず、隣には家族の葬式を出さないといけない人もいる。ホテル、公営住宅などをもっと活用する仕組みも考えた方がいい。自宅を少し直せば暮らせる人を積極的に支援し、自宅での生活を早く再開できるようにすれば、行政の負担が減り、避難所に残った人の環境改善にもつながる。

 避難所や避難場所は社会の縮図だ。阪神大震災のころから障害者、外国人など多様な人がどう過ごすかが問題だった。福祉避難所の重要性が認識され、最近は、女性の視点から避難所を考える動きもある。

 食物アレルギーのように他人にはわかりにくいが、生死にかかわり、数分単位の対応が必要なことがある。普段から交流し、何が必要かを知らなければ、適切な対応ができない。

 また、被災者は自宅や自動車内、テント、知人や親戚宅にもいる。避難所外の被災者への福祉、医療、情報を同時に提供できる拠点の構築も課題だ。

 まず、自分が一番守りたい人のことを考えて欲しい。大切な人が1週間以上、避難所で暮らすことを思い浮かべ、何が必要か普段から備えてはどうか。

【東日本大震災・被災3カ月】

緊張・疲れ 大槌の安渡小避難所、24時間ルポ(岩手県)

 壊滅的な打撃を受けた大槌町安渡地区=キーワード=で、安渡小学校の避難所生活は3カ月を過ぎた。非日常的な生活が日常になってしまった252人の避難者の暮らしには、ある落ち着きが見られる一方、決して解けることのない張りつめた空気が今も漂っていた。

 <大槌町安渡地区>
 安渡1~3丁目と港町、新港町で、被災前の人口は2011年2月末現在で1926人。6月2日現在で641人が避難し、このうち安渡小は最多の252人がいる。年齢は60歳以上が130人と過半を占める。漁業の町で住民の団結意識が強い。

写真=坂道の突き当たりに安渡小学校がある。津波は間近まで迫った

 ■朝は黙?/安置所回る/仮設で孤立不安/心身とも心配

4:00 避難所の朝は早い。ウグイスの鳴き声が目覚まし時計代わり。早い人は周囲に迷惑をかけないよう、そろり、そろりと起き始める。洗顔をして散歩に出かける。
7:00 朝食。前の晩に用意したパンと牛乳という献立が多い。

《9日の朝食》ジャム・マーガリン付きパン、クロワッサン、牛乳、バナナ

8:00 朝礼は犠牲者への黙?(もくとう)から始まる。対策本部長の佐藤稲満さん(72)が「仮設住宅ができて入居するまであと1、2カ月。がんばろう」とあいさつ。大槌町を巡回する神奈川県警の警察官から報告があった。「昨日、安渡3丁目で性別不明のご遺体を発見しました」
理容師沢純子さん(43)は夫豊明さん(47)と義父鉄男さん(76)が行方不明のままだ。3人で理容店を営んできた。近所の人が集まるにぎやかな場所だった。津波はすべてを流し去った。朝礼で報告を聞き、遺体安置所を回る日々。「早く見つかってほしいという気持ちと、見つかったら、そこで終わってしまうような気もする。いてほしい、いないでほしい。複雑な気持ちで安置所に行っている」。そう言いながら、まぶたをぬぐった。
10:00 校庭では月内完成をめざし、7棟34戸の仮設住宅の建設が進む。住宅は安渡地区全体でも90戸だけで、地区外の住宅に入居せざるを得ない避難者が出るのは確実だ。
釜石市の水産加工会社に勤める黒沢節雄さん(56)は、流された家に家族、親族6人で住んでいた。避難所の体育館でも、6人が肩を寄せ合って暮らしている。建設のつち音を聞きながら黒沢さんは「仮設ではバラバラに住むことになるだろう。覚悟している」と話す。
漁師町特有の住民同士の絆の強さに、すべての人が身一つで避難してきたという平等感も重なり、安渡の避難者の連帯感は強い。一時、プライバシーを確保しようと、空間を仕切る試みがなされた。しかし、悪評で、間仕切りはすぐに撤去された。
小国チヱ子さん(63)は話す。「互いに気心も知れ、寄り添うように暮らしている。仮設では一人っきりになってしまうのではないか」
12:00 昼食。ご飯、みそ汁に一品料理。

《9日の昼食》ご飯、インスタントのすまし汁、魚肉ソーセージ、フルーツヨーグルト

14:00 避難所生活が3カ月もたつと、肉体的にも、精神的にも極限の状態に追いつめられる避難者が出てくる。
校舎の一角にある「隔離室」には、これまで若い男女がそれぞれインフルエンザで収容された。深夜に救急車で県立釜石病院に搬送されたケースが4回あった。
対策本部の関洋次さん(61)は深夜の緊急事態に備え、避難所に入らずに車中泊を続けている。「お年寄りが多く、24時間態勢で警戒している。避難所に入ると機敏に対応できない」
午後に避難所で保健指導をした愛知県幸田町の保健師白井みつよさん(51)。「眠れない、いら立つといった相談が多い。これから暑くなると衛生面が心配です」。避難者の苦しみや悩みに耳を傾けた「傾聴ボランティアもりおか」の会長藤原一高さん(58)。「ストレスが胸の中におりのように沈殿している人が少なくない。阪神大震災の孤独死の例があり、むしろ、仮設に移ってからの方が心配です」
17:00 夕食。洋風の幕の内弁当、鶏のから揚げ、サバのみそ煮と、毎晩、一品のおかずに工夫がこらされる。在宅の避難者を含めて約300食が用意される。

《9日の夕食》ご飯、みそ汁、サバみそ煮、トマト

資材を調達する黒沢久さん(64)。「難しいことは考えない。おおざっぱにやろう、で乗り切ってきた」。「まかない班」は5人。まとめ役の白銀富美子さん(66)。「食材は限られ、野菜が少ないかもしれない。食事が終わるたびに5人で知恵を出し合い、次のメニューを考える」 ぜいたくは言えない。明日、生きるための食事が続けられている。
21:00 消灯。また一日が終わり、3カ月を経過した。本部長の佐藤さんはこう振り返る。「安渡の互助の結(ゆ)いの精神で、何とか乗り切ってきた。でも、仮設に移った後が試練の本番なのかもしれない」

  《1週間を1日に再構成》
 記者は5月末から6月10日にかけ、延べにして約1週間、安渡小の避難所を運営している対策本部の了解を得て、避難所わきのテントで暮らし、避難者と食事をともにした。この間の取材を、ある日の1日間として再構成した。

 ■「仮設後」も追う

 早朝に目覚め、午後9時の消灯で就寝する日々だった。地面に敷かれたマットの上で、持参した寝袋に入った。地面は硬く、手足は伸ばせず、当初はなかなか寝付くことができなかった。たびたびトイレにいかなくて済むように、水分補給を我慢した。避難所の方々も同じ思いをしながら3カ月間を過ごしたのだろう。それでも慣れてくると、さほど気にならなくなった。人間の柔軟な適応力というべきか。しかし、高齢者や体の不自由な人たちにとっては、過酷な試練が続いている。津波から紙一重の差で生存した人たちが、避難所や仮設住宅で亡くなるようなことがあってはならない。テント暮らしをし、強く思った。復興の動きとともに、「仮設後」も取材を続けたい。

 (但木汎)

校庭に建設中の仮設住宅(右側)の間を通り抜け、間借り中の吉里吉里小に集団登校する子どもたち=9日午前7時40分
夕闇が迫る頃、校庭には夕食を受け取る避難者の長い列が出来る=9日午後4時57分、いずれも大槌町安渡2丁目の安渡小

長引く避難生活、心癒やすペット

 ■愛猫とテントで一月半/「大臣」パグ犬はアイドル

 大槌町の避難所安渡小学校でペットの犬と猫が被災者の心を癒やしている。

 安渡1丁目の佐々木一彦さん(63)は愛猫「タマ」とテント暮らしをしている=写真上。当初、校舎内の避難所に同居していたが、苦情があり、避難所を出た。猫が話し相手の生活は1カ月半になる。

 佐々木さんは埼玉県に出稼ぎをし、マンションの型枠工事に携わっていた。仕事が減ったこともあり、昨年12月半ば、タマと6年ぶりに帰郷した。三毛猫の雑種で9歳ぐらいのメス。4年ほど前の冬に、道路脇で拾った。首輪があり、飼い主が捨てたらしい。宿舎に連れ帰り、一人暮らしの話し相手になってきた。

 3月11日、大きな揺れに、佐々木さんはタマだけを抱えて高台に避難した。家は流された。その夜から、安渡小の校舎内の避難所にタマと入った。タマは人気者だった。しかし、避難所生活が長引くと、猫と同居することに一部の人から苦情が寄せられたという。間接的にその話を聞いた佐々木さんは、避難所を出てテント暮らしをする道を選んだ。佐々木さんは「周りに気兼ねせずに気楽でいい」。

 避難生活で体重が70キロから10キロ減った佐々木さんに対し、タマはみんなからエサをもらい丸々とした体形を維持している。

    ◇

 パグ犬「プゥー」(メス、11歳)は避難者のアイドルだ=同下。避難所の対策本部は「対策本部大臣」などに任命し、肩書の名札をつけた。避難所で生活する黒沢節雄さん(56)の愛犬。車中に泊まり、登下校する子どもらを送迎したり、避難者と散歩をしたり。愛敬を振りまいている。

(但木汎)

災害大国 被害に学ぶ

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  • 「表面・関東大震災俯瞰図絵」ビューアーへ
  • 「裏面・震災後の一年間」ビューアーへ

◆ 地震動予測地図

地震調査研究推進本部の資料から

◆ 女子組版「災害時連絡カード」

印刷して切り抜き、財布などに入れてお使いください

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著者:朝日新聞社 価格: ¥1,680

 朝日新聞のシリーズ企画「災害大国 迫る危機」が本になりました。活断層、津波、地盤、斜面災害、インフラ、火山のリスクを地域ごとに示した大型グラフィックや対策の現状などを収録。書籍化のために各地域の災害史を書き下ろしました。いつ見舞われるか分からない災害の備えとして役立ちます。B4判変型(縦240ミリ、横260ミリ)でオールカラー、120ページ。

日本列島ハザードマップ 災害大国・迫る危機

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