1章
マッカーサーがやって来た
2章
焼け野原から復興
3章
追及される戦争責任
4章
揺れる政治・外交
5章
空手チョップにわいた
6章
高度成長の足音
7章
高度成長とひずみ
8章
激動の政治、冷戦下の外交
9章
揺れる国内
10章
流行を追って
11章
娯楽とともに
12章
「バブル」と昭和の終わり
13章
失われた20年
14章
グローバル化のうねり
15章
あの日の衝撃
16章
世界で活躍
17章
平成のトレンド
18章
災害列島
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1984(昭和59)年2月「オウム神仙の会」が発足
1987(昭和62)年6月「オウム真理教」に改称
1989(平成元)年2月元信徒の田口修二さん殺害事件
1989(平成元)年6月坂本堤弁護士らが「オウム真理教被害対策弁護団」を結成
1989(平成元)年8月東京都が宗教法人として認証
1989(平成元)年10月「オウム真理教被害者の会」結成
1989(平成元)年11月坂本堤弁護士一家殺害事件
横浜市の坂本弁護士宅に侵入し、弁護士と妻、1歳の長男の首を絞めるなどして殺害した
生前の坂本弁護士一家。長男の龍彦ちゃんを抱く坂本堤弁護士(左)と妻の都子さん(右)、写真は関係者提供
1990(平成2)年2月総選挙に信徒ら25人が立候補するが全員落選
1990(平成2)年10月熊本県警が国土利用計画法違反などの容疑で教団を強制捜査
1993(平成5)年11月(~94年12月)サリンプラント建設事件
山梨県上九一色村(当時)の教団施設でサリン生成プラントを完成させたうえ、原料をプラントに投入して猛毒のサリンをつくろうとした
富士山ろくに点在していたオウム真理教の施設、1995年1月12日撮影
解体前、報道陣に公開された「第7サティアン」の内部、1998年9月16日撮影
1994(平成6)年1月元信徒の落田耕太郎さん殺害事件
(旧上九一色村の教団施設で、落田さんを絞殺。遺体をマイクロ波発生装置で焼いた)
1994(平成6)年5月滝本太郎弁護士サリン襲撃事件
(甲府地裁そばの駐車場で、被害対策弁護団の滝本弁護士の乗用車にサリンをまいて殺害しようとした)
1994(平成6)年6月国家制度を模した「省庁制」を採用
1994(平成6)年6月松本サリン事件
長野県松本市内の駐車場で噴霧車からサリンを発散。住民8人が死亡し、約600人が重軽症となった。土地を巡る裁判で不利な判決を避けるため裁判官らの殺害を狙った
8人の犠牲者、多数の負傷者が出た松本サリン事件の現場=長野県松本市北深志1丁目(本社ヘリから)、1994年6月29日撮影
「サリン」が検出された池(手前中央)などを調べる捜査員=長野県松本市北深志(本社ヘリから)、1994年7月3日撮影
1994(平成6)年6月自動小銃密造事件
(自動小銃約1千丁を製造しようとしたが、警察の捜索で目的を遂げなかった)
1994(平成6)年7月元信徒の冨田俊男さん殺害事件
(冨田さんに「公安のスパイ」とぬれぎぬを着せ、旧上九一色村の教団施設で拷問の末、殺害した)
1994(平成6)年12月水野昇さんVX襲撃事件
(脱会信徒を連れ戻そうとして、都内の路上で会社役員に猛毒のVXをかけ重傷を負わせた)
1994(平成6)年12月浜口忠仁さんVX殺害事件
(会社員を「公安のスパイ」と思いこみ、大阪市内の路上でVXをかけて殺害した)
1995(平成7)年1月永岡弘行さんVX襲撃事件
(都内の路上で「被害者の会」会長にVXをかけ、重傷を負わせた)
1995(平成7)年2月仮谷清志さん拉致監禁致死事件
都内の路上で目黒公証役場事務長を拉致し、旧上九一色村の教団施設で監禁。脱会しようとした事務長の妹の居場所を聞き出そうとして、薬物を大量投与して死なせた
公証役場元事務長の仮谷清志さんが拉致された目黒公証役場、1995年4月1日撮影
目黒公証役場元事務長の仮谷清志さん拉致事件での役割
1995(平成7)年3月20日地下鉄サリン事件
都心を走る地下鉄日比谷線、千代田線、丸ノ内線の5本の電車でオウム真理教幹部らが一斉にサリンを散布。乗客ら13人が死亡し、6千人以上が負傷した
3月20日、地下鉄サリン事件発生直後の日比谷線築地駅付近。地上に運び出された乗客は救急車などに収容された=東京・築地(本社ヘリから)
3月20日、大通りを封鎖して、負傷者を地下鉄築地駅(右)から救急車に運ぶ救急隊員ら=東京・築地
3月20日、営団地下鉄築地駅(後方)から地上に運び出されて手当てを受ける乗客=東京・築地
1995年3月20日の朝日新聞夕刊一面[拡大して見る]
【動画】地下鉄サリン事件の無線記録(人名など音声の一部を消しています)=警視庁提供
1995(平成7)年4月24日村井秀夫幹部が刺されて死亡
1995年4月7日、日本外国特派員協会で会見する村井秀夫・オウム真理教の科学技術庁責任者(中央)、上佑史浩・外報部長(右)、青山吉伸・担当弁護士(左)、(いずれも当時)
1995年4月24日、オウム真理教の技術庁責任者の村井秀夫氏が刺された同東京総本部の玄関前で追悼の踊りを踊る信徒たち
1995年4月24日の朝日新聞朝刊紙面[拡大して見る]
1995(平成7)年5月16日松本死刑囚逮捕
5月16日、オウム真理教前代表・松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚を教団施設の第2上九第6サティアンで逮捕、警視庁へ護送するため警察車両で出発する
5月16日、第2上九・第6サティアンの強制捜査に入る捜査員=山梨県旧上九一色村(代表ヘリから)
5月16日、第2上九前で、オウム真理教前代表・松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚の瞬間を待ち構える報道陣=山梨県旧上九一色村(代表ヘリから)
6月14日、オウム真理教前代表・松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚が再逮捕。写真は、6月16日に東京地裁前で
1995年5月16日の朝日新聞朝刊一面[拡大して見る]
1995(平成7)年9月坂本弁護士一家の遺体が、新潟、富山、長野各県で発見される
9月6日、ビニールシートの下で重機を使い坂本堤さんの遺体を発掘する現場=新潟県名立町の大毛無山(本社ヘリから)
1995(平成7)年10月東京地裁が宗教法人としてのオウム真理教に解散命令
1996(平成8)年4月24日松本死刑囚の初公判
オウム真理教前代表・松本智津夫(麻原彰晃)被告の初公判の傍聴券を求めて、抽選会場の東京・日比谷公園には、1万2292人が並んだ。256倍と超高倍率。写真は、抽選結果を発表する掲示板の前につめかけた人たち
1997(平成9)年1月破壊活動防止法に基づく解散請求を公安審査委員会が棄却
1998(平成10)年10月東京地裁が岡崎一明死刑囚に、一連の事件で最初となる死刑判決
2000(平成12)年1月教団が松本死刑囚の事件への関与認める
教団名を「アレフ」に改称
教団が団体規制法に基づく観察処分を受ける
2004(平成16)年2月27日東京地裁が松本死刑囚に死刑判決
死刑判決後、東京拘置所に戻る松本智津夫被告が乗った車両=東京・小菅
2004年2月28日の朝日新聞朝刊一面[拡大して見る]
2006(平成18)年9月最高裁が松本死刑囚の特別抗告を棄却、死刑が確定
2007(平成19)年3月教団の上祐史浩元代表が脱会表明。5月に新団体「ひかりの輪」を設立
2008(平成20)年6月事件の被害者らに、国が給付金を支払う法律が成立
2011(平成23)年12月平田信被告逮捕
平田信被告が31日深夜、警視庁丸の内署に出頭。翌1月1日未明、逮捕
防犯カメラに映った平田信被告。警視庁が逮捕後の2012年1月6日、写真を公開
2012年1月3日の朝日新聞朝刊紙面[拡大して見る]
2012(平成24)年6月菊地直子被告、高橋克也被告を逮捕
菊地直子被告を6月3日に、高橋克也被告を6月15日に、それぞれ逮捕
2012年10月15日、東京・築地署から東京拘置所に移送される高橋克也被告
2012(平成24)年9月高橋克也被告を起訴。教団による一連の事件の捜査が終結
2014(平成26)年1月東京地裁で平田信被告の裁判員裁判が始まる。判決は懲役9年。被告は控訴中
2014(平成26)年5月菊地直子被告の公判が始まる。オウム真理教が95年に起こした東京都庁郵便小包爆発事件で、爆薬の原料を運んだとして殺人未遂幇助などの罪に問われ、一審・東京地裁は懲役5年の判決。上訴の二審・東京高裁判決は逆転無罪に。東京高検は15年12月、東京高裁判決を不服とし、最高裁に上告した
2015(平成27)年1月東京地裁で平田信被告の裁判員裁判が始まる。判決は懲役9年。被告は上告中