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石垣や船着き場、日本人生活の痕 尖閣上空ルポ

2012年9月3日11時48分

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写真拡大魚釣島の船着き場跡の岩場にゴムボートで近づく東京都の調査団=2日午前7時30分、沖縄県石垣市、朝日新聞社機から、山本壮一郎撮影

写真拡大魚釣島の陸地にやぐらと碑が見えた=1日午後2時14分、沖縄県・尖閣諸島、朝日新聞社機から、山本壮一郎撮影

 緑に覆われた石垣、整地された船着き場――。中国・台湾との領有権問題で揺れる尖閣諸島を2日、本社機から取材した。上空から見えたのは、かつて日本人が生活していた痕跡だった。

 沖縄・那覇空港から西へ約400キロ。出発して40分ほど過ぎると、朝日が照り返す海面に魚釣島が現れた。広さ約3.82平方キロメートル。尖閣諸島の中で最も大きな島だ。周辺にはサンゴ礁に囲まれた北小島、南小島や岩礁が見え、辺りを海鳥が行き交う。

 早朝、東京都の調査団が乗った海難救助船が現れた。海上保安庁の巡視船3隻がその周りを囲むように航行する。海保はふだんから周辺海域に巡視船を派遣し、24時間態勢で警戒する。

 魚釣島は、海辺からしばらくヤシ科のビロウ林が覆う傾斜が続き、島全体が鋭い峰になっているように見える。高いところで標高約360メートル。島の西側には、海岸を逆L字形に削って造った船着き場の跡があった。

 尖閣諸島に日本人が住んでいたのは1890年代後半から1940年にかけて。魚釣島を中心に一時は約250人が暮らした。島には、石垣に囲まれたかつお節製造工場、わらぶき屋根の民家が点在したという。

 魚釣島から南東に約7キロ離れた約0.4平方キロメートルの南小島では、日本人の暮らしの形跡がはっきりと見てとれる。西側の海岸沿い、岩と草木の合間に隠れるように石垣が見える。細かい石が積み上がり、角度を変えて見ると、人が通れるように一部が切り取られていた。

 40年、当時の島の所有者は経営難からかつお節製造の事業継続を断念。再び無人島になった。しばらく静かだった島は、近くの海底に石油資源が埋まっている可能性が指摘され、70年代以降は中国・台湾が領有権を声高に訴え出す。

 魚釣島の船着き場付近には、高さ約6メートルの灯台が立っていた。領土問題が激しくなった78年、東京の政治団体が建設。老朽化して建て替えられた。海上保安庁は2005年、航路標識法に基づく所管航路標識としての管理を始めた。

 8月19日に東京都議ら10人が上陸したのもこの付近だ。灯台の骨組みと近くの岩場には、日の丸がなびいていた。(朝日新聞社機から岡戸佑樹)

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