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10月18日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

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Round 6 使う勇気と使わない勇気
集団的自衛権編「庄説」

どうしてもこのテーマがやりたい、と「集団的自衛権」を選んだ庄司智春。
予想以上に難解だったが、あきらめることなく論説委員に食い下がり、
「庄説」を書き上げた。

ケンカをしないヤツがいたっていい

数カ月前に特定秘密保護法が成立し、今度は、憲法のまわりが、ざわざわしている。

日本国憲法、中でも9条は、日本の平和主義を支えてきた重要な条文で、
戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認などがうたわれている。
僕たちが今、平和に暮らせているのは日本国憲法、
ひいては9条のおかげでもある、と僕は思っている。

この憲法の解釈をいじって、集団的自衛権を使えるようにするための議論が、
政府や与党の間で進められているのだ。

集団的自衛権。
よく聞く言葉だけど、いまいちよくわからないという人も多いんじゃないだろうか。
ものすごく単純にして僕レベルで例えてみてしまうと、どうもこういうことらしい。

A君は、突然X君とけんかになり、殴られた。
そのとき、自分の身を守るため、X君に反撃する。
これは、「正当防衛」ともいえるものだ。 いまの国際社会でも、他国から攻撃された時、
自分の身を守るために反撃する権利が認められている。
これが、「個別的自衛権」だ。

一方、A君と仲のよいB君が、A君に加勢して、X君に反撃する、というのが集団的自衛権だ。
つまり、親しい関係にある他国が攻撃された場合、反撃する権利がある、というのだ。
子どものケンカの場合、これをやると最悪のケースになる気がするけれど……。

日本は、個別的自衛権は使えるが、集団的自衛権は使わない、という方針で戦後70年を過ごしてきた。
ムチャな戦争をしかけて、日本人だけでなく多くの国の人々の血も涙も流したことを教訓に、
戦争を放棄することで、平和な日本をつくるためだった。

その戦後の世界は、国連を中心とした集団安全保障で平和を保とうとしてきた。
国連憲章が禁じている武力攻撃を行った国に、
加盟国が団結して制裁を加えて、平和を取り戻すことを目指すものだ。

それで十分じゃないか、と僕なんかは、思うのだ。

それぞれの国々が強くなるのではなく、国連の集団安全保障をもっと強化すればいいのではないか。
そもそも戦争はしちゃいけないものなんだから。

さっきの例えに戻ると、B君は、A君が他の人から攻撃されれば、反撃しにとんできてくれるのだが、
A君は、B君とX君がケンカになっても加わることなく、
ケンカで壊れた物を直したり、ケガをしたB君の治療をしたりして、B君との関係を築いてきた。

A君とB君は仲良しだが、2人の関係が平等ではない、と考える人もいる。
B君とずっと仲良くしたいA君は、最近、それが気になって仕方がない。
そこで、B君がしてくれるように、B君が攻撃されたら、一緒に反撃することにしようかと思っている。
……いま、安倍政権が集団的自衛権を行使できるようにしようとしているのは、
どうやら、そういうことなのではないか。
なぜ今、集団的自衛権の行使を容認しようとしているのか。
僕みたいなバカには全く理解が出来ないのだが、論説委員の人の解説を聞いているうちに、
僕は、わからないなりに、そう思った。

そう考えていたら、昔の出来事を思い出した。

中学の頃、僕と仲の良い友達が、他校の同級生とケンカをして、
「仕返しがしたいから、手伝ってくれ」と頼んできた。
少し怖かったけど、指定の時間に現場に向かった。
他の友人も一緒に、友達を殴ったヤツが塾から出てくるのを、待ち伏せした。
僕は、塾から出てきた彼を、友達のところに連れていく役だったが、彼の姿が見えると、足がすくんだ。
その隙に、彼と友達はケンカを始めた。他の友人はケンカに参加したが、僕は何もしなかった。
庄司は逃げた、根性無しだ、とからかわれたが、
僕は、不思議と後悔する気持ちになれなかった。
大人になった今でも、ケンカに参加しなくてよかったと思っている。
本当は仲裁する勇気があれば、もっとよかったかもしれないけど。

でも、もしあの時、人を殴ったりしたら、その後の生き方にも悪影響を及ぼしたんじゃないかと思う。
殴らなかったことが、僕自身の正義だ。
一人くらい、平和を愛する、ケンカをしないヤツがいたって、いいじゃないか。

友達とまったく同じことをすれば、その友達と仲良くし続けられるのだろうか。

仲良しとはいえ、他人のケンカに首を突っ込むことが、
平和を維持するのに本当に必要なのでしょうか。
僕は、集団的自衛権の行使を容認すれば、
戦争へ一歩近づくことになるような気がして、どうも心配でならないのだけれど。
集団的自衛権を行使しないと他国からなめられてしまうのかな?
他国からなめられたら、日本は平和ではなくなってしまうのかな?

僕はそうは思わない。

二度とケンカはしない。二度と暴力はふるわない。

失敗から学んで平和を手に入れたのだから、

論説委員から

  •  安全保障がテーマの社説は悩ましい。
     何年も前から、自民党の議員や外務省、防衛省などを取材すると、集団的自衛権を認めるのは当たり前、認めないという方がおかしい!!と言わんばかりの話をされることが多かった。
     この人たちにしてみれば、国民の安全をとにかく守るのが大事だという思いがあるのはよくわかる。実際、北朝鮮の核開発は危ういし、尖閣諸島に対する中国の圧力のかけ方はあまりにしつこい。
     けれど、これまで憲法に従ってずっと守ってきた原則を変えるには、やはり国民みんなで考え抜いた末に結論を出すことが必要だと思う。そのための手順は踏まなくてはだめだ。
     今回、庄司さんには国の自衛権の話をケンカに例えて説明してみた。そんな単純な話ではないと怒られそうだが、集団的自衛権やら集団安全保障やら、わかりにくい話をどうしたらわかってもらえるかと考えた末のことだ。
     庄司さんもそれを受け、中学生の時の体験をもとに庄説を書いてくれた。
     読んでみると、やっぱりそんな単純なことではないよなとは思う。
     でも、もう一度やっぱりこう思うのだ。政府に任せるだけでなく、一人ひとりがとことん考えることが大事。それを抜きにしては、この問題の結論は出せないと。(国分高史)

論説委員プロフィール国分高史

東京五輪の年に生まれ、高校教師か新聞記者かと迷ったすえに1989年朝日新聞入社。佐賀支局、西部社会部(福岡)などをへて95年に政治部。首相官邸、自民党、社民党、外務省などを担当した。社説を書くにあたっては、「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく」(井上ひさし)を心がけるも、悪戦苦闘。

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