メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

10月17日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

新着記事一覧へ

このエントリーをはてなブックマークに追加
mixiチェック

  北方四島(択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島)は1945(昭和20)年夏にソ連軍に占領された。戦後、国際舞台に復帰し、経済力をつける中で「固有の領土」の返還を求める日本と、ソ連・ロシアはすれ違いを続けてきた。安倍晋三首相の訪ロを控え、過去の歩みを振り返る。(松尾一郎、広島敦史、円満亮太、津阪直樹)※肩書は当時 

北方領土

問題の経緯

~1951年
1644年
江戸幕府「正保御国絵図」
1711年
コサックのコズィレフスキーら占守島(ロシアの北クリル諸島)上陸
1713年
コズィレフスキー「海島図」
1754年
松前藩が国後島に「場所(交易地)」開設。
1787年4月
ムロフスキー大佐への海軍省幹部会訓令
1792年
ラクスマンが根室に来航、通商を求める。大黒屋光太夫ら同行
1799年
幕府が南部藩と津軽藩に警備を命じ、実効的支配を確立
1821年9月
アレクサンドル1世勅令。ウルップ島以北での外国人の商業・漁業活動の禁止
1853年2月
ニコライ1世のプチャーチン提督宛て訓令「ロシアに属する最南端はウルップ島」
1855年2月
日露通好条約(日露和親条約)調印
1868年10月
「明治」に改元
1875年5月
樺太千島交換条約署名
1895年4月
日清講和条約調印
1895年6月
日露通商航海条約
1895年11月
ロ・独・仏による「三国干渉」によって清国と「遼東半島還付条約」調印
1905年9月
ポーツマス条約
1917年11月
10月革命、ソビエト政権成立
1918年8月
シベリア出兵(22年まで)
1922年12月
ソビエト社会主義共和国連邦成立
1925年1月
日ソ基本条約調印 日ソ国交樹立
1937年11月
日独伊防共協定調印
1939年5月
ノモンハン事件
1939年8月
独ソ不可侵条約締結
1939年9月
第2次世界大戦勃発
1941年4月
日ソ中立条約調印
1941年8月
大西洋憲章。領土不拡大
1941年9月
ソ連、大西洋憲章参加
1943年11月
カイロ宣言(12月公表)。領土不拡大
1945年2月
ヤルタ会談。ヤルタ協定
1945年4月
ソ連、日ソ中立条約不延長を通告
1945年7月
ポツダム宣言
1945年8月
9日、ソ連が対日参戦
1945年8月
14日、ポツダム宣言受諾
1945年8月
15日、日本敗戦「終戦の詔書」
1945年9月
2日、日本が米艦ミズーリ上で降伏文書署名
1946年1月
連合軍最高司令部訓令(SCAPIN)第677号
1946年2月
南サハリン州の設置。北方領土を含むクリル諸島を同州に編入
1950年6月
朝鮮戦争勃発(53年7月休戦)
~1956
1951年9月
サンフランシスコ講和条約署名(52年4月28日発効)
1951年10月
西村熊雄・外務省条約局長が衆院特別委員会で答弁
1956年2月
森下国雄・外務政務次官が衆院外務委員会で答弁(政府統一見解)
1956年9月
日ソ交渉に対する米国覚書
1956年10月
日ソ共同宣言署名(12月発行)
~2001
1960年1月
ソ連の対日覚書。日米安保条約に反発
1961年9月
フルシチョフ首相から池田勇人首相あて書簡「日本の領土でない領土」
1969年3月
中ソ国境紛争
1972年9月
日中国交正常化
1973年10月
田中角栄首相訪ソ。平和条約締結交渉の継続合意
1979年2月
国後、択捉両島におけるソ連の軍事施設構築に対する声明「北方領土問題の早期かつ平和的な解決の精神に逆行するもの」
1980年3月
国会で「北方領土問題の解決促進に関する決議」及び「アフガニスタンからのソ連軍の撤退等を要求する決議」採択
1981年1月
「北方領土の日」(2月7日)の設定に関する閣議了解
1982年11月
ブレジネフ書記長死去。鈴木善幸首相訪ソ
1983年9月
ソ連軍機による大韓航空機撃墜事件
1984年2月
アンドロポフ書記長死去
1985年3月
チェルネンコ書記長死去。後継ゴルバチョフ氏
1986年1月
シェワルナゼ外相初訪日
1986年5月
安倍晋太郎外相とゴルバチョフ書記長による「日ソ共同コミュニケ」
発言録1986年5月ゴルバチョフ書記長
【安倍晋太郎外相との会談】
「日本は取り上げてはいけない問題を取り上げようとしている。これは国境の不可侵にかかわる。第2次大戦の結果によって、合法性が与えられている問題だ。話し合いは続けていく」
1988年7月
中曽根康弘前首相訪ソ
1989年5月
宇野宗佑外相の訪ソ。シェワルナゼ外相「南の部分を含むクリル諸島のソ連への帰属は、国際法上、歴史上、地理上確実なものである」
1989年12月
マルタで米ソ首脳会談。冷戦終結宣言
1990年10月
ドイツ再統一
1991年4月
ゴルバチョフ大統領、ソ連の元首として初めて訪日。「日ソ共同声明」署名
1991年8月
守旧派クーデター未遂。大統領一時軟禁
1991年9月
中山太郎外相の国連総会演説(対ソ・対露政策五原則)。「法と正義」に基づく解決主張
1991年12月
25日、ソ連崩壊。ロシア連邦誕生
1992年4月
ビザなし交流開始
1992年9月
エリツィン大統領が4日前に訪日キャンセル。「日ロ間領土問題の歴史に関する共同作成資料集」を日ロの外務省が共同で発表
1993年10月
細川護熙首相とエリツィン大統領による「東京宣言
1997年11月
橋本龍太郎首相とエリツィン大統領による「クラスノヤルスク合意」。「東京宣言に基づき、2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くす」
1998年4月
5橋本首相とエリツィン大統領による「川奈合意」。日本側から「川奈提案」
1998年11月
小渕恵三首相とエリツィン大統領による「創造的パートナーシップ構築に関するモスクワ宣言」。ロシア側「川奈提案」拒否
1999年12月
エリツィン大統領辞任。プーチン首相が大統領代行に就任
2000年4月
森喜朗首相訪ロ、プーチン大統領代行と非公式会談
2000年9月
プーチン大統領訪日。森首相との声明
2001年1月
「日ロ間領土問題の歴史に関する共同作成資料集」の新版
2001年3月
森首相とプーチン大統領による「イルクーツク声明
2001~
2003年1月
小泉純一郎首相とプーチン大統領による「日ロ行動計画」合意
2007年6月
独ハイリゲンダム・サミットで安倍晋三首相とプーチン大統領の首脳会談
2008年5月
メドベージェフ大統領就任
2008年7月
北海道洞爺湖サミットで福田康夫首相とメドベージェフ大統領の首脳会談
2009年2月
麻生太郎首相訪ロ
2009年7月
麻生首相とメドベージェフ大統領がイタリア・ラクイラサミットで首脳会談
2009年9月
鳩山由紀夫首相とメドベージェフ大統領がニューヨークで初の首脳会談
2009年11月
質問主意書に対する答弁書(閣議決定) 「ロシア連邦が北方四島を不法に占拠」。ロシア外務省が反発
2010年11月
メドベージェフ大統領、国後島訪問
2011年3月
東日本大震災。ロシアが対日支援
2012年3月
プーチン首相、「始め」「引き分け」発言
発言録2012年3月プーチン首相
【モスクワ郊外での朝日新聞などとの記者会見】
「柔道家は勝つためではなく、負けないために勇気ある一歩を踏み出さなければならない。我々は勝利ではなく、受け入れ可能な妥協に至らなければならない。引き分けのようなものだ。一方に我々の外務省、一方には日本の外務省を座らせ、『始め』の号令をかけよう」
2012年5月
プーチン大統領就任
2012年7月
メドベージェフ首相が2度目の国後島訪問
発言録2012年7月メドベージェフ首相
【国後島への2度目の訪問】
「ここは古来のロシアの土地だ。一寸たりとも渡さない。私はまた訪問するし、諸閣僚も続く」
2013年2月
安倍首相特使として森元首相がプーチン大統領と会談

東京宣言(1993年)

北方四島の名前を列挙。それらの帰属の問題を「歴史的・法的事実」「両国が合意して作った諸文書」「法と正義の原則」に基づいて解決することで、平和条約を早期に締結する方針で合意した。

イルクーツク声明(2001年)

(1)日ソ共同宣言(1956年)は、今後の平和条約交渉の出発点を設定した法的文書と確認し、(2)その上で、東京宣言に基づいて四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結することで合意した。

 樺太千島交換条約(1875年5月7日サンクトペテルブルグで署名、8月22日東京ニ於テ批准書交換)

 「第2款 全露西亜国皇帝陛下ハ第一款ニ記セル樺太島(即薩哈嗹島)ノ権理ヲ受シ代トシテ其後胤ニ至ル迄現今所領『クリル』群島即チ第一『シュムシュ』島(略)第十八『ウルップ』島共計十八島ノ権理及ビ君主ニ属スル一切ノ権理ヲ大日本国皇帝陛下ニ譲リ而今而後『クリル』全島ハ日本帝国ニ属シ東察加地方『ラパツカ』岬卜『シュムシュ(占守)』島ノ間ナル海峡ヲ以テ両国ノ境界トス」

 ポーツマス条約(1905年9月5日署名)

 ロシアは日本に樺太南部を譲与。「其ノ譲与地域ノ北方境界ハ北緯五十度卜定ム」

 大西洋憲章(英米共同宣言)(1941年8月大西洋上で英米署名、同14日公表)

 「一、両国ハ領土的其ノ他ノ増大ヲ求メス」(領土不拡大)

 カイロ宣言(1943年12月1日公表。英、米、中華民国)

 「同盟国は自国のために何らの利得をも欲求するものにあらず、また、領土拡張の何らの念をも有するものにあらず」(領土不拡大)

 ヤルタ協定(1945年2月11日のヤルタ会談で英米ソ署名、46年2月11日、米国務省より発表)

 「三 千島列島がソヴィエト連邦に引き渡されること」

 ポツダム宣言(1945年7月26日英、米、中華民国)

 「八 『カイロ』宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」

 J・V・スターリン首相発、H・トルーマン大統領宛親展密書(1945年8月16日)

 「一、日本軍がソ連軍に明け渡す区域に千島全土を含めること。これは、ヤルタにおける三ケ国の決定によりソ連邦の所有に移管されるべきものです」

 

 連合軍最高司令部訓令(SCAPIN)第677号(1946年1月29日)

 「三 この指令の目的から日本と言ふ場合は次の定義による。(略)日本の範囲から除かれる地域として(略)(c)千島列島、歯舞群島(水晶、勇留、秋勇留、志発、多楽島を含む)、色丹島」
 「六 この指令中の条項は何れも、ポツダム宣言の第八条にある小島嶼の最終的決定に関する連合国側の政策を示すものと解釈してはならない」

 ロシア共和国ハバロフスク地方の構成に入る南サハリン州の設置に関するソ連邦最高会議幹部令(1946年2月2日)

 「南サハリン及びクリル諸島の領域に豊原市を中心とする南サハリン州を設置し、これをロシア共和国ハバロフスク地方に編入する」

 サンフランシスコ講和条約(1951年9月8日署名、52年4月28日発効)

 「第2条(c)日本国は、千島列島並びに日本国が1905年9月5日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」

 日ソ共同宣言(1956年10月19日署名、12月12日発効)

 「ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする」

 ソ連政府の日本政府に対する覚書(1960年1月27日)

 「ソ連政府は、日本領土からの全外国軍隊の撤退及びソ日間平和条約の調印を条件としてのみ、歯舞及び色丹が1956年10月19日付ソ日共同宣言によって規定されたとおり、日本に引き渡されるだろうということを声明することを必要と考える」

 フルシチョフ首相書簡(1961年9月25日池田勇人首相宛て)

 「領土問題は一連の国際諸協定によつてすでに解決されている」

 「北方領土の日」設定等に関するソ連側口頭声明(1981年1月20日)

 「存在しない『領土問題』を人工的にあおるために日本政府がどのような措置をとろうとも、ソ連の立場がこのために変わることはありえないことを、日本政府は明確に理解すべきである。この立場は極めて明確である。即ち、ソ日関係にはいかなる領土問題も存在しない」

北方領土をめぐる参考文献

【書籍(日本で出版されたもの)】

【パンフレット・論文】

  • 「われらの北方領土 2012年版」(外務省)
  • 「日露間領土問題の歴史に関する共同作成資料集 1992年版、2001年版」(日本外務省、ロシア外務省)
  • 「北方領土問題の経緯」(『調査と情報』697号)塚本孝
  • 「Foreign relations of the United States, 1948. The Far East and Australasia」(米国務省)
  • 「Foreign relations of the United States, 1949. The Far East and Australasia」(同)
  • 「Foreign relations of the United States, 1951. Asia and the Pacific」(同)
  • 「U.S. Draft made on August 5, 1947」(同)
  • 「U.S. Draft made on November 2, 1949」(同)
  • 「U.S. Draft made on December 29, 1949」(同)

朝日新聞官邸クラブ 公式ツイッター

※Twitterのサービスが混み合っている時など、ツイートが表示されない場合もあります。

注目コンテンツ