尖閣諸島 過熱する主張
尖閣諸島の国有化に中国が強く反発し、島の領有権をめぐる問題が日中関係を揺るがせている。互いに譲らない主張の根拠は、どこにあるのか。過去からの経緯を詳しくたどる。(金順姫、守真弓、五十川倫義)※肩書は当時


調印。台湾とその付属島嶼を日本に割譲
・清国は台湾全島及びその付属諸島嶼(とうしょ)を割譲する
をまとめる
・同盟国の目的は、第1次世界大戦の開始以後において、日本国が奪取し、または占領したる太平洋における一切の島嶼を剥奪(はくだつ)すること。並びに満州、台湾及び澎湖島のごとき日本国が清国人より盗取したる一切の地域を中華民国に返還すること
受諾。日本敗戦
・カイロ宣言の条項は履行せらるべく、また、日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国並びに吾等(われら)の決定する諸小島に局限せらるべし
調印。第3条により、「北緯29度以南の南西諸島」は米国の施政下に
・日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する
・日本国は、北緯29度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む)、孀婦岩(そうふがん)の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む)並びに沖ノ鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくとする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ、かつ可決されるまで、合衆国は領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする

尖閣諸島とは、東シナ海に点在する五つの島と三つの岩礁を指す。いずれも沖縄県石垣市に含まれ、最も大きい魚釣島の面積は約3.8平方キロメートル。諸島すべてを合わせても5.5平方キロメートルほどの、小さな無人島の集まりだ。
石垣市によると、「尖閣」という名称は1900年に沖縄県師範学校の教諭が考え、命名されたという。尖(とが)った岩が多いことに由来するとみられる。
日本政府が尖閣諸島を領土に編入するかどうかの調査を始めるきっかけになったのは、福岡県の実業家、古賀辰四郎氏が1885年に沖縄県令へ申し出た久場島の開拓許可だ。古賀氏は前年に魚釣島などを探検・調査し、アホウドリの羽毛や、魚介類の採取で商機があると判断していた。
少なくともこの時点までは、尖閣諸島は「誰にも所有されていない『無主の地』だった」というのが日本政府の考え方だ。
明治時代の尖閣列島。島民と共に記念写真に収まる猟銃を手にした古賀辰四郎=古賀花子さん提供

一方、中国政府は現在、「中国人が最も早く釣魚島(魚釣島の中国名)を発見し、命名、利用した」と主張。島名が初めて文献に登場するのは、明時代の1403年に書かれた航海案内書「順風相送」だというのが、根拠の一つだ。魚釣島が「釣魚嶼」と称されていた。
ほかにも、「籌海(ちゅうかい)図編」(1561年ごろ)の図で魚釣島を明の防御地区に組み入れている▽琉球の正史「中山世鑑」(1650年)で「久米島は琉球の領土だが、赤嶼(日本名・大正島)及びそれ以西は琉球の領土ではない」としている――などと列挙。「中国の領土の一部だ」としている。
ただ、中国では王朝ごとに勢力範囲が変わった。村井友秀・防衛大教授(国際紛争論)は「中国にとって『国』とは中華文明の光が及ぶ範囲で、勢力によって国境は拡大、縮小してきた。『固有の領土』という概念自体、存在しない」という。
日本政府は、中国側が挙げる資料はどれも島々が発見、認知されていたことを表すだけで、中国が実効支配していたことを示すものでないという立場だ。「尖閣諸島に対する中国の領有権の主張を裏付けるに足る、国際法上での有効な論拠とは言えない」(外務省)と主張する。

日本政府は1895年1月、尖閣諸島を領土に編入することを閣議決定した。85年から慎重に調査し、どの国の支配も及んでいない土地(無主地)だと確認したうえでの決定で、「国際法上で領有権取得が認められる『先占』という方法に合致する」との立場だ。
尖閣の領土編入は、日本が勝利した日清戦争の時期と重なる。中国側にとっては、中国の土地が戦争の混乱の中でかすめとられたと映る。
明治30年代の尖閣列島、魚釣島の船着場。岩礁を掘り下げて作られた
中国がその根拠とみるのは、85年の日本政府の文書だ。
1通は、沖縄県令が山県有朋内務卿に宛てた書簡
。沖縄県と清の福州の間にある無人島を調べた結果として「(中国の文献にある)釣魚台、黄尾嶼、赤尾嶼と同一のものではないと言い切れないので、指示を仰ぎたい」とした。
「清の新聞が自国の領土である花瓶嶼や彭隹山を日本が占領するかもしれないなどとの風説を流し、清の政府や民衆が日本に猜疑心を抱いている。こんな時に久場島、魚釣島などに国標を建てるのはいたずらに不安をあおるだけで好ましくない。国標を建て開拓等に着手するのは他日の機会に譲るべきだ」
もう1通は、この結果を受け、井上馨外務卿が山県内務卿へ送った書簡。清の新聞が自国の島を日本が占領するかもしれないと報じたことを挙げ、「清の政府や民衆が日本に猜疑心(さいぎしん)を抱いている時に久場島、魚釣島などに国標を建てるのはいたずらに不安をあおる」と指摘。国標を建てたり、開拓に着手したりするのは「他日の機会に譲るべきだ」としている。
その後、沖縄県が90年、93年の2度、「無人島なので国の標杭を建ててほしい」と要望したが、政府は返答しなかった。
しかし、日清戦争の勝利がほぼ確実となった94年12月になると対応が変わる。野村靖内相が陸奥宗光外相に「昔とは情勢が異なる」と日本領編入の閣議決定を求め、翌月に実現した。
中国はこうした経緯から、日本が日清戦争に紛れてひそかに盗み取り、下関条約
の締結によって台湾の「付属島嶼(とうしょ)」として正式に日本へ譲り渡された、と主張する。
・清国は台湾全島及びその付属諸島嶼(とうしょ)を割譲する
これに対し、日本政府は「書簡は、当時清国に尖閣諸島が属さないということを前提にして我が国がいかに丁寧、慎重に領土編入の手続きを進めたかを示すもの」(玄葉光一郎外相)だと反論。当時、日本が清の領有権を認識していたということは、「この文書からはまったく読み取れない」との見解だ。
明治時代の尖閣列島。鰹節を天日で干している様子

編入翌年の1896年、政府は魚釣島、久場島、北小島、南小島の4島を30年間、無料で古賀氏に貸与すると決定。石垣市によると、その後は有料貸与に変わったが、古賀氏は羽毛の採取事業などを続け、1909年には尖閣諸島の人口は248人に達した。外務省によると、この間、日本の実効支配に対し、どの国からも抗議はなかった。

1945年8月、日本はポツダム宣言
の受諾を決め、敗戦した。宣言では、日本が「盗取」した満州(中国東北部)、台湾、澎湖島などを「中華民国に返還する」とした、43年のカイロ宣言
の履行を求めた。
・同盟国の目的は、第1次世界大戦の開始以後において、日本国が奪取し、または占領したる太平洋における一切の島嶼を剥奪(はくだつ)すること。並びに満州、台湾及び澎湖島のごとき日本国が清国人より盗取したる一切の地域を中華民国に返還すること
・カイロ宣言の条項は履行せらるべく、また、日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国並びに吾等(われら)の決定する諸小島に局限せらるべし
中国政府は、カイロ宣言とポツダム宣言などに基づき、尖閣諸島は中国に返還されたと主張する。一方、日本政府は「領土の処理はポツダム宣言などの政治文書でなく、最終的には平和条約をはじめとする国際約束で行われた」(外務省)との立場だ。
1943年11月、カイロ会談での蒋介石・中華民国主席(前列左)とルーズベルト米大統領(同右)=AP
国際約束とは、1951年、日本が米国など48カ国と結んだサンフランシスコ講和条約
を指す。条約では日本が台湾、澎湖諸島を放棄するほか、尖閣諸島を含む「北緯29度以南の南西諸島」などは米国の施政下に置くことを定めた。
・日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する
・日本国は、北緯29度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む)、孀婦岩(そうふがん)の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む)並びに沖ノ鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくとする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ、かつ可決されるまで、合衆国は領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする
戦後、中国では大きな変化が起きた。
沖縄の領有に強い関心を示していた蔣介石総統が率いる国民党は共産党との内戦に敗れ、49年に台湾に逃亡。大陸では共産党の毛沢東主席が中華人民共和国の建国を宣言し、台湾の中華民国と分断された。共産党側は「沖縄は日本の一部」という立場をとっていた。
共産党機関紙の人民日報は53年1月、琉球諸島は尖閣諸島を含む7組の島々からなると記載。58年に中国で発行された世界地図集でも、尖閣諸島を沖縄に属するものとして扱った。
日本外務省は、尖閣諸島が米国の施政下に置かれた際も中国は「何ら異議を唱えなかった」とし、「従来、日本の領土であることが当然の前提とされていたことの証左だ」とみる。米国は施政権を行使し、大正島、久場島を軍の射爆撃場に使ったが、これにも中国は抗議していない。
尖閣諸島のなかで最も沖縄本島寄りにある大正島(赤尾嶼)。最も高いところが82メートル、面積4ヘクタールの長く切り立った岩場の島は、米軍の射爆場だった。断がいには今も砲弾の跡があちらこちらに残る。島影が艦船に見立てやすいことも理由だった=2001年4月、朝日新聞社ヘリから
ただ中国政府は現在、「一貫して領有権を主張していた」と強調する。「サンフランシスコ講和条約は当時から承認していなかった」「58年の領海に関する声明で、台湾とその周辺諸島は中国に属すると宣言した」と説明している。

中国、台湾が尖閣諸島の領有権を公式に主張し始めたのは、1971年に入ってからだ。同年6月17日に日米が署名した沖縄返還協定で、日本に施政権が返還される地域に尖閣諸島が含まれたことが背景にある。
台湾外交部(外務省)は6月11日、尖閣諸島の日本移管に抗議する声明を発表。中国も半年後の12月30日、外務省声明を出し、「釣魚島などの島々は台湾の付属島嶼で、台湾と同じように中国の領土の不可分の一部」とし、尖閣の日本移管を「全く不法」だとした。
また、この時期に中国や台湾が領有権の主張を始めた別の理由として、「石油資源が目当てだった」との見方も日本側には根強い。
国連アジア極東経済委員会(ECAFE)は69年の報告書で、前年に日本と台湾、韓国の専門家らが実施した学術調査の結果、東シナ海に石油資源が埋蔵されている可能性を指摘した。「これをきっかけに中国や台湾の領有権の主張が始まった」と日本政府はみる。
一方、尖閣周辺には台湾の漁民が頻繁に漁に訪れていた。1921年に台湾銀行がまとめた「台湾之水産業」によると、16年には赤尾嶼(大正島)付近に出漁し、その後漁場が拡大したという。
台湾はいまも、尖閣諸島を「釣魚台列嶼」と呼び、領有権を主張している。
サンフランシスコ講和条約にのっとり、尖閣諸島は沖縄県の一部として米国の統治下におかれた。だが、条約は最終的な帰属先を示していない。
領土問題に詳しいカナダのウォータールー大学の原貴美恵教授によると、条約の初期の草案には小笠原諸島や沖縄も日本に放棄させると明記していた。
ところが最終版は、日本の主権を放棄させるものでも、主権を確認するものでもなくなった。原氏は、冷戦の開始がこの変化の一因だと分析。「反米陣営に染まりかねない近隣国と日本の間に領土問題という将来の係争の種を残し、米国が日本に足場を残し続ける構造を築いた」と指摘する。沖縄の施政権が日本に戻った後も、尖閣諸島について米国は「主権問題に関しては立場を表明しない」という態度。原氏は日中間で今も続く問題の背景に「アメリカの戦略的あいまい性」があったとみている。

1972年9月。日中国交正常化交渉で北京を訪れた田中角栄首相は、周恩来首相との会談で、唐突に尖閣問題を切り出した。2011年12月に外務省が公開した外交文書には、こうある。
田中首相 「尖閣諸島についてどう思うか。私のところに、いろいろ言ってくる人がいる」
周首相 「今、これを話すのはよくない。石油が出るから、これが問題になった。石油が出なければ、台湾も米国も問題にしない」
日本政府は「日中間に領土問題はない」としており、外務省にとって田中首相の発言は想定外だった。また周首相もここで話を切り上げ、話題を変えた。正常化の妨げになるのを懸念したとみられる。中国側はこうしたやりとりを、尖閣諸島の領有権問題の「棚上げ」に両国が合意したものだと位置づける。
周恩来首相(右)と会談する田中角栄首相(左端)=72年9月25日、北京
張香山・元中国外務省顧問は97年、朝日新聞の取材に、78年の日中平和友好条約の調印直前の次のような場面を明かした。
条約交渉で同年8月に北京に入った園田直外相に、鄧小平副首相が語りかけた。
「中日両国の間には問題が存在しないわけではない。例えば釣魚島問題だ。しかし、今はそれに触れるべきではない。先送りにして今後、ゆっくり議論すべきだ。こういう問題は10年たっても合意できなければ条約も結べない、ではいけない」
この年の4月、約200隻の中国漁船が尖閣周辺に集結し、うち数十隻が領海侵犯を繰り返す事件が起きた。園田外相は言った。「今後、ああいう事件が起こらないようにしてほしい。この問題はここまでにしましょう。これ以上述べればあなたを困らせてしまうし、私も困る」
張氏は園田氏の発言を、「この問題は棚上げするという意味」「漁船の問題だけでなく、領有権の問題も暗示した」と解釈した。
1978年4月15日午前9時ごろ、沖縄県の尖閣列島・魚釣島北15カイリで操業中の中国漁船。12日、尖閣列島周辺に突然、百数十隻の中国漁船が現れ、日本の領海を侵犯した
鄧副首相は78年10月に来日。日本記者クラブでの記者会見
で「国交正常化の際、双方はこの問題に触れないことを約束した。今回、平和友好条約交渉の際も同じく、この問題に触れないことで一致した」と述べたことも、中国側は日中間で棚上げ合意があった結果とみている。
「確かにこの点(尖閣問題)については、双方に食い違った見方がある。中日国交正常化の際も、双方はこの問題に触れないことを約束した。今回、中日平和友好条約を交渉した際も同じく、この問題に触れないことで一致した。中国人の知恵からして、こういう方法しか考え出せない。こういう問題は、一時棚上げしてもかまわない。10年棚上げしてもかまわない。我々の世代の人間は知恵が足りない。次の世代は、きっと我々よりは賢くなる。そのときは必ずや、お互いに皆が受け入れられる良い方法を見つけることができる」
中国政府が2012年9月25日に発表した「釣魚島」に関する白書では、「中日両国が国交正常化と『中日平和友好条約』を締結する際、両国の先代の指導者たちは両国関係の大局に目を向け、『釣魚島の問題を棚上げし、将来の解決にゆだねる』ことについて了解と共通認識に達した」と主張。日本による尖閣諸島国有化を「中日両国の先代の指導者が達成した了解と共通認識に背く」と批判する。
ただ、国交正常化した72年の日中共同声明、78年の日中平和友好条約のいずれも、尖閣諸島に関する記述はない。首脳会談などで、棚上げ方針について明確に一致したわけでもない。
「棚上げや現状維持で日中が合意した事実はない
。そもそも尖閣諸島をめぐって解決すべき領有権の問題は存在しない
」というのが日本政府の立場だ。
「(1972年の正常化交渉での田中、周両首相の会談では)『棚上げ』という言葉も出てこない。それについてのやりとりもない。ましてや、それに(日本側が)同意を与えたような発言もない。これをもっていわゆる棚上げ論になっているということではない」
「尖閣諸島の場合、領土問題は存在しない、これは日本の領土として明確なるものという認識を持っている。棚上げはいかんというお叱りならば私は甘受するが、国益を考える場合、問題の所在を明らかにした上で、それを横に置きながら漁業交渉、そして排他的経済水域の設定というものに努力をする。行政府の責任者として私はこの道を選択した」
田中角栄首相が周恩来首相に、尖閣諸島周辺での石油資源の共同開発を持ちかけた――。72年9月の国交正常化交渉で、2人の会談に同席していた当時の官房長官、二階堂進氏はそう証言していた。
97年に朝日新聞の取材に応じた二階堂氏によると、田中首相が周首相に「油の共同開発を将来、総理、やりましょうか。尖閣諸島の」と提案。しばらく考え込んだ周首相が「田中さん、その話はあとにしましょう」と答えると、田中首相も黙っていたという。
ただ、日本外務省の記録には載っていない。中国課長として同席した橋本恕(ひろし)氏は、朝日新聞に、この会話はなかったとの認識を示した。
一方、中国外務省によると鄧小平副首相は79年5月、訪中した自民党の鈴木善幸衆院議員に「釣魚島付近の資源の共同開発を考慮することができる」と述べた。同省は翌6月、係争の棚上げと共同開発を外交ルートで日本側に正式に提案したともしている。

日中平和友好条約の締結後、中国側は尖閣諸島の領有権は主張しつつ、「棚上げ」の立場から日本の実効支配を黙認。1980年代は、尖閣問題がおおむね沈静化した時期だった。
しかし、90年代に入ると波風が立ち始める。
中国は92年2月、領海法を制定し、「釣魚島」など尖閣諸島を自国の領土と初めて明文化。東南アジアと領有権を争う南沙(スプラトリー)諸島なども明記された。日本は「極めて遺憾で是正を求める」と抗議した。
東京大の松田康博教授(東アジア国際政治)は指摘する。
「70年代当時、仮に尖閣問題の棚上げについて日中双方に暗黙の了解があったとしても、領海法の制定で完全にそれを裏切ったのは中国側だ。合意は中国政府によって壊された」
尖閣問題と直接関係ないが、日中両国が96年に批准した国連海洋法条約も、東シナ海での摩擦の種となった。条約では漁や資源開発ができる「排他的経済水域」(EEZ)を、海岸から200カイリ(約370キロ)までと規定。日本は日中の海岸線から等距離の「中間線」が境界だとするが、中国は沖縄諸島の西の沖縄トラフまで延びる大陸棚での開発の権利を主張する。
尖閣をめぐる両国の国民感情も悪化する。96年7月、日本の政治結社が北小島に「灯台」を建設。9月には抗議行動中の香港の船から活動家5人が海に飛び込み、1人が死亡した。
2004年に中国の活動家らが魚釣島に上陸。小泉政権はこの時、逮捕した活動家を送検せず強制送還した。だが菅政権の10年9月、尖閣沖で中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突した際は、漁船の船長を逮捕・送検して身柄を勾留。中国側は日本が国内法による司法手続きを進めたことに激しく反発した。
「ユーチューブ」に投稿された、海上保安庁の巡視船「みずき」に衝突する中国漁船とみられる映像=2010年9月
日中関係が冷え込むなかで、日中両政府が08年に合意した東シナ海のガス田共同開発は停滞している。共同開発の条約締結交渉は、10年7月以来中断したまま。東シナ海を「平和・協力・友好の海」にするという目標は、かすんでいる。

12年4月16日。石原慎太郎・東京都知事は米ワシントンでの講演で「東京都は尖閣諸島を買うことにした」と表明した。
石垣市によると、古賀氏が貸与され、後に払い下げを受けた諸島のうち、北小島、南小島、魚釣島は1974年以降順次、埼玉県在住の民間人に譲渡。2002年には国が3島の賃借契約を結び、管理していた。
都が3島を購入するため募り始めた寄付金は、どんどん膨らんだ。この動きを受け、野田佳彦首相は5月18日、政府高官らに尖閣国有化の着手を指示。7月7日には「尖閣を平穏かつ安定的に管理する観点から検討していく」と記者団に語った。
中国に強硬な姿勢の石原氏がトップの都が買うより、国が保有した方が中国側の反発は少ないとの判断が政権にはあった。
しかし、国交正常化以来の尖閣「棚上げ」は両国の合意だったとする中国は、国有化は現状を変えることになると反発。認識のズレは広がっていく。
9月9日、ロシア・ウラジオストクでのアジア太平洋経済協力会議(APEC)の場で、胡錦濤(フーチンタオ)国家主席は野田首相に「間違った決定をしないように」と迫った。だが政権は翌10日に関係閣僚会合で国有化を決め、11日には所有権を国に移した。
領海内を航行する2隻の中国の海洋監視船(手前右と奥右)と、ぴったり並走する海上保安庁の巡視船=2012年9月24日、沖縄県石垣市、朝日新聞社機から、山本裕之撮影
この後、中国各地では大規模な反日デモが起き、日系企業が襲われた。9月の国交正常化40周年を記念する行事も中国側が相次ぎキャンセル。一方で尖閣周辺の日本領海に、中国の海洋監視船などが頻繁に侵入を繰り返すようになった。
中国の湖南省長沙で2012年9月15日、暴徒化し、日本車を破壊するデモ隊の一部。運転手は中国人だった=小山謙太郎撮影
「日本が釣魚島などを盗んだという歴史的事実を変えることはできない」
9月27日、国連総会で中国の楊潔篪(ヤンチエチー)外相は訴えた。「盗んだ」という表現は、カイロ宣言を意識したものだ。
中国は尖閣国有化を「反ファシズム戦争の勝利に対する否定と挑戦だ」とし、第2次大戦の歴史を絡めた対日批判を世界中で繰り広げる。「領土問題は存在しない」として尖閣問題への言及を控えてきた日本政府も、中国の宣伝攻勢に対抗するため、最近は領有権の正当性を海外で積極的に訴え始めた。
尖閣諸島は中国からみると、戦略的に重要な場所にある。1982年に内部決定した海軍海洋計画では、沖縄、台湾、フィリピンにつながる島々を「第1列島線」と位置づけた。尖閣諸島や南シナ海は第1列島線より中国大陸側にあり、中国はこのエリアの制海権を確立して「内海」化する戦略だ。
さらに、日本列島からサイパン島、グアム島をつないでインドネシアに至る「第2列島線」内の西太平洋海域への展開も、戦略的目標に据える。尖閣諸島がある海域は、西太平洋に向かう「通り道」でもある。日本にとって、中国のこうした海洋進出は大きなプレッシャーとなる。
中国が進出を図る狙いの一つは、経済成長の伸びを支えるエネルギーの確保だ。東シナ海や南シナ海には石油など地下資源が眠る。また台湾との関係が緊張した場合を想定し、第1列島線の内側を支配することによって、極東米軍の動きを抑え込もうとの狙いもある。米国は南シナ海について「航行の自由は米国の国益だ」(クリントン国務長官)と中国を牽制している。


元外務事務次官 栗山尚一氏
日中国交正常化交渉では共同声明の原案作成に携わった。外務省条約局長、事務次官、駐米大使などを歴任。81歳。(2012年10月31日現在)
1972年の日中国交正常化交渉に外務省条約課長として臨んだ。私は同席しなかったが、田中角栄首相が持ち出した尖閣問題について、周恩来首相が「今はやりたくない」と言い、田中さんもそれ以上追及しなかったと説明を受けた。棚上げ、先送りの首脳レベルでの「暗黙の了解」がそこでできたと当時考えたし、今もそう思う。
78年の日中平和友好条約の時にも、鄧小平副首相が「後の世代の知恵に任せましょう」と言い、福田赳夫首相や園田直外相は積極的に反論しなかった。72年の暗黙の了解が、78年にもう一度確認されたというのが実態だと理解している。
中国が、棚上げについて「日中間の明確な合意がある」と言うことには違和感がある。同時に「いかなる合意も存在しない」という今の日本政府の立場にも、若干、違和感をもつ。
武力を使わず国際紛争を解決するには、三つの選択肢しかない。一つは外交交渉。それが困難なら司法的な解決を求め、どちらもだめだと棚上げ、先送りしかない。日中双方とも現状を変えずに凍結する努力が要り、そのための外交交渉は必要だ。
中国側の現状を変えようとする動きに挑発され、こっちもやろうという人が出てくる。それが今日の状況をつくったのではないか。日中の安定がアジア太平洋全体の平和、発展に持つ重さを考えると、「72年」に関わった者として憂慮している。

清華大学教授 劉江永氏
日本の政治外交を中心とする国際関係論が専門。北京外国語大で日本語を学び、早大留学経験もある。59歳。(2012年10月31日現在)
石原慎太郎知事のもとで東京都が釣魚島(魚釣島)と付属島嶼を購入すると大混乱が起きる、それを避けるために日本政府が購入した、との理屈は、中国としては受け入れられない。
日本による釣魚島の「国有化」を中国側が認める余地はゼロだ。日本側は平穏かつ安定的に管理するためだというが、なぜ中国の領土を日本に管理されなければならないのか、というのが中国側の立場だ。
両国の先達たちの間で、領有権問題を棚上げする政治的な暗黙の了解があった。客観的に見て、領土問題は存在する。
それなのに日本政府が「領土問題は存在しない」「棚上げの合意はなかった」と主張し続け、領土問題に関する両国の外交交渉ができない状態になっている。
それでは民間の対立感情も高まるばかりで、軍事的な衝突にもつながりかねない。
領有権の主張は互いに譲れない。だから、とりあえず棚上げしようというのは中国側の善意だった。しかし、野田内閣は少しも肯定的、建設的に応えようとしていないように思う。「棚上げ」はすでに過去のものとなってしまい、中国海洋監視船による釣魚島海域を巡るパトロールは常態化している。
今後、どうやって両国関係の悪化の局面を転換できるのか。日中が十分に意見交換し、政策を詰めていかなければ、打開策は見いだせない。
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