東京23区で唯一「消滅可能性都市」との指摘を受けている東京都豊島区。そこで区は、池袋駅周辺を中心に「女性と子育て世代が住みよい街づくり」に力を入れている。駅を東西につらぬく歩行者用の地下道の「再生」…[続きを読む]
新大塚駅から歩いて10分ほど。「生類憐(あわ)れみの令」で知られる徳川5代将軍・綱吉が建てた護国寺(東京都文京区)の境内で、台風一過の昼時に出迎えてくれたのは――。 驚くほど無防備に、おなかを丸出…[続きを読む]
列車の窓から急に太陽の光が差し込む。地下鉄なのに駅は地上にある。車内にアナウンスが流れた。「茗荷谷駅では発車サイン音が鳴りません」。ホームドアには「始発~7時半、22時~終車 ブザーの鳴動を中止させ…[続きを読む]
「後楽園」は、水戸黄門で知られる徳川光圀の命名だ。この一帯には江戸時代、水戸徳川家の上屋敷があった。その庭園の一部が現在の「小石川後楽園」である。為政者の心得を説いた「岳陽楼記」は、「天下の憂いに先…[続きを読む]
本郷三丁目の交差点に目をひく7階建てビルがある。1階に「かねやす」の文字、横の壁には「本郷も かねやすまでは 江戸の内」と川柳が記されている。口中医(歯科医)の兼康祐悦(かねやすゆうえつ)が「乳香散…[続きを読む]
御茶ノ水は、神田川にかかる数々の橋が絵になる街だ。白いアーチの聖橋。その東側を、JR中央線と総武線の鉄橋が渡る。その下をくぐるように、丸ノ内線が地上に一瞬だけ顔を出す。1956年に開通した銀色の橋が…[続きを読む]
淡路町駅のA3出口を出てすぐ、東京都千代田区神田淡路町2丁目は、明治創業のそば店など古い建物が並ぶ。まるで時が止まったような街の一角に、真空管とオーディオ装置を売る店があった。 「アムトランス」の…[続きを読む]
地下鉄5路線が乗り入れる大手町駅。1956年、最初に開業したのが丸ノ内線だ。敗戦で一帯のビルは連合軍に接収され、オフィス街の中心は京橋、日本橋だった。丸ノ内線は御茶ノ水から神田方面に延伸される計画だ…[続きを読む]
長さ335メートル、風格のある赤れんが駅舎。大正期の姿に復元された東京駅丸の内駅舎を展望できる場所が、駅前の大型複合ビル3棟に設けられている。 2013年に開業したKITTE(キッテ)6階の屋上庭…[続きを読む]
「Two」「Three」。小倉、桜、けしなど焼きたての各種あんぱんが並ぶ「銀座木村家」では、アジア系、欧米系などの旅行者が、欲しいパンを指さしては買っていく。 1869年創業。米と麴(こうじ)で作…[続きを読む]
駅前にある日比谷公園の中心に「首賭けイチョウ」がある。推定樹齢400~500年、幹回り約7メートルの大木は、公園のシンボルであり、写真撮影の人気スポットにもなっている。 元々は日比谷交差点近くにあ…[続きを読む]
政治家がよく言う「1丁目1番地」。政治の中心、永田町の「1丁目1番」には、国内の標高の基準がある。議事堂前の木立の中にある「日本水準原点」だ。 三脚に据えた器具で高さを測る光景を、工事現場などで目…[続きを読む]
酔客が行き交う夜の赤坂に「東京野菜」ののぼりが揺れていた。6月に開店したレストラン「Tokyo Bistro SCOP」は都内産の食材を使った料理をふるまっている。 経営する「エマリコくにたち」の…[続きを読む]
地下鉄が空の見える地上に出ると、そこが四ツ谷駅だ。ホームからは上智大学のグラウンドと聖イグナチオ教会が見える。 カトリックの同教会では、現在、7カ国語でミサを行っている。日本語、そして英語、スペイ…[続きを読む]
新宿荒木町を守ってきた金丸稲荷神社の隣にある「とんかつ鈴新」は、とんかつの上に卵とじをかける「かけかつ丼」が名物だ。だしで煮て卵でとじる普通のかつ丼と違って、とんかつがサクサクのままだ。 7年ほど…[続きを読む]
御苑の森を背に徒歩1分。路地を入ると、太宗寺がある。安土桃山期が起源といわれる古刹(こさつ)だ。 閻魔(えんま)像の迫力がすごい。高さ約5・5メートル。太い眉をつり上げ、上から目線でぎろり。耳まで…[続きを読む]
やまない人波、鳴り響くクラクション――。眠らない街とされる東京・新宿。ビルが立ち並ぶ大通り沿いの谷間に、ちょっとした空間がある。歩みを進めると、両脇に並ぶイチョウの木、その先の赤い鳥居が目に飛びこむ…[続きを読む]
人混みをかき分けて地上に出ると、大画面が目に飛び込んでくる。新宿アルタは1980年に誕生し、待ち合わせの定番スポットとして多くの人が集う。 地下2階、地上7階で、屋上にはバスケットコートを備える商…[続きを読む]
老夫婦の遺品に色あせた店の写真が残っていた。 その「三浦家(みうらや)」は東京・西新宿の路地にあったタコ焼き屋だ。写真は古く「一箱 一五〇円 28ケ」と価格表も見える。三十数年前に学生だった記者も…[続きを読む]
「ゾウの牙、見せて下さい」 駅から徒歩5分、東京都中野区の宝仙寺には多いときは月に数人、こう言って訪ねてくる人がいる。 1728年、中野村(現・中野区)ではベトナムから来たゾウが飼われていた。寺…[続きを読む]
駅の階段を下った先の細長い地下ホームを早足に奥に向かう。気分は、謎の日本人女性を追う英国諜報(ちょうほう)機関の大物スパイだ。 中野新橋駅で1966年、映画「007は二度死ぬ」がロケをした。潜入し…[続きを読む]
駅名に「中野」とつくが、すぐ脇の神田川の橋を渡ると、杉並区だ。岸に立つ石碑は、関東大震災を受けて、区画整理で宅地開発した歴史を伝える。 碑を背にして駅前の通りを眺めると、電飾看板が目に飛び込む。地…[続きを読む]
本堂の屋根に載る不思議な形の物体は、境内の木立に遮られて、周りからは少々見えづらい。丸ノ内線の車庫への支線だった路線の終着駅から南へ徒歩5分、東運寺に着く。視界に入った黒い物体の正体は? 大村知彰住…[続きを読む]
江戸の「3大横丁」。諸説あるものの、多くは鍋屋横丁を一つに挙げる。江戸中期、妙法寺(東京都杉並区堀ノ内3丁目)が厄よけで有名になり、青梅街道には多くの参拝客が行き交った。街道沿いの休み茶屋「鍋屋」は…[続きを読む]
明治時代、日本の近代化、経済発展の礎ともなった養蚕業。その養蚕の最先端技術を研究していた国の試験場の跡地は今、市民の命を守る東京都杉並区立の防災公園に生まれ変わっている。 「蚕糸の森公園」は駅至近…[続きを読む]
毎月1度、23日にだけ開帳されるお堂がある――。うわさを聞いてやって来たのは「妙法寺」。 新高円寺駅周辺には多数の寺院があるが、多くは関東大震災以降に浅草などから移転してきた。だが妙法寺は400年…[続きを読む]
駅から北に延びる旧権現通りに入ると、すずらんを模した街路灯とれんがの歩道が迎えてくれる。すずらん通り商店街だ。そのままアーケードのあるパールセンター商店街に入り、JR阿佐ケ谷駅に至る。 同じ通りな…[続きを読む]
のれんをくぐると、コの字のカウンターにかめが二つ。60年以上もしょうゆや砂糖を足しながら、使い続けてきた秘伝のタレだ。どぽっと串を入れ、手際よく焼いていく。注文を受けたおかみの「はいよー」の声が心地…[続きを読む]