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日本の食について語るときに、わさびは昔から欠かせない食材だった。欧米でも和食ブームに乗り、いまや料理に使われることも珍しくない。日本原産の薬味として世界に通じる食材となったわさびに光をあて、食生活に与えた影響やその魅力に迫る。

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店先に並ぶ1キロ2万4000円の御殿場産わさび

静かな山あいにあるわさび田。青々とした葉が生い茂る

太陽の光で輝く湧き水(写真左上)田代恵一さん(同下)苗の上に石を置いて育てる「いしうえ」栽培(写真右)

山肌には台風による土砂災害の痕跡が残る。緑に囲まれていたという沢はコンクリートの水路になった

その1「日本一」を求めて

全国からえりすぐりのわさびが集まる東京・築地市場。青果売り場のなかで、老舗仲卸「くしや」の店先に並ぶわさびは、ひと際目立つ。値段は1キロ2万数千円。隣の水産売り場のマグロより高い。

店先に並ぶ1キロ2万4000円の御殿場産わさび

このわさび、都心の高級寿司(すし)店から遠く海外まで客を呼ぶそうだ。「くしや」の杉本雅弘社長は言う。「このわさびで食うマグロやヒラメの味を知ったら、もうこれなしには食えないね」

プロの目利きにこうまで言わせるとは、どんなわさびなのか。生産者の静岡県御殿場市の農家・田代恵一さん(43)を訪ねた。

湧き水にさらす

田代さんのわさび田は山あいを流れる川沿いに点在する。湧き水が豊富な地域だ。水温は一年を通じてほぼ10―13度。わさび田にはこの湧き水を引いている。田全体に均等に水を行き渡らせるために地面に緩やかな傾きをつけている。ただ、それぞれの田は大きさも違えば形も違う。日当たりや土地の傾斜などによって、つくりを微妙に変えているのだという。

静かな山あいにあるわさび田。青々とした葉が生い茂る

栽培の仕方もさまざまだそうだ。田代さんが採り入れているのは「いしうえ」という手法。苗の上に石を置いて育てることからそう呼ぶそうだ。「ちょこんと植えるが語源といわれる『ちょんうえ』のほか、苗をパイプで覆うことで外敵から守る栽培法もあるようです」

「いしうえ」だと、わさびは横に倒れたような状態になり、水平方向に成長する。ほぼ全体が湧き水にさらされ、鮮やかな緑色になるのだという。

太陽の光で輝く湧き水(写真左上)田代恵一さん(同下)苗の上に石を置いて育てる「いしうえ」栽培(写真右)

栽培歴20年でも…

田代さんは父・薫さん(78)の跡を継いでわさび栽培を始めた。キャリアは約20年。今なお、失敗することがあるそうだ。

2016年、一つのわさび田では親指の先端ぐらいの大きさにしかわさびが育たなかった。田代さんが育てるのは「真妻」(まづま)と呼ばれる品種だ。苗から出荷できる大きさに育つまで1年半から1年10カ月かかる。ほかの多くの農作物と違って、苗植えから収穫までの期間が長い。

それだけに、いざ収穫という時に売り物にならない程度にしか育っていないのはつらい。「失敗した原因ははっきりとはわかりません。オヤジがやればこういう失敗はないんですけどね」と田代さん。父親の薫さんにあって、田代さんにはないもの。それは経験からくる勘であり、それこそがわさび栽培には大切だという。

豊富な湧き水、強い日差しを避けること、浸透性が良い土。田代さんによると、この三つがわさび栽培には欠かせない。わさびの成長の程度によって水量を変えたり、水の浸透がよくなるように土を混ぜたり、日差しの強さに応じて黒いビニールシートで覆ったり。これらの作業がわさびの成長に大きく影響するという。そして同じ作業を続けていても、理想通りに育つとは限らない。

山肌には台風による土砂災害の痕跡が残る。緑に囲まれていたという沢はコンクリートの水路になった

全滅を乗り越えて

10年9月のことだ。台風で洪水が起きてわさび田は全滅した。周囲には当時の爪痕が残る。「わさび栽培は自然と隣り合わせだから仕方がない」と薫さん。

ゼロからのわさび田づくりを余儀なくされた。父親の薫さんの尽力もあったが、元の姿に取り戻すのに6年近くかかった。

「うちのわさびを待ってくれている人がいる間はやめるわけにはいきませんよね」と田代さんは笑う。

【動画】最高級のわさびは、ここで栽培される。田代恵一さんが育てる「御殿場わさび」

「男前」のわさびを手にする仲卸「くしや」の杉本雅弘社長

@築地

最高のわさびは「男前」

築地市場の老舗仲卸「くしや」の杉本雅弘社長は、田代家のつくるわさびを20年以上仕入れ続けている。父親の薫さんの代からの付き合いだ。

「男前」のわさびを手にする仲卸「くしや」の杉本雅弘社長

静岡・伊豆や長野、秋田、岩手、東京・奥多摩……主な産地のわさびはほとんど食してきた。

そのなかでも杉本社長が「ほれた」のが田代さんのわさびだ。「群を抜いてうまいし、見てくれもいいんだよな」

杉本社長の評価基準

色合いと香り、粘り、辛み、甘み――。この5点で評価したときにすべてが満点に近くないと杉本社長は「ほれた」とは言わないそうだ。「うまいわさびは、おろした時に鮮やかな緑になる。ツンとくる香りも独特だ。粘りもある。パンチのある辛みも。しばらくしてやってくるほのかな甘みもある。田代のわさびと他のとの一番の違いは甘みだろうな」

田代さんのわさびの中にも、杉本社長がつける値段には幅はある。安いものは1キロ6千―8千円だが、最高のものだと2万数千円。最高のわさびは見た目が違うという。杉本さんはそれを「男前」と表現する。

その特徴はこうだ。形は真っすぐで、でこぼこがない。茎の色は紫色。葉っぱが落ちた跡のボツボツが均一になっている。近くで見ればわかるらせん状の線の間隔も一定である。「男前のわさびは最高にうまい。そうじゃないと、普通の4倍の値段はつけられないよ」

仕入れた分は1週間足らずでほぼ売り切れてしまうという。ニューヨークから買いに来た料理人もいたそうだ。

杉本社長は、わさびには日本の食文化を豊かなものにする役割があると信じている。「寿司にしても刺し身にしても、わさびって主役じゃないでしょ。しかも、店で出す時はタダなんだよ。買うときはたいていの主役より高いのにさ。それでも、その価値を認めて買ってくれる料理人がいる。それを求めるお客がいるからでしょ」

そしてこう継いだ。「寿司屋でわさびがほしければ『ナミダ』をくれっていえば通じる時代があった。そういう言葉遊びが生まれ、コミュニケーションが進む。わさびにはそういう力もあると思うんだよね」

おろし立てのわさびは香りがパーッと広がる。ネタによってわさびの適量を見極めるのが腕の見せどころだ

@赤坂

「一目ぼれの味」

東京・赤坂の一角にある「築地すし好JIN仁」。店長の佐藤剛生(さとう・たけお)さん(45)も田代さんのわさびに「一目ぼれ」した。5年前の開店以来ずっと使い続けている。仲卸の「くしや」の杉本社長の薦めで購入したのがきっかけだ。初めて出合った時のことを振り返る。「すりおろした時の粘り、香り、味ですね。これらが三位一体になっていたというか。これまで味わったわさびと全然違っていました」

【動画】鮫皮おろしで、わさびをゆっくりとすりおろす

客の反応もいいそうだ。わさびの量を自分で調整するために、わさびだけを別皿で頼むのだという。「そういう方はお出しするとまずわさびだけで味見をされますね。その時、『うまいね』とか『これまで食べたなかでピカイチ』だという声を聞きます」

そんな客の期待に応えるためにも、注文を受けてからすりおろすのをこだわりとしている。「わさびは空気に触れて初めて辛みや香りが出てくるんですけど、その瞬間から辛みも香りもどんどん抜けていってしまうんです」。鮫(さめ)皮おろしでゆっくりとおろしていくと香りがパーッとひろがっていく。お客さんがすぐに「いい香りだね」と反応してくれる。それも寿司を握る楽しみだという。

おろし立てのわさびは香りがパーッと広がる。ネタによってわさびの適量を見極めるのが腕の見せどころだ

ネタで見極める

19歳で寿司職人を目指してこの世界に入った。「それまでわさびは全くダメでした」と佐藤店長。修業を積んでいくうちに、わさびに魅入られていった。「ネタだけだと、なんか物足りないというか、食べてても飽きちゃうんです。それがわさびのツンとくる爽やかな感じがあると全然違うんですよ」

わさびは量の加減が重要だという。多すぎるとネタの味を壊してしまうし、少なすぎると物足りない。「ちょうどバランスがあった時に、寿司は最高においしくなります」

ネタによってその適量を見極めるのが腕の見せどころだという。大トロなど脂気が強いもの、アナゴなど味が濃いものはわさびが利きづらいので、やや多めにつける。ヒラメやイカといったあっさりした味わいのものにはわさびが利きやすいので、少なめにする。

「わさびにはネタがシャリから滑らないようにする役割もありますね」と佐藤店長。数の子やアワビなど水っ気が強く、硬いネタにわさびを使えば滑り落ちにくくなり、ネタとシャリがなじむ。粘りがあればなおさらだ。

場所柄、外国人客も多い。「アジア系だろうが欧米系だろうが、外国の方はわさびが大好きですね。たいていはわさびを別皿でリクエストしてきます」

わさびはガリと同じで客に提供するときは無料だが、佐藤店長の店では一、二を争う高級品だ。「初夏の時期だとシンコの次に高いでしょうね。でも、いいんです。外せないものなんで」

佐藤店長はいつも、氷を入れた器にわさびをのせ、客の目につく場所に飾っている。このわさびも店の看板になっているのだ。

【動画】わさびへの繊細なこだわりを語る「築地すし好JIN仁」の店長・佐藤剛生さん
【動画】わさび農家をバイオの力で支える「三好アグリテック」

@山梨

バイオの力

田代さんが作るわさびには豊富な湧き水など自然の力は欠かせない。だが、バイオテクノロジーの恩恵も受けている。

わさびは商品として価値のあるレベルにまで栽培するのは簡単ではない。だが、繁殖させるのも難しい。種から育てたり、株分けしたりしても病気にかかりやすいなどの理由で良質なわさびを安定的に作れないのだという。

【動画】わさび農家をバイオの力で支える「三好アグリテック」

そこで登場するのがわさびのクローン苗だ。山梨県の種苗会社「三好アグリテック」に良質なわさびを提供し、同じ質の苗を大量に再生産してもらう。わさびの主な生産地である静岡や長野の農家約100軒が田代さんと同様にクローン苗の生産を同社に委託しているという。

わさび 日本のフレーバー

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