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特待生問題、模索の一歩―高校野球のかたち〈4〉

2007年12月06日12時05分

 9月、明桜(旧・秋田経法大付)でオープンスクールが開かれた。例年は20人以上が見学にくる野球部のグラウンドに集まったのは約10人。監督の田中亮(あきら)(36)は「今年は奨学生で入学したいと問い合わせがあっても、待ってくれ、としか言えなかった。来年、何人が入ってくれるか……」。

 3月、岩手の専大北上とともに、卒業生がプロ野球西武から裏金をもらっていたことがわかった。学校関係者の関与はなく重い処分は免れたが、ひと息ついたのもつかの間、特待生問題が飛び火してきた。

 校長の嶋田耕也(59)は4月16日に日本高校野球連盟へ報告に出向いた際、特待生制度について「野球部のための制度はない」と説明している。確かに、募集要項には「入学後の学業成績が期待できる」といった条件しか記されていない。

 ただし、学校全体で60人いる奨学生のうち25人が野球部員だ。高野連の特待生調査が始まると、嶋田の自信も揺らいだ。「奨学生と、高野連の言う特待生の違いがわかりにくい」。判断を仰いだところ、「内部規定に明記された条件の中に、『特別活動』が含まれている」と指摘された。

 同校は一転して違反376校に名を連ね、春季県大会への出場を辞退した。嶋田は「全国の私学の反発は大きく、高野連を一斉に離れて東京ドームで新しい大会を開く、という動きもあった」。

 他の違反校も、少なからず痛手を受けた。甲子園で春夏5度の優勝を誇る横浜もその一つだ。ベテラン監督の渡辺元智(63)は自分が辞めることも考えたという。「経済的に苦しい子を助けるための制度を、いつしか拡大解釈してしまっていた」。新しい形のチーム作りをいま、模索する。

 明桜の嶋田も新しい制度をあれこれ考え、夏前には野球部の奨学生を1学年5人程度に減らそうと決めた。約5カ月後の11月30日、日本高野連は野球特待生を条件付きで認め、1学年5人というガイドラインを設けた。「高野連と私学が互いに歩み寄った。ここから再び、甲子園を目指したい」と嶋田。

 日本高野連はさらに半年かけて新基準の運用方法などを話し合う。新たな制度づくりの先行事例としても、注目される。(敬称略)

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