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15歳の少年、生まれつきの難聴を乗り越えた左腕。家業の畳店で働きながらクラブチームで野球を続けてきた苦労人。17日にあったプロ野球新人選択(ドラフト)会議で、プロ野球への夢やあこがれを抱いてきた選手たちが、その一歩を踏み出した。
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「プロに声をかけてもらえるだけで光栄です」
17日夕、日本ハムに7巡目で指名された三菱製紙八戸クラブの中村渉投手(25)は、青森県八戸市の同社八戸工場で記者会見した。
江戸時代から続く老舗(しにせ)畳店の8代目の座におさまりかけていた。
八戸西高では肩を痛め、青森大でも公式戦出場の機会がなく、途中で野球部を辞めた。公務員試験にも落ちた。卒業後、同県五戸町に帰り、家業を一人で切り盛りしていた父勇さん(60)の下で修業を積んだ。「早く仕事を覚えれば、還暦の父に楽をさせられる」と思った。
それでも、野球からは離れられなかった。
仕事の合間に同クラブで野球を続けた。メンバーの多くが同工場の交代勤務で、人数がそろわない。用具も足りない。 その中で、社会人野球の全国大会を目指し、母校の後輩たちと練習した。
今夏、地区予選での好投が認められ、都市対抗野球出場チームの補強選手に選ばれた。「環境に恵まれたチームには、負けたくない」。反骨心で優勝候補を完封し、プロのスカウトを驚かせた。
「遠回りだけど、厳しい環境を経験できてよかった」。八戸西高野球部顧問の助川清隆さん(43)は「一度死んだ男が、よくはい上がった」と教え子をたたえた。
●国際派15歳、映画も出演 阪神指名・辻本賢人投手
丸刈りの野球少年が一躍、時の人になった。15歳で阪神の8巡目指名を受けた辻本賢人投手=米マタデーハイスクールを休学中=は、兵庫県芦屋市の実家であった記者会見で、「将来は監督になれるぐらいまで頑張りたい」と堂々と答えた。
自分の名前が読み上げられる瞬間、テレビの生中継を見て、両親とともに万歳をした。「びっくりした。うれしかった」。最年少での指名には「僕でいいのかという感じ」と恥ずかしがった。
異色の国際派だ。米国人にも多い「けんと=ケント」の名前は、父仁史さん(44)が「海外へいっても通用するように」という願いを込めた。
小学2年の時に滞在したハワイで野球を始め、ボーイズリーグ「兵庫尼崎」で全国大会3位。地元の野球関係者の間では、有望選手として知られていた。一方、モデル事務所に所属して00年に封切られた映画「岸和田少年野球団」に出演したことも。製作の現場責任者を務めた向井達矢さん(39)は「当時から『プロを目指している』と話していた。映画でも硬球を投げたがっていた」と思い出を語る。
アメリカで野球を目指したい、と12歳で渡米。休学中のハイスクールでは、3学年上のチームでプレーした。
●補聴器切り直球で勝負 中日指名・石井裕也投手
中日が6巡目で指名した三菱重工横浜クラブの石井裕也投手(23)は、難聴のため生まれつき耳がほとんど聞こえない。それでも左腕から繰り出す快速球で、横浜商工高(現横浜創学館高)時代から三振の山を築き、「サイレントK」と呼ばれた。17日、勤務先で指名の知らせを受け「夢がかなってうれしい。巨人の清原選手に直球で勝負したい」と笑顔で語った。
石井投手は父親がコーチ(後に監督)を務めていた横浜市内の少年野球チームで小学2年から野球を始めた。
感音性難聴のため左耳はほとんど聞こえない。右耳も補聴器をつけてやっと聞こえる程度だ。だが、「歓声を気にせず集中したい」と、補聴器を切ってマウンドに登る。
99年の高校野球県大会では横浜商工高のエースとして5試合に登板。大会最多の37奪三振で8強入りした。5年後の今年、最速146キロの直球とシンカーで社会人野球で活躍、夢を引き寄せた。
練習メニューは紙で示し、試合では捕手が大きなジェスチャーで指示を伝える。「自らも積極的にコミュニケーションを取ろうとするタイプなので、困ることはない」と同社の望山一生監督。
石井投手は「開幕1軍へ向け結果をアピールしていきたい」と言った。
(11/18 11:28)
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