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その日、川崎市麻生区の桐光学園高グラウンドに「神様」が舞い降りた。
神様に頼まれ、GKの徳永和也(3年)はゴールマウスに立った。神様の左足が鋭くふり抜かれる。ボールは大きな弧を描きながらゴールに吸い込まれていく。何度も、何度も。徳永は思った。「確かにすごいのは分かるけど、何で止められないんだ。悔しい…」
アジアカップを目前に控えた7月3日のことだ。中村俊輔(レッジーナ)が母校、桐光学園高を訪れた。
トレーニングルームで汗を流した中村が、土のグラウンドに降り立った。練習の終わった後輩部員たちは、その姿、その足技を食い入るように見ていた。彼らにとってはあこがれ、いや「神様」のような存在だ。
そして最後に、中村はGKを呼び寄せた。ゴールマウスに立たせ、FKの練習を始めたのだ。
角度を変えながら、ボールの感触を確かめるように、中村の左足は何度もふり抜かれた。徳永は「ボールの質が全然違う。あのボールを止められるようにならないといけないですね」と振り返った。
この練習がアジアカップでの活躍につながったかどうかは分からないが、「神様」は年に何回か、母校にフラッと降り立つ。佐熊裕和監督は「あのレベルになると、こちらから言うことは何もない。ケガは大丈夫か、と話すぐらい。ただ、部員にとっては励みになる。目標とする選手が一緒にボールをさわってくれる。それだけでも違いますからね」と歓迎する。
横浜ジュニアユースにいた中村は中学卒業後、横浜ユース入りを果たせず、桐光学園高に進学した。身長163センチのひ弱なテクニシャン。だが、このグラウンドでの3年間が中村を「神様」にしていった。3年生時には全国高校選手権準優勝。卒業後、横浜マリノス入りして活躍。そして、イタリアへと旅立つ。
同高サッカー部の加藤恒夫部長は「彼の道のりも決して平たんではなかった。ここでがんばってチャンスをつかんだ。そんな思いが彼をここに来させるのでしょう」と中村の気持ちを代弁する。
とにかく、中村の母校への愛情は深い。過去をたどれば02年全国高校総体の校内壮行式に始まり、昨年8月はレッジーナ―横浜のプレシーズンマッチに後輩部員30人以上を招待したほどだ。
中村の話をなぜ取り上げたかというと、最近、Jリーガーの社会貢献が注目されつつあるからだ。その様々な取り組みをまとめた一冊の本が、このほど刊行された。題名は「サッカーの贈り物〜素顔のJリーガー」(論創社、税抜き1000円)。
神戸の三浦知良は小学校を訪問し、子供と夢を語り合う、「夢で逢(あ)えたら」という出前授業を続ける。清水の森岡隆三は都内で洋服店を経営し、その収益金で購入した年間シートを障害を持つ人たちにプレゼントする。本では9人のJリーガーのボランティア活動が紹介されている。
Jリーガーがなぜ今、社会貢献に取り組むのか。この本の冒頭、Jリーグ選手協会会長の中山雅史(磐田)が「サッカーを愛するみなさんへ」と題してこう記している。「選手がプロとしてプレーし、Jリーグがあるのは、すべてサポーターやスポンサーをはじめとする、Jリーグを支援してくれる社会のおかげです。私たちは一時も忘れずに、試合や練習時間以外でも多くの人に感謝し、感動を与え、美しい涙を流してもらえるように常に肝に銘じています」
中山の言葉は胸に響く。ほんの一握りの才能たちが激しくぶつかり合うグラウンド。何万人ものファンが彼らを見つめ、一喜一憂する。果たしてその舞台に上がるまでに、どれほど多くの人が彼らにかかわってきただろうか。そんな気持ちを大切に抱き、社会に還元しようとする選手たちの心意気には、頭が下がる。
もう一度、中村の話に戻りたい。崇高な社会貢献じゃなくてもいい。中村のように、母校でボールとたわむれるだけで、母校を大切にするだけで、私は十分な社会貢献だと思う。むしろ私はそんな身近な活動こそ、Jリーガーにはもっとしてほしいと願っている。Jリーグが開幕して12年目。たくさんの「神様」が生まれたはずなのだから。
桐光学園高の徳永は、中村とパス練習をした時、こんな会話をしたという。
「コンフェデレーションズカップのフランス戦(03年6月)で、GKバルテズから決めたFKはすごかったですね」(徳永)、「あれは、たまたまGKが動いたのが見えたから蹴(け)ったんだ」(中村)。
何げない会話、何げないボールのやりとりが、サッカー少年たちを大きく成長させる。「神様」は自らをはぐくんだ「聖地」とも言えるグラウンドで、後輩たちに語り継ぐ。中村はこれからもきっと、かけがえのない「サッカーの贈り物」を届けてくれるだろう。(坂上 武司)
(09/30 19:25)
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