2008年3月11日
「落車で3回骨折してます。60〜70キロで走る車から飛び降りるようなものですから。擦過傷を軽くするため、オイルを塗ったりもしてますよ」=長沢幹城撮影
昨年の競輪賞金王はアテネ五輪の銀メダリスト。日本発祥のプライドをかけ、「ケイリン」で世界の強豪と戦います。
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――賞金王を決めた昨年のグランプリ大会は優勝すると1億円。何か胸がバクバクしそうです。
おかげさまで6年ぶりに勝てました。あっという間で、もう32歳になっちゃったなって感じです。
――でも、気持ちは20代の頃と変わらないんじゃないですか。
気持ちは20代前半のバリバリでいるんですけど、何せ疲れがとれない。30歳を超えてウエートトレーニングをやると、筋肉痛が2日後に来て「うわっ、これか」って年齢を感じます。そして筋肉痛がなかなか抜けない。怖いですよ。
●「一億円」の影響
――ところで競輪を始めようと思ったきっかけを教えて下さい。
やっぱり中野(浩一)さんの影響ですよね。日本初の1億円プレーヤーが中野さんで、あの頃はプロ野球よりも稼げていた。小さい頃にテレビで見て、大好きな自転車で稼げるのなら、こんな楽しいことはないと思ったんです。
――中学では陸上部ですよね。
そうです。でも、自転車をやるための基礎体力づくりとしてやってましたから。小学生のときの作文には「将来の夢は競輪選手」って書いてましたよ。
――五輪を意識し始めたのは?
96年のアトランタで十文字(貴信)君が銅メダル(1000メートルタイムトライアル)を取ってからですね。彼は競輪学校の同期なんですが、世界で活躍する姿を見て、自分も世界一を目指してみようと思ったんです。9人で走る競輪とは違うけど、自転車を速くこぐことにはプラスになるんじゃないかって。
――でも、00年のシドニーには代表に選ばれませんでしたよね。
自分で出場枠を取ったんですけど、国内の最終選考会で落ちたんです。競輪で実績のない人間より、実績のある人間を連れて行った方がいいという雰囲気でしたからね。1カ月ぐらいは落ち込んでいました。
●飲み明かした夜
――ご飯とか、ちゃんと食べられたんですか。
一応ね。でも、やめようかと思うぐらいショックでした。あの頃のことは思い出したくないんですけど、選考会で落ちた夜のことだけは鮮明に覚えているんです。一緒にいた仲間が朝までお酒を飲んでくれて、人生で一番飲んだっていうぐらい飲んだ夜でした。
――そういうことがあって、翌年の01年にグランプリ初優勝を果たして、賞金王ですものね。そして、04年アテネ五輪のチームスプリントで銀メダルを獲得。
だったら、強くなってやろうと奮起したわけです。1年であそこまで変わるとは思わなかったけど、本当に死にもの狂いで練習しましたよ。もしシドニーに出ていたら、たぶんアテネのメダルはなかったし、今の地位もないかもしれない。あの挫折があったから、今の自分があるといっても過言ではないです。
――北京五輪の出場枠を取るため、海外遠征が増えてます。競輪との両立は大変じゃないですか。
ハードですね。やれないことはないけど、片方はおろそかになっちゃうかな。自転車に乗ることは共通することだけど、どこに体調のピークを持っていけばいいのか難しいですからね。
――北京では「ケイリン」で出場を目指しているそうですけど、日本の「競輪」と違うんですか?
日本で考えている常識が一切通用しません。日本は1周400メートルのバンクが多いけど、海外は250メートルの小回りバンクで材質も違う。自転車にしても安全性を優先する競輪に対して、とにかく速く走るために作ってあるので形や素材も違っています。
――そんなに違うんですか。
レース形態も違いますよ。競輪では(同郷選手など)何人かで組んで走りますが、海外では個々の勝負。2、3人の仲間がいれば色んな戦法ができるんですけど、国際大会ではどこからでも仕掛けてくるので油断ができないんです。
――「ケイリン」って全く違うんですね。でも、北京五輪が開かれる8月まであっという間です。
悔いのないようにやっていきたいと思うんですけど、憂うつでもあります。アテネでは高地トレーニングなど苦しい練習が続いたので、あんな練習をこれからすると思うと……。あとは、どれだけ自分を追い込めるかでしょうね。
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ふしみ・としあき 福島県出身。白河実高から自転車を始め、95年にプロデビュー。01年に競輪グランプリなどを制し、年間獲得賞金2億円突破で賞金王に輝いた。昨年も同レースを制して2度目の賞金王に。通算957戦295勝で、獲得賞金は10億835万円。181センチ、86キロ。

〈有美のここだけの話〉
2月下旬、東西王座戦直前の別府競輪場へ行ってきました。初めての競輪場です。まずはバンクの迫力に興奮していると、ちょうど出場選手が開会式を終えて宿舎に戻るところに遭遇しました。
私たちの横を、100人近い競輪選手たちがゾロゾロと集団で歩いています。皆さんとても身体が大きくて、筋肉ムキムキの人たちばかり……。かなり迫力がありました。
バンクという迫るような異空間で、自転車と自分の身体ひとつで闘う選手たち。なんというか、力士の集団とも違う、サッカー選手や野球選手の集団とも違う、独特のすごみがあるのです。
そのなかで圧倒的な存在感を示し、国内では何度も頂点に立っている伏見選手。実際お会いしてみると、柔らかい雰囲気を持った、とても明るい方でした。勢いよく色んな話をしてくれたのですが、とても興味深い話ばかり。
なかでも、日本における「競輪」と世界における「ケイリン」がここまで違うとは、本当に驚きました。日本の競輪が駆け引き重視の“ライン”の勝負ならば、世界のケイリンは個人の能力重視の“点と点”の勝負。伏見選手は、国内のレースをかさねながらも、一方では世界を飛び回って戦い続けています。
ハードなスケジュールのなかでコンディションを整えるのだけでも過酷でしょうに、さらに「競輪」と「ケイリン」の狭間で自分のスタイルを表現したいと、必死にくらいついているのだなぁと感じました。
海外レースから帰国して、時差のせいで明け方に目を覚ましてしまったときなどには、近所の神社にそっとお参りに行ったりするそうです。一瞬の勝負に負けない瞬発力や、厳しい戦いのなかで相手を力とスピードでねじ伏せてしまうような力強さを感じる伏見選手ですが、ひっそりとお参りする姿を想像すると……とても微笑ましくなってしまいました。
実はその後、伏見選手は東西王座戦のレース中に落車してしまい、打撲と擦過傷を負ってしまいました。しかし、伏見選手は数々の経験を積んで鍛えられてきたつわものです。これまでを振り返ってみても、アクシデントや悔しい思いをした後には、伏見選手は必ずといっていいほど大きな花を咲かせています。
インタビューでは同級生でもある伏見選手のガッツを肌で感じられて、私も「よっしゃーがんばるぞー」という気持ちになりました。伏見選手の強い精神力と身体を信じて応援したいと思います。
元テレビ朝日アナウンサー。主にスポーツを担当し、01年世界水泳福岡大会や02年ソルトレーク冬季五輪などを取材。高校時代は陸上の走り幅跳び選手で、実際にシンクロやスケルトンにも挑戦する体当たりのリポートで人気を集めた。05年に退社。夫はタレントの内村光良さん。旧姓徳永。75年金沢市生まれ。