現在位置:asahi.com>スポーツ>コラム>Behind the Scene 西村欣也> 記事 ![]() 「カッコ悪さ」愛せた両雄 内藤精進、前王者は潔く2008年03月14日 引き分けというゲームの決着は、見る者に様々な思いを抱かせる。
例えば大リーグの試合では引き分けは存在しない。プロ野球巨人に在籍したウォーレン・クロマティからこんな言葉を聞いたことがある。「日本のプロ野球の引き分けのシステムは好きじゃないね。妹とキスしているみたいで、興奮しない」 しかし、心を揺さぶられるドローという結末も勝負の世界にはある。 8日、国技館で行われた世界ボクシング評議会(WBC)フライ級タイトルマッチ。内藤大助はスプリット・ドロー(三者三様の引き分け)でタイトルを防衛した。最終12ラウンドでポイントを取られていれば敗れていた、という際どい勝負だった。 内藤は正直に言った。「勝ちたかったけど、防衛できてよかった。ドローと負けるのはものすごい差がありますから。これだけのお客さんのおかげで守れました」 2月、彼は「いじめられっ子のチャンピオンベルト」(講談社)という自叙伝を出版した。中学時代のいじめ体験などがつづられている。その本の帯に「カッコ悪い自分を愛せる人は、カッコイイ」とある。彼の背骨を貫いている思いだろう。 ◇ 02年4月19日、内藤は初めて世界タイトルに挑戦した。場所はタイのコンケン。相手は今回引き分けたポンサクレックだった。1ラウンド34秒、KO負け。カウンターのストレートパンチだった。この瞬間を彼は覚えていないという。控室に戻って試合が終わったことを告げられた。「おれ、試合やったんですか。負けたんですか」。自分の状況を受け入れられなかった。フライ級の世界戦における最短KO記録だった。 インターネットの掲示板には「日本の恥 内藤大助」の書き込みがあったという。 この「カッコ悪い自分」を内藤は受け入れた。そこから地道に日本ランキングを上げ、04年6月6日、中野博を破って、日本チャンピオンの座を手に入れた。 05年10月10日、再びポンサクレックに挑戦する機会が巡ってきた。しかし、内藤はやはりカッコよくはなかった。バッティングにより、7ラウンドで試合は打ち切られた。それまでのポイントでジャッジは三者とも68対64でポンサクレック。完敗だった。 挫折が前へ前へと内藤を駆り立てていたようにもみえる。07年7月18日、3度目のポンサクレック戦が組まれた。ポンサクレックはもう17度の防衛を重ねていた。内藤は興行の資金のメドがつかず、記者会見でスポンサーを募集するという異例の状況だった。 ポンサクレックにわずかな油断があったのかもしれない。1回目の計量で体重オーバー。減量に苦しんだ。内藤は終盤も前に出て3対0の判定で勝利した。「いじめられっ子のチャンピオンベルト」がついに内藤の腰に巻かれたのだ。 ◇ ここから彼に吹く風が変わる。亀田大毅との防衛戦では判定で完勝。亀田の反則攻撃に世間は内藤にシンパシー(共感)に近いものを感じた。テレビ出演が増え、バラエティー番組にも顔をみせるようになった。 ファンは、しかしすぐ手のひらを返す。「内藤はテレビに出過ぎ」という声も聞かれるようになった。 だからこそ、今回のポンサクレック戦は真価を問われる戦いだった。 「何を言われても、おれは練習をやってきた。今日は勝ちではないけど、練習をやってきたから、最後まで動けたんです。33歳のくせによくやったと思う」。試合後、言った。 ファイトが終わった後のポンサクレックの態度も潔かった。「2、3ポイント自分が勝っていたと思うけど、判定にはもちろん従う」。医務室で内藤に声をかけた。「練習して、防衛を重ねてください。でも、あまりテレビに出ない方がいい。自分も経験があるからね」。17度の防衛という偉業を成し遂げているタイの英雄は引き分けを受け入れた。 彼もまた「カッコ悪い自分を愛せる人」だった。(編集委員) PR情報 |
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