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戦士のほっとタイム 内村有美

寺内健(飛び込み) 「DJケン」で度胸磨く

2008年04月30日

 大阪・ミナミの「DJケン」が4度目の五輪に挑みます。中国出身の崇英(すうえい)コーチとの二人三脚も17年目。北京で花を咲かせます。

写真「クラブのイメージは悪いんで、DJやってるって言いにくいんですよ。お酒も飲まず、まじめで音楽好きなやつが多いんですけどね」=山崎虎之助撮影

   ◇

 ――初めて飛び込みの練習を見させて頂きましたけど、すごい緊張感がありますね。

 気を抜いて失敗したら痛いのは自分なんで。コーチは笑っているだけですからね。マット上の練習だと首の骨が折れる危険があるので、怒られますけど。

●鬼コーチに緊張

 ――集中力を持続させるのは大変じゃないですか。

 (馬淵)崇英コーチは「鬼コーチ」って言われるほど昔は怖くて、飛ぶ緊張感よりコーチに怒られる方が緊張してました。それが今となって集中力を持続できるようになったんかなと。昔は失敗したときにプールから顔を出すのが怖くて、しばらく潜っていたほどです。

 ――元々は競泳だったとか。

 小5の途中まで続けたんですが、本当につらかった。タイムが出ないし、試合でもいい成績が出ない。そんなときに声をかけられて、競泳から逃げるつもりで飛び込みに移ったんです。

 ――すぐに崇英コーチと?

 初めは違うコーチで楽しかったんですけど、代わってからが地獄でしたね。「競泳がしんどくてやめたのに、何でこんなにしんどいんや」って思いましたよ。自分がコーチだったら出来ないってこともされましたし。

 ――例えば、どんなことを。

 その年(5年生)の暮れに「3カ月半ほど中国に行くぞ」と言われ、理由を聞かされなかったので「やけに長い旅行やな」と。飛行機で調子が悪くなりホテルの医務室に行ったら、いきなりお尻に注射を打たれ気絶したんですよ。初日から散々でしたけど、翌日から1日10時間の練習が待ってました。

 ――逃げたいというか、泣きそうにならなかったんですか。

 海外なので逃げられない状態でしたから。合宿終了まで残り1週間になって「あと1カ月残れ」と言われたときは、さすがに泣きそうになりましたよ。だけど、もう1人残れと言われた大学生の女の人が泣き出したんで冷静になりましたね。「この人もつらいんや」って。

 ――壮絶な4カ月半だったんですね……。ところで今まで3回味わった五輪を振り返ると、どんな大会でしたか。

 高1だったアトランタは世界と戦えるようにしたいと感じた大会で、シドニーはメダルを意識し始めた大会でした。

 ――その後の01年世界選手権で銅メダル。アテネではメダル確実と言われてましたよね。

 メダルを取るという結果だけを考えてしまったのが敗因でした。決勝前に選手紹介があって、控室から出たとたんに貧血みたいに倒れそうになったんですよ。会場がワーッと盛り上がって、頭の中が真っ白になって。目の前の演技に集中することが出来ませんでした。

●競技忘れられる

 ――試合に集中できるよう音楽を聴く選手が多いですけど。

 僕も試合前の練習までは常に聴いてます。ブラックミュージックやヒップホップ、R&Bとかですけど。

 ――慎重すぎる性格って言われてますけど、正反対の音楽ですよね。

 攻めの姿勢というか、積極性や自己主張ができない自分がいて、自分に足りない部分があったので好きになったんかなと。ヒップホップなんて自己主張の塊じゃないですか。今は忙しいけど、暇なときはクラブでDJをやることもありますよ。

 ――DJですか?

 10年前ぐらいからレコードは集めていて、始めたのはアテネが終わってから。唯一、競技のことを忘れられる瞬間です。初めてクラブでやったときには五輪に3回も出ていたのに、めっちゃ緊張して手が震えました。

 ――どんな曲をかけてくれるのかとか、どんな演技を見せてくれるのかっていう観客の期待は、両方とも同じかも。

 本当にそうですね。初めて飛び込みの試合をしたときもDJをしたときも、気持ちが同じなんです。やっているときはすごく嫌なんですけど、終わってみたらすごく気持ちいい。

 ――北京は4度目の五輪です。メダルに必要なものは?

 飛び板の先端から1センチ手前で踏めるかどうかですね。つま先が出てしまうと自分の演技ができないし、5センチぐらい余らせて踏むと板がしならず高く飛べません。演技は自信があるので、先端ギリギリで踏めれば絶対に大丈夫。僕の飛び込み人生は崇英コーチと始まったので、コーチの喜ぶ顔を見たいですね。

     *

 てらうち・けん 兵庫県出身。JSS宝塚所属。中学2年で日本選手権の高飛び込みを制し、今年4月の同選手権では板飛び込みで6年連続11度目の優勝を果たした。五輪では96年アトランタ高飛び込み10位で、00年シドニーは同種目5位入賞。04年アテネでは板飛び込みで8位だった。170センチ、68キロ。27歳。

写真

 〈有美のここだけの話〉

 初めての飛び込みの取材です。同じ水泳でも競泳の取材は何度も行きましたが、飛び込みは大会でしか見たことはありませんでした。

 寺内選手が赤ちゃんの頃から通っている兵庫・JSS宝塚スイミングスクール。そこには、飛び込みの選手のために、屋外にはトランポリンや、陸上での飛び込み練習用の板と大きなクッションが置かれていました。

 陸上練習は、実際に競技で使う飛び込み板が地上と同じ高さに設置してあり、板の先端(1番上下にしなる部分)の下には1m四方ほどの穴がコンクリートで造られていました。ですから、選手は助走して板の先端で何度か勢いをつけて(そのとき選手の身体はコンクリートの穴のなかに入るような形になります)空中動作をして、クッションに両足で着地します。

 板の先端で勢いをつけているときにはギシギシとものすごい音がするし、見ているこちらは、寺内選手がコンクリートに身体をぶつけないかハラハラするし、空中動作のあとの着地もへんな形になって身体を痛めないかドキドキするし……。とにかく、この練習は見ているこちらもずーっと緊張しっぱなしなのです。

 この練習にはかなり衝撃を受けました。少しの身体のブレや気持ちの緩みが大ケガにつながる状況なわけですから、きっと毎日毎日、この緊張感のなかで何本も続けることは、ものすごい集中力が求められ、鍛えられるのだろうと思いました。

 陸上練習のあとは実際にプールに移って飛び込みの練習です。高さ3mの飛び板から踏み切って7mを越える高さまで跳ね上がり、空中動作を経て、水に入っていきます。

 無駄のない鍛え抜かれた身体が、水の上の大きな空間をすべて自分のものにするかのように板をしならせ、宙を切り裂くように飛び、台風の目のようにそこにある空気を全部巻き込んで水へと向かう。そして、それまでの鋭い激しさとは対照的な様子で、水の表面を切るようにして静かに水に入っていく姿はとても美しく、何度みてもその様子には違った表情があり、飽きることはありませんでした。

 一本飛んでプールからあがり、3mの高さまで階段をあがり、また飛び込む。それが淡々と繰り返されていきます。多いときには、1日に300本以上飛ぶこともあるそうです。きっと、選手とコーチにしかわからない少しの違いを丁寧に直していき、少しずつの進歩を追求し続けて今日に至っているのでょう。

 今回の飛び込みは、今まで自分が目にしてきた様々なスポーツの練習のなかで1、2番を争う緊張感と集中力のなかで行われていました。練習風景や、動作の完成度や美しさも衝撃的であり、本当にワクワクドキドキしっぱなしの取材でした。

著者略歴

内村 有美(うちむら・ゆみ)
元テレビ朝日アナウンサー。主にスポーツを担当し、01年世界水泳福岡大会や02年ソルトレーク冬季五輪などを取材。高校時代は陸上の走り幅跳び選手で、実際にシンクロやスケルトンにも挑戦する体当たりのリポートで人気を集めた。05年に退社。夫はタレントの内村光良さん。旧姓徳永。75年金沢市生まれ。
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