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小菅寧子(ウインドサーフィン) 大学から始めて五輪

2008年6月3日

  • 筆者 内村有美

写真「葉山のよさはこの風景ですね。ヨットをしてきた父ですが、私の影響でウインドサーフィンを始めました」=齋藤孝則撮影

 葉山生まれの葉山育ち。こんがり日焼けした肌には潮風が似合うんです。競技に出会って16回目の夏に、大舞台が待っています。

   ◇

 ――五輪の代表選考は3度目の挑戦でした。北京にかける思いは今までと違いましたか。

 RSX級という新しい艇種に変わったので、今度こそという思いはありました。アテネ五輪までの(ボードが長くて幅が狭い)ミストラル級が自分にはあまり合っていなくて、もう一度挑戦するか決めていなかったんです。道具に対する経験値がみんな一緒になって、海外選手も模索している状態でしたから。

 ――海の近くに住んでいらっしゃるから、マリンスポーツは親しみやすいですよね。

 小さい頃から泳いだり磯遊びをしたり、父には2人用のヨットに乗せてもらってました。でも、ウインドサーフィンに出会ったのは大学生になってからなんです。大学から始めて五輪に行くのは、たぶん私が初めてだと思います。ジュニアからやっている方が多いですからね。

 ――それってすごいことですよね。でも、どうして大学から始めようと思ったんですか。

 入学後にキャンパスを歩いていたら、ウインドサーフィン部の先輩に「君、黒いね。何かやってるの」って勧誘されて。最初の一言が「黒いね」ですよ。

●高校までテニス

 ――ムッとしなかった?

 テニス焼けでもあり、地黒でもあり……。みんなからも「黒い、黒い」と言われていて、私も慣れっこでしたから。

 ――へぇ……。でも高校まではテニスをしていたんですね。

 中、高と硬式テニスです。見た目にも楽しそうだったので、格好から入った感じですかね。実際は体育会系なので、すごく厳しかったんですけど。関東大会はベスト16ぐらいで、団体ではベスト8に入ったかな。

 ――大学でもテニスを続けるつもりはなかったんですか。

 競技としてやるには上が見えていたというか……。同じ大会に杉山愛選手とかが出ていたんですけど、もう圧倒的に違うわけですよ。あそこを目指すにはレベルが高すぎるので、やるならサークルとか楽しい系でやろうという気持ちでいました。

 ――私も大学1年のときに誘われてウインドサーフィンをしたことがあるんですけど、初日で脱落したんです。セールを立てるのが、まず無理でした。

 最近は初心者向けの小さいセールもあるので、1日で乗れるようになる人が多いですよ。私たちが始めた頃は、あんまりありませんでしたから。

●暇さえあれば海

 ――それでも、1日目で乗れちゃったんですよね。

 乗れたんですよね。勧誘を受けた週末に行ったんですけど、先輩に教えてもらったらヒューッと。それからは授業以外、暇さえあれば海に来ていた感じです。毎日が本当に楽しかった。

 ――強い風を受けると速くなって、怖くないですか。

 あまり怖いって感じたことはないんですけど……。

 ――やっぱりそうなんだ。

 スピード感覚に慣れていないと最初は怖いですよ。私たちもスピードの限界を少しずつ超えていく感じですから。強風のときは(セールを)抑えるのが大変で、技術とパワーがないと吹き飛ばされることもあります。

 ――お父さんと乗っていたヨットとは感覚が似てました?

 ダイレクトに風と波のパワーを感じるので、全く違うものって感じでした。だけど、ヨットを経験していたことがよかったんだと思っています。風の向きや、(セールを使って)どう進むのか分かっていたので、すぐに乗れたんじゃないかなって。

 ――そうなんですよ。風上に進むなんて信じられません。

 普通は考えられないですよね。でも、そういった部分で速さも違ってくるので、他の艇より自分が有利になるような戦術や戦略を立てなければなりません。現地のコンディションに慣れることが大切なので、(五輪会場の)青島には6月下旬から何度か行く予定でいます。

 ――ずいぶん早いんですね。

 潮流だったり波の立ち方だったり、天候や地形で風の入り方も違ってきます。青島は風が弱いのに、潮の流れが速くて複雑なんです。そういう意味でも特殊な競技かもしれませんね。

 ――青島であった昨年のプレ五輪は8位でした。手応えは?

 もう少し潮に対する戦術がうまくいけば、もう少しよかったんじゃないかっていう手応えは持てました。現地に入って色々と調整して、可能性を高めていきたいと思ってます。

    *

 こすげ・やすこ 神奈川県出身、ジェイ・ウィル・パートナーズ所属。全日本学生選手権で2連覇し、関東学院大卒業後はコーチ不在のまま競技を継続。07年の全日本とアジア選手権で優勝すると、今年1月の世界選手権では日本勢最高の20位で五輪代表を手にした。161センチ、34歳。

写真

 〈有美のここだけの話〉

 インタビューの前日まで、5週間ものヨーロッパ遠征に行っていた小菅選手。さぞお疲れだったでしょうに……さわやかに来てくださいました。

 真っ黒に日焼けした姿。とても小柄だけど、毎日、海や波、風といった大自然を相手に生きている人たち特有のどっしり感がありました。

 年齢も私の一つ上の34歳ということもあって、地に足がついた言葉をたくさん聴くことができました。浮つくことのない、自分が大好きな道を、自分のペースで歩んでいる人の、シンプルな言葉。

 「もし、大学1年のときにウインドサーフィンに勧誘されていなかったらどんな人生だったでしょう……」という問いには「……考えられません……」と一言。

 テニスで陽に焼けて、真っ黒だった小菅さんを見て誘った先輩。何げない出会いが、その一言が、彼女の人生を変え、彼女の可能性につながっていったのです。

 今、ウインドサーフィンを楽しみ、次々と高いレベルに挑戦している姿を見ていると、葉山で生まれ育った小菅さんの存在自体が、太陽や海、潮風と一体となり、まるで運命のようにこの道を極めている人なのだと感じました。

プロフィール

内村 有美(うちむら・ゆみ)

元テレビ朝日アナウンサー。主にスポーツを担当し、01年世界水泳福岡大会や02年ソルトレーク冬季五輪などを取材。高校時代は陸上の走り幅跳び選手で、実際にシンクロやスケルトンにも挑戦する体当たりのリポートで人気を集めた。05年に退社。夫はタレントの内村光良さん。旧姓徳永。75年金沢市生まれ。

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