2008年12月24日
95年にNEC山形で監督のキャリアをスタートさせた石崎信弘監督
Jリーグの鬼武健二チェアマンから昇格承認の電話を受ける海保宣生理事長(左)と小林伸二監督
新聞記者という立場上、特定のチームに肩入れするのは、あまり良くはないのかもしれないが、来季からJ1に昇格する山形には、特別な思い入れがある。
15年前、僕が新聞記者になって、最初に配属されたのが山形だった。東京育ちだった僕は、この東北の地で、様々な出会いを経験したが、その忘れられない出会いの一つが、当時まだNEC山形という名前だったチームと、それを支える人々だった。
NEC山形の存在を知ったのは、94年1月、山形市の新年の風物詩である「初市」を取材した時のことだ。様々な出店に混じって、「山形にJリーグの試合を誘致しよう」という署名活動が行われていた。ちょうどJリーグが93年に開幕し、日本中が新たなプロスポーツの誕生に沸いていた。全国各地がブームに乗り遅れまいと、Jクラブの誘致に動き出す中、山形では試合を誘致しようというのだから、今思えばのんびりした話だ。しかし、それほどまでに当時、山形でのサッカーの基盤は貧弱で、頼りなかった。
だがその取材の中で、現在は山形県サッカー協会常務理事の桂木聖彦さんに、「NEC山形というチームがあって、もしかしたら、東北初のJFL昇格を決めるかもしれない」と教えられた。その後、チームは地域リーグ決勝大会を勝ち抜き、JFL入れ替え戦にも勝って、見事に念願を果たすことになる。その当時は、夢見ることすらできなかったJリーグへの道の始まりだった。
JFL昇格元年を13位で終えたNEC山形は、2年目のシーズンに、石崎信弘新監督を迎える。今季限りで柏を退任するが、今や日本人でも指折りの理論派である石崎監督は、山形でその監督のキャリアをスタートさせた。95年に僕は山形を離れたが、その後石崎監督とは、大分の監督時代に懇意にさせていただいた。さらに、その大分を石崎監督から引き継いだ小林伸二監督が、今季山形をJ1に導いたのだから、僕の取材での人脈と山形とは、本当に不思議なくらい切っても切れない縁がある。
かつて桂木さんとは、「たとえ1年でJ2に落ちたとしても、1度でもJ1に昇格することに意味がある」という話をしたことがある。山形のような小規模クラブにとって、J1にとどまり続けることは、なかなか難しい。しかし、昇格の夢だけでは、多くのサポーターをつなぎとめることも出来ない。たとえ1年でも2年でもJ1に在籍し、トップリーグにいることの喜びを体感することは、その後のクラブ運営に大きな影響を与えるに違いない。また、J1ならとスタジアムに足を運ぶ人も増えるだろう。とにかく多くの人に見てもらうこと。それもまた大切なことだ。
言い方は悪いが、山形の昇格は、「山形がJ1に行けるなら、うちだって」と、多くの地方クラブに希望を与えたはずだ。例えば、今季J2で昇格を争った鳥栖もしかり。そして、一足先にJ1を経験したが、今季は入れ替え戦で涙を飲んだ仙台などは、同じ東北勢として、来季はより一層、昇格へのモチベーションを高めてくるだろう。今季のナビスコ杯では、大分が初優勝し、リーグでも4位と躍進した。山形県も大分県も人口は約120万人で、目立った大企業もない。しかし、こうした地方クラブが創意工夫の中から結果を出すことが、恐らくJリーグが発足時から目指した理想だろうし、閉塞した今の日本の状況を、地方から打破していくきっかけになることを期待している。
昇格が決まり、久しぶりに桂木さんにメールを送った。「J1に昇格したけど、せいぜい年間予算10億円弱のチームが、J1に残留することは、昇格よりも奇跡に近い。個人的には、J1に残留するチーム作りではなく、常にJ1とJ2を行ったり、来たりするチームを作ることが、今の山形の現状には合っている」と、これまでの苦労を知る桂木さんは、あくまでも冷静に分析する。そうした地道なチーム作りの中で、次第にチーム力がついていけばいいという考えだ。
桂木さんが期待しているのは、トップリーグに所属するクラブがあるという誇りが、とかく引っ込み思案になりがちな山形県民の気質に変化を与えてくれればということだ。「急激な変化に拒否反応を示す県民性を、冒険心がない、保守的だと批判するのは簡単ですが、そういった堅実で粘り強い県民性をしっかりと活かしながら、まわりからのろまだと言われても、愚直に前に進み続けることが重要だと思っているところです」
「山形の挑戦が、こつこつと頑張っていれば、結果に結びつくという好例になってくれればいい」。その言葉が実感をともなって、胸に広がった。山形だけではない、日本中のすべてのクラブがJ1昇格、そして優勝を夢見たっていい。(藤田淳)