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ゴール奪う「創意工夫」、密な連係・個人練習が必須 

2008年12月26日

 ゴールを奪うには「創意工夫」が必要だという話を、このコラムで少し触れてきたが、今回はそれをきちんとお話ししたい。

 FWにとっての創意工夫には、大きな意味で2種類あると思う。一つは、仲間との連係をどう作るかだ。中田英寿の現役時代に言葉が流行った「キラーパス」も、FWがそれに追いつかなかったら、「キラー」にはならへん。周りがどういうボールを出してくれるか。自分はどういうボールをどういう形で受けたいのか。それをチームの中で作っていかなければいけない。「約束事」とも言われるけど、どんなチームにも普遍的なものではなく、そのチームにいるパスの出し手と受け手の特長をすりあわせ、ベストの形を探る作業だから、創意工夫にほかならない。

 例えば、僕が日本リーグのヤンマーディーゼルでやっていた時、日系人のMFネルソン吉村とはこんな連係をとっていた。吉村が右サイドから中にドリブルで切れ込む場面があったとすると、自分は相手DFの裏を狙わず、静かに後ろに下がった。なぜなら、吉村は右利きでそういう角度でドリブルしている時は、ボールをける体勢ではないからだ。そして、吉村が止まってボールを持ち直した瞬間、ギュッと裏に走り、「キラーパス」を受けた。吉村がドリブルしている間に自分が下がったのは、そうすれば相手DFが自分に付いて出てくるから、その裏でパスを受けるスペースができやすくなる布石を打っていたからだ。

 これは今の日本代表でいえば、MF中村俊輔(セルティック)がボールを持っている時と同じだ。左利きの中村は右サイドから中に入る時はいつでもボールをけれるが、左サイドから中に切れ込む時は、パスが出せない時がある。だから、FWは中村が左足でけれるチャンスの時に、ビュッとゴール前に入らなければいけない。自分の都合だけでパスを受けようとしても無理な話だ。一方で、「中村さんがこうした時は自分はここに動きますから出してください」と主張する必要がある。それがチームとしての創意工夫だよ。

 かつての日本代表でも、強烈な左足のキックが武器だった左ウイングの杉山隆一さんと僕の間には約束事があった。杉山さんがスピードでサイドを突破した時は、自分はニアサイドに詰めるようにしていた一方、杉山さんが突破できない時には、遠いサイドにクロスを入れてもらい、自分はヘディングを狙うようにしていた。

 もう一つの創意工夫は個人練習だ。グラウンドではシュート練習を繰り返すしかないけど、僕はグラウンド外でいろいろ試した。

 例えば、新宿の歌舞伎町で人波に逆行し、ぶつかる前に交わしながら歩いてみたことがある。ただ交わすのではないよ。向かってくる人にどこまで近づいたらいいのか、計算しながら歩いた。正対している相手DFをフェイントで外側に交わしてシュートを打とうとする時、日本人なら1.2メートル手前で交わせば良かったが、外国選手だと出てくる足の長さが違う。だから、ボールが引っ掛からないよう、1.5メートル手前でフェイントをかけなければいけない。しかし、その分、速く前に出ないと抜けないわけだ。それでグイッと前に出る推進力を鍛えるために、向かってくる人との間合いを計算しながら歌舞伎町を歩いた。

 また、左手で食事をした時期もあった。僕は右利きだから、左足で思い通りにシュートできるようになるために、左手が自由になればいいのではないかと考えた。それがどんな効果を及ぼしたかはわからないが、結果的には左足もうまくなった。何かの足しにはなったのかもしれない。

 僕らの時は筋トレの器具があったわけではない。砂を詰めたメディシンボールやダンベルが精一杯で、その環境の中でどうするかは自分たち次第だった。だから、人を担いで走ったり、どこからか棒をもらってきて、セメントを固めて20キロのバーベルを作ったりした。

 もちろん、今となっては、こうした例は時代遅れだろう。ただ、そういうことを企業人のアマチュア選手がやっていたんだ。今はプロ。創意工夫はやろうとすれば、いくらでもできる。

プロフィール

釜本 邦茂(かまもと・くにしげ)

1944年、京都市生まれ。山城高から早大を経て、1967年にヤンマーディーゼルへ。日本リーグで通算最多の202得点。得点王には7度輝いた。日本代表としては、国際Aマッチ日本最多の75得点。1968年のメキシコ五輪では7ゴールをあげ、銅メダル獲得の原動力となった。1984年に引退。Jリーグ・ガンバ大阪初代監督、参議院議員、日本サッカー協会副会長などを歴任。

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