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信じて走った 歴史を築いた 東京国際女子マラソンシンポジウム(1)

2008年11月12日17時43分

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写真意見を語り合うパネリストら

写真永田七恵さん ながた・ななえ 旧姓佐々木。日体大出。東京国際女子は第1回(79年)から5回連続出場。瀬古利彦らを育てた中村清氏(故人)率いるエスビー食品に82年入社。翌年の東京国際女子で勝ち、84年ロス五輪19位。85年名古屋国際女子を2時間33分57秒の自己最高で制し引退。エスビー食品陸上部顧問。岩手県出身。56年2月生まれ。

写真高橋尚子さん たかはし・なおこ 大阪学院大から実業団入りし、小出義雄氏の指導を受けて急成長した。00年シドニー五輪金メダル、翌年のベルリンで2時間19分46秒の当時世界記録を樹立。05年、小出氏から独立しチームQ結成。東京国際女子は3度出場し、第27回(05年)優勝。今年10月28日、引退を表明。岐阜県出身。72年5月生まれ。

 16日開催の東京国際女子マラソンが今年で30回を迎えることを記念したシンポジウム「女性ランナーたちの夢の軌跡」(主催・朝日新聞社、協力・テレビ朝日)が7日夜、東京・築地の浜離宮朝日ホールで行われた。スポーツジャーナリストの増田明美さんがコーディネーターを務め、永田(旧姓佐々木)七恵さん、谷川真理さん、浅利純子さんら歴代の優勝者と俳人の黛まどかさんに加え、引退を表明した高橋尚子さんも飛び入りで参加。冒頭には谷川さんが「市民ランナーからトップアスリートへ」と題して基調講演をした。世界初の女性だけのフルマラソンとして生まれ、歴史を刻んできた大会の思い出話を約320人の聴衆は熱心に聴き入っていた。

(シンポジウムその2はこちら)  (その3はこちら)

■皆さんが開拓し今の時代ある

 増田 早速ですが、黛さん。Qちゃん(高橋)が引退発表したときに(私に)電話をかけてきて「俳句の世界には引退はないけれど、スポーツは自分で見極めをつけなきゃいけないから大変よね」って言ってたんですよね。

  俳句の世界は通常、自分で幕を引くことはありません。人生の幕引きイコール俳句の幕引きなんです。でも、皆さんは自分でどこかで見定めて見切りをつけて、幕を引かなくてはいけない。Qちゃんも、いっぱい悩んだと思うんですが、見極めたところは何だったんですか。

 高橋 あきらめたという感じではないですね。3大会(東京国際、大阪国際、名古屋国際)を続けて走ることができなくて、それを楽しみにしていたファンの方に申し訳ない気持ちはあるけれど、自分の力で最大限に挑戦できた、やり終えたなという気持ちがあります。引退という意味では、そういう場を降りなければならないんですが、自分が走れる限り陸上を愛していこうと思っています。

  なるほど、緞帳(どんちょう)が下りたのではなくて、第1章の幕を引いたという感じですね。で、これからは第2章が始まるんですね。

 増田 (永田)七恵さん、いまのQちゃんの話を聞いてどうですか。

 永田 私たちは終わるときは美しく、みたいな。そういう意味では、実は私はちょっとかっこいい終わり方をしてるんです。85年の名古屋国際が最後だったんですが、婚約をしてたんです。よし、これで最後にするということで決めた大会が、3月3日のおひな様の日。優勝して、自己新記録。それが中村清監督の美学でした。

 増田 純子さんの引き際はいつだったんですか。

 浅利 引退は01年の1月です。00年のシドニー五輪に出て、と思ったんですけど、代表選考会の00年の大阪国際で途中棄権をして、やめようと思いました。

■初期のレース、本当にのどか

  東京国際の過去のレースをDVDで拝見しました。第1回は、今と全然違います。ゆっくり流れているんですよ、時間が。ドリンクもオレンジジュース、紅茶、水があるんですけど、選手が足を止めて何にしようかなって迷ったりしている。

 永田 本当にのどかな時代でした。「次は、よし、紅茶飲もう」とか「次はオレンジジュース」とか。

 谷川 スペシャルドリンクはなかったんですか。

 永田 ありました。コーヒーが好きだったので、コーヒーを用意しました。

 谷川 練習のときも、コーヒーを飲みながら走ったんですか。

 永田 ぶっつけ本番でした。「好きなものは絶対、体に合ってる」って。

 増田 Qちゃんは七恵さんが走ってるときを知ってる?

 高橋 お名前は知っていましたけれど、走ってる姿は知らないです。でも佐々木(永田)七恵さんをはじめ、皆さんが開拓して道をつくってくれたからこそ、今の時代があるんだとつくづく感じました。

 永田 私はロス五輪で19位なのに、(あとの時代の)みんなが頑張ってくれたおかげで先駆者みたいになった。

 増田 七恵さんは、東京を5回走った中で忘れられない思い出はありますか?

 永田 第1回は交通規制された東京を選手50人が走れるというのは、それだけですごいと思って。

 増田 浅利さんが優勝した95年は翌年のアトランタ五輪の選考レースでしたけれど、38キロぐらいで1回転んじゃったんですよ。よくあそこから盛り返した。あのガッツはどこから出たの?

 浅利 やっぱり五輪にどうしても出たいっていう気持ちがああいう走りにつながったと思う。あのときの傷は今も腕と足に残っています。

(シンポジウムその2へつづく)

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