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挑戦心に支えられた大会 東京国際女子マラソン

2008年11月15日13時34分

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 東京国際女子マラソンは、国際陸連が公認する世界初の女子マラソンとして79年に誕生したが、イバラの道を歩む時代もあった。

 女子マラソンは82年に大阪、さらに名古屋で大会が始まり、選手の争奪戦が繰り広げられた。中でも大阪は選手勧誘に総力を結集。東京は91年世界選手権を機にコースが変わり、35キロ過ぎからの上り坂は選手からも敬遠された。日本勢と海外勢に力の差があった頃でもあり、79年から94年まで日本選手の優勝は83年の佐々木七恵、91年の谷川真理だけだった。

 しかし95年から5年連続で日本選手が制した。その間、浅利純子が2度勝ち、99年には山口衛里が2時間22分12秒の当時大会新をマーク。2人はそれぞれ96年アトランタ、00年シドニー五輪代表の座を射止めた。浅利を指導していた鈴木従道氏が、コース下見の際に言った言葉が忘れられない。「この程度の坂を怖がっていては世界で勝てないよ」。そういう挑戦心に、東京は支えられた。

 07年、男女混合の大規模市民マラソンの東京マラソンが実現した。年に2度、首都で交通規制をすることは難しいという理由で、東京国際女子の撤退が決定。来年から横浜に舞台を移すことになった。

 東京マラソンの開催は画期的なことだ。一方で五輪、世界選手権は男女別に行われ、男女混合レースのように女性が男性をペースメーカーにすることは出来ない。世界大会でメダルを獲得してきた日本女子の強さは、レースの駆け引きなども試される女性単独レースによってつくり出された面もある。その先鞭(せんべん)をつけたのが東京国際女子だった。

 日本で生まれた女子マラソン。その文化、伝統は守っていかなければならない。(若林幹生)

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