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■宗教学者 島田裕巳(59)
【構成・中小路徹】日本は修行文化の国。師と弟子という絶対的な関係を作るうえで、暴力的なものは活用されてきた。スポーツでも、監督が上なのだということをはっきりさせるために暴力が使われてきた。
だから、体罰という言葉自体が、日本的なとらえ方だ。罪を犯しているがゆえに肉体的な罰を受けるというニュアンス。体罰があった時、受ける本人が「自分には罪がある」と思うようになっている。罪が思い当たらなくても、自分に罪があるのではないかと探し始める。過失のない人間はいないわけだから、試合の中でも練習の中でも、いくらでも思い当たる例はある。その時、教師に処罰を下せる権限があるかどうか、正しく処罰しているかどうかは問われない構造が出来上がっている。
自転車のメンテナンスや公道での走り方、ポジション、ペダリング、レースの技術、食事、休養、そして7週単位の練習システムと、誰でも応用できる具体的プログラムを詳述する。
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