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長い間、日本代表として活躍している川口能活選手=上田潤撮影 |
球を捕る時に必要なひじの柔らかさがあり、「うまくなりたい」という素直な気持ちが表情から伝わる。
静岡・東海大一中を率いていた桜井和好・元監督(55=現東海大翔洋高教諭)は、富士市内の小学生だったゴールキーパー(GK)川口能活(30=ジュビロ磐田)の印象を、こう記憶している。
「一流に育つ」という直感があった。88年4月、川口が入学した日から練習させた。
最後のとりででもあるGKは、孤独でつらい。練習ではぎりぎりのところまで追い込んだ。シュートはわざと顔を狙ってけった。
長崎遠征をした時だ。試合は無失点だったが、簡単なシュートを丁寧に手で捕らず、軽く足で止めたプレーが桜井元監督にはひっかかった。
「今から足で止めて、一流になれるのか?」。試合後、30分間の猛特訓を課し、「1人でグラウンド整備をしとけ」と立ち去った。振り返ると、チームメートのGKと相手チームの中学生が整備を手伝うそばで、川口は涙をあふれさせていた。
奇跡的な守りを連発して金星を挙げた96年アトランタ五輪のブラジル戦。昨年のアジアカップ(中国)準々決勝のヨルダンとのPK戦では、あと1本決められたら敗退という状況で、2度止めた。桜井元監督は「修羅場になればなるほど、強くなった」と話す。
92年には、フォワード(FW)高原直泰(26=ドイツ・ハンブルガーSV)が東海大一中に入ってきた。89年、91年と全国大会で優勝し、静岡県内から大きな目標を持つ選手が集まった。
高原は入学時にすでに身長171センチ。「技術は高くないが、点を取る意欲がある」と感じた桜井元監督は、「世界で通用する選手になれ」と口癖のように言った。
徹底的に技術を授けた。内、外、内、外と、球が足に吸い付くようになるまでジグザグのドリブル練習をさせた。スライディングタックルを仕掛ける相手をかわす、大きく速い動きを求めた。
シュートは、自然と体が動くよう反復練習に徹した。68年メキシコ五輪得点王の釜本邦茂・日本サッカー協会副会長が「右45度、左45度の位置ならゴールをみなくても決められる」と言っていたのを参考にした。
浮き球を足の外側でけり込む形。空中で後転しながらけるオーバーヘッドシュート。かつて、西ドイツ代表のルンメニゲが得意としていたもので、相手を背中でガードしながらシュートする場面まで想定した。高原の在学中、全国中学校大会で3連覇を遂げた。
サッカー王国静岡。堀田哲爾・元静岡県サッカー協会理事長が70年代に普及の礎を築き、日本を引っ張ってきた。
全国高校選手権で静岡勢は10度の優勝。日本代表にもFW三浦知良(38=横浜FC)、中山雅史(37=磐田)らを送り出し、現在も川口、高原のほか、ディフェンダー(DF)田中誠(30=磐田)、ミッドフィールダー(MF)小野伸二(25=オランダ・フェイエノールト)が輩出。今季のJ1では県出身は83人で、日本選手の約6分の1を占める。
だが、最近は色あせてきた。全国高校選手権では5年間、ベスト8にも入れない。18日から静岡で始まったSBS杯国際ユース大会の18歳以下日本代表にも、静岡勢は1人しかいない。
「サッカー王国は死語。全国で静岡代表が勝てず、日の丸をつける若手も少ない。危機感は強い」。高校世代の強化を担当する静岡県協会の松井方伸・二種委員長(48=清水西高監督)は指導者育成を課題に挙げる。
桜井元監督は「気候が温暖な静岡県人は苦しみに耐える気質に欠ける。だから、技術で相手の力をいなすサッカーが伝統になった。その静岡のセンスを他の地域が学んだ一方、静岡は何も学ばなかった」と話す。
未来の代表チームの飛躍へ、王国の復活が待ち望まれている。=おわり