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防衛と国際平和協力と 安保外交戦略、どう描くか日米安全保障条約を軸とした防衛と、国連を主体とする国際平和協力と――。二つの流れのなかで、日本の安保外交戦略をどう描くのか。戦争放棄と戦力不保持を掲げる憲法9条の下、自衛隊はどこまで海外活動に踏み込むのか。「集団的自衛権」と「集団安全保障」という二つの概念を図のように整理しながら、考えてみた。 ■冷戦後の国際協力――「国連重視」掲げつつ、対米支援の色彩なお濃く 日本は国連重視を掲げつつも、一貫して「日米安保条約に基づく防衛」を主軸にすえてきた。冷戦後、「国連中心の国際平和協力」に踏み出したものの、対米協調的な性格が強く、日米安保の比重が圧倒的に大きいのが現状だ。 「日米安保」と「国際平和協力」という二つの柱ができたのは、92年に国連平和維持活動(PKO)協力法が成立したのがきっかけだ。カンボジア復興で国際平和協力に乗り出した。 外務省で条約局長などを務めた竹内行夫・前事務次官は振り返る。「国会の民主的手続きを経て、新たな制度を作ったことが大きい。90年代以降、二つの柱を一種のドクトリンとして、羅針盤のように意識してきた」 PKOは、その後もモザンビーク、ゴラン高原、東ティモールなど途切れなく続くが、規模が小さい。文民の選挙監視や自衛隊の支援など、15年で19回派遣した要員は延べ約5710人(1月末現在)に過ぎない。 なぜ国際平和協力への取り組みが弱いのか。前防衛大学校長で平和・安全保障研究所理事長の西原正氏は「憲法9条があり、自衛隊を海外派遣すること自体がよくないという考え方が根強かった」と考える。国連は決定に時間がかかり、実効性に乏しいという弱点も抱える。 一方の日米安保関係はこの間、不断の見直しが続いた。 両政府は96年、冷戦後の安保協力を再定義するため安保共同宣言を発表。翌97年に新たな防衛協力のための指針(ガイドライン)を策定し冷戦型思考からの脱却を図る。協力は日本有事だけでなく周辺事態にも拡大し、朝鮮半島有事を念頭においた周辺事態法(99年)や船舶検査法(00年)が成立した。 新指針には「地球的規模での協力」が盛り込まれ、安保条約の枠を超えた協力への取り組みも始まった。ただ、その実情は「当時は専ら朝鮮半島危機にどう対応するかだった。グローバルな平和と安定に日本も役割をという意識はあったが、まだ抽象的だった」(秋山昌広・元防衛事務次官)。 日本の国際平和協力への取り組みは、01年に起きた米同時テロによって、新たな手法の開発を迫られる。 アフガニスタンを攻撃する米国に対し、北大西洋条約機構(NATO)は初の集団的自衛権を発動した。だが、日本は憲法上の制約から同調できない。そのため国連安保理決議を踏まえ、テロの防止・根絶のための国際社会への協力という国際協調の形態をとり、テロ対策特別措置法を打ち出した。 続くイラク戦争では戦闘終結後の03年、復興支援などを加盟各国に要請した国連決議を根拠に、イラク人道復興支援特別措置法を制定。人道復興支援と多国籍軍支援の2分野で、これまでに8000人近い陸上・航空両自衛隊員を現地に派遣してきた。 テロ、イラク両特措法は、いずれも国連決議を背景に、国連を中心とした国際平和協力という形をとるが、対米支援的な色彩も濃い。この点、竹内前次官は「世界の中の日米同盟のもと、米国と協調しつつ国連の枠組みで活動する路線が定着した」と評価する。 これに対し、豊下楢彦・関西学院大教授(国際政治論)は「イラク戦争開戦の正当性が崩れたことを考えると、イラク特措法は実質は日米安保の枠組みに近い」と考える。 その上で豊下教授は、対米支援的な性格ではない地域の安全保障枠組みの必要性を強調する。「欧州でも東南アジアでも各国は地域の枠組みを作っている。東アジアには、日米安保と国連の2本柱では解決できない問題が増えつつある」(編集委員・谷田邦一) ■「国権の発動」論争――国連軍へ参加可能か 憲法9条の下、割れる解釈 国連憲章は、武力行使の禁止を加盟国に義務づける。違反した国があれば、加盟国が国連軍を作り、武力行使を含む制裁を認める。「集団安全保障」である。憲法9条を持つ日本はどこまでかかわれるのか――。 この問題が正面から問われたのは湾岸危機のさなかだった。 90年10月19日、衆院予算委員会。谷川和穂議員が質問した。「将来、国連軍ができた場合は自衛隊は参加できるのか」 工藤敦夫内閣法制局長官は答えた。「任務が我が国を防衛するものとは言えない国連軍に自衛隊を参加させることは憲法上問題が残る。一方、国連憲章7章に基づく国連軍が作られたことはない。将来、国連軍の編成が現実の問題になった時に、総合勘案し判断する」 国連軍は、安保理と加盟国との特別協定に基づき、安保理決議によって編成され、軍事参謀委員会の指揮下におかれる。しかし、この「純粋な」国連軍は過去に編成されたことはない。 予算委での論争の核心は、自衛隊が国連軍に参加して武力行使をした場合、憲法9条が禁じる「国権の発動」としての武力行使にあたるのか、にあった。 当時、内閣法制局で外交・安全保障問題を担当し、後に長官を務めた大森政輔氏は「工藤長官答弁には、国連軍への自衛隊参加は、憲法上は黒に近い灰色という意味を込めた」と話す。 「純粋」国連軍には別の議論もあった。内閣法制局の元幹部が明かす。「国連軍ができ、自衛隊員が完全に国連の指揮下に置かれる場合、武力行使をしても国権の発動としての武力行使にはあたらないという理論的な議論は法制局内部にもあった」 国連を主体とした平和協力活動が広がりをみせる中で、この原理的な問いかけは今も続く。 その代表的な論者の一人は小沢一郎・民主党代表だ。 湾岸危機の当時、小沢氏は自民党幹事長。自ら会長を務める「国際社会における日本の役割に関する特別調査会」が93年2月、最終答申を出した。 「国連の実力行使に日本が参加したとしても、それは国連の行動の一環であり、日本国の主権発動の性格を有しない」 自衛隊の国連軍参加は可能、とする解釈だった。一方、「湾岸戦争型」の多国籍軍などへの直接の参加はできないとした。 当時の小沢氏の考えは、昨年12月に民主党が公表した「政権政策の基本方針」にも引き継がれる。「国連の平和活動は、主権国家の自衛権行使とは性格を異にしている」とし、「積極参加」を唱えている。 国際法学者の大沼保昭・東大教授が93年6月に発表した論文は、こうした考えを理論的に掘り下げている。大沼氏は、武力行使を(1)国連による制裁活動として国際公共的意味をもつ武力行使(2)日本という個別国家の行為である自衛権の発動としての武力行使――の二つに分けた。 そのうえで、「憲法が禁じているのは『国権の発動』としての武力行使であり、国連の制裁措置への参加は憲法の理念にかないこそすれ、反するものではない」と述べた。 大沼氏は語る。「基本的考えはいまも変わらない。法的、倫理的、道義的に明らかに異なる性格を持つ武力行使の区別ができなかったところに、従来の議論の混乱の原因があった。侵略や、人道法の大規模な侵害を阻止・鎮圧する国連の軍事行動には、武力行使を伴うものでも自衛隊は参加できる」 大森氏は懐疑的だ。「今後も純粋な国連軍ができる見通しはない。安保理決議があっても、多国籍軍なりに自衛隊を参加させたり撤退させたりすることは日本の国家意思に基づく主権の作用。武力行使が行われれば国権の発動と考えざるを得ない」(豊秀一) <集団的自衛権に関する政府解釈>
・「憲法9条の下で許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものだと解しており、集団的自衛権を行使することはその範囲を超えるもので憲法上許されない」(1981年5月、稲葉誠一衆院議員の質問主意書に対する答弁書)
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