|
転機のODA 途上国の自立につながるか政府の途上国援助(ODA)は昨年、転機を迎えた。援助の戦略を練る海外経済協力会議(首相と4閣僚)が新設され、実施機関は円借款を含めて国際協力機構(JICA)に一本化されることになった。外務省はその間に立って、援助の企画と立案にあたる。援助の態勢は整ったが、その理念と戦略はどうか。アフリカのウガンダとインドの例を足掛かりに、ODAのあるべき姿を探る。(論説委員・長岡昇)
■ウガンダとインド──コメ作りで生活向上、鉄道建設で物流改革 アフリカの真珠――かつてウガンダを支配した英国はこの地をそう呼んだ。 赤道直下にあるのに、標高が1000メートルを超えるため涼しい。琵琶湖の100倍の広さのビクトリア湖が満々と水をたたえる。緑したたる国である。 それが独立後に混乱の巷(ちまた)と化した。70年代、アミン政権下で30万人が虐殺され、インフラもボロボロになった。政情が落ち着いたのは80年代半ばにムセベニ政権が誕生してからだ。 蒸したバナナやキャッサバ、トウモロコシ、それに雑穀。人々は雨が少なくても育つ作物を食べてきたが、昔から人気があるのはコメだ。生活が上向くにつれて都市部で消費が伸び、作付面積も広がった。 3年前、そのウガンダに国際協力機構(JICA)の農業専門家、坪井達史(たつし)さん(57)がコメ作りを手助けするために赴いた。力を注いでいるのは「ネリカ米」の普及である。 「New Rice for Africa(アフリカのための新しいコメ)」を略して名付けられたこの陸稲品種は、90年代に開発された。アジアとアフリカの稲の交配種で、干ばつに強く、収量も多い。 途上国で稲作支援をして30年になる坪井さんは「アフリカの農村を変える可能性を秘めたコメ」と語る。コメは市場で高く売れる。農民に貴重な現金収入をもたらし、生活の底上げにつながるからだ。脱穀と精米技術の普及にも力を入れ、農民たちに「付加価値を増やす努力が大切」と説く。 首都カンパラの北にあるキココ村のアブ・ワノンダさん(54)は、坪井さんが勤める農業試験場から種もみを分けてもらって、栽培を始めた。年収は300万シリング(約21万円)と3倍になり、家族も時々、コメを食べられるようになった。 日本によるネリカ米の普及支援は、アフリカの18カ国で繰り広げられている。 ◇IT(情報技術)を牽引(けんいん)役に高成長を続けるインドの悩みは、製造業や農業の立ち遅れが目立ってきたことだ。成長のひずみを解消するため、インフラ整備に力を入れ始めた。 その典型が主要4都市を結ぶ「貨物新線計画」である。総延長5800キロ。動き出せば、計画の半分だけで7000億円という巨大プロジェクトだ。 鉄道省のプラカシュ顧問は「物流の大動脈として5、6年で完成させたい」と語る。開発調査を進めるJICAは「鉄道だけではなく、港や配送システムも視野に入れて物流改革を実現したい」と意気込む。 鉄路の建設は車への依存を軽減し、環境汚染を防ぐ効果もある。点と線の援助から環境にも目配りする立体的な援助へ。円借款を活用して新たな試みが始まろうとしている。 ■アジア偏重脱却──アフリカにも目を向け、能力引き出そう 日本のODAは、アジア向けに戦後賠償の一環として始まった。経済復興と輸出市場の確保という目的に沿って実行されたこともあって、アジア重視と円借款によるインフラ整備中心という特徴を持つ。 1970年には、二国間援助のうちアジア向けが98%を占めた。東南アジアや中国が経済成長を遂げるにつれてその比率は徐々に下がり、最近では3分の1程度になった。 ところが、減った分は中東や中南米に振り向けられ、アフリカに向かわなかった。アフリカの比率は過去20年以上、11%前後のままだ。 21世紀になっても多くの国が自立できずにもがく中で、日本に「アフリカ支援の拡大」を求める声が強まっている。 05年のアジア・アフリカ会議で、小泉首相(当時)はアフリカ向けの援助を3年間で倍増すると約束した。国際的な公約であり、財政難を理由にホゴにするわけにはいかない。 日本は「人間の安全保障」の強化を外交の柱として掲げている。「一人ひとりの能力を引き出すことで社会の発展と安定を図る」という考え方だ。 その観点からも、アフリカへの援助を思い切って拡充する必要がある。アフリカの人口の7割が農村で暮らしていることを考えれば、ネリカ米の普及は「人間の安全保障」に直結する援助と言っていい。日本の得意技を生かしたこうしたプロジェクトをさらに増やしたい。 もう一つの特徴である「円借款中心のODA」は、欧米諸国から「自国の産業振興を図るための利己的な援助」との批判を浴びてきた。実際、日本の無償援助の比率は主要援助国の中でもっとも低い。 だが、アジアの成長とアフリカの停滞という現実を前に、円借款を再評価する動きも出てきた。「ただの援助より、返済しなければならないという緊張感のある援助の方が効果的なこともある」という考え方である。 要は、無償と有償のどちらの援助が優れているかということではなく、どういう支援が相手国の自立につながるのかという視点を大切にすることだろう。 1991年から10年間、世界一の規模だった日本の援助は政府の財政難に伴って減り始め、2001年に米国に抜かれた。英国やドイツは増やしており、数年以内にさらに順位が下がる可能性がある。 国際社会で「名誉ある地位を占めたい」と願う国として、これでいいのか。力強く、手を差し伸べる国でありたい。
|
|