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朝日新聞シンポジウム「がんに負けない、あきらめないコツ」
鎌田氏、樹木氏の対談(1)

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会場風景

 鎌田 先ほどの講演で僕は笑いが大切だと言いながら、話したいことがいっぱいあったため、すごい駆け足で機関銃のようにおしゃべりをしてしまいました。力が及ばず、皆さんにフワッとしたいい感じで笑っていただいたりすることができませんでした。

 今度は、樹木希林さんの力をかりながら、皆さんの免疫力が高まって帰っていただけるようにできればと思っています。それでは、樹木希林さんをお呼びしたいと思います。樹木さん、よろしくお願いします。(拍手)

●至れり尽くせりの治療も考えもの

 樹木 こんにちは。免疫力なんか絶対に高めませんよ。(笑) 樹木希林でございます。私は一昨年の夏に乳がんだろうなあと自分で感じました。それでも、すぐに医者行きませんで、「ああ、これは乳腺炎からなったな」と思いました。で、もうこれは確実だなと思ってから行ったという、大変できの悪い患者でございます。

 そして、9月頃に病院に行ってわかったんですが、実際に手術に臨んだのは、年が明けた1月でした。医者が呆れていたんですけれども、これには私なりの事情がありまして、今日はそんな話をさせていただきたいと思います。

 今日は、席も全然空いていなさそうですね。すごい応募数だったそうで、今日来られたということは非常にラッキーだなと思います。そして、出版されたこの本『がんに負けない、あきらめないコツ』はいい本ですね。患者さんにとって温かい。でも、いい本だっていったって全員が読むわけじゃない。また、読んだからといって、その中で、自分にピタッとくるものをくみ取れるかどうかというのは、これもまた才能の問題だと思うんですね。本当にそうなんです。出会いなんですね。

 私は芸能人なんですけれども、がんになったりすると「あの人、芸能人だから、いろんな立派な先生を知っていて、きっと助かるのよ」と思われるかもしれませんが、そういうね、偏見はやめていただきたい。

 私は、病院は内容で選ばないんです。建物で選ぶんですね、居心地で。(笑)それで、マンションや物件を選ぶみたいな感覚で病院を選んで入ったわけですよ。ですから芸能人だからって、そんな優遇なんか全然されてないんですね。私が行ったところの病院の医者は「あ、がんですよ」と。(笑)

 がんというのはドラマや何かで告知する時は、もっとすごく劇的なのに、この人は簡単に「はい、がんですよ」。「ああ、そうだと思いました」と私。「で、いつ手術するんですか」って向こうが言うから、「いや、ちょっと待ってくださいよ」と言った。

 結果的に4カ月ぐらいほっぽっといたんですかね。それから手術をしましたけれども。先生から「乳は残しますか」と言われたので、「どっちがやりいいですか」と聞くと、「そりゃ全摘出の方が簡単です」と言われたので「じゃ、それで」。(笑)

 まあ、日本の大学病院はそれなりに技術のある人しか手術しないんだろうと思いますけれども、手術をし終わって何日かたって先生が「いやあ、よく縫えている」って言うんですよ。「縫えているって、先生、ボコボコじゃないですか」。こう思いましたよ。私なんかざっくり切っていますからね。ボコボコだと思ったけれど、「まあ、先生がうまく縫えているって言うんだから、このぐらいのもんなのかな。だけど、もう少し普通はきれいなんじゃないのかな」と思いましたけど、他の人と比較するっていうことがあんまりないので、結局そのまんまできました。

 でも、私は、これだけは申し上げたい。私の後輩で35歳になる女の人が去年結婚したんですけど、結婚してすぐに乳がんが見つかりました。それも5ミリとか3ミリとかっていうがん。私なんか2センチ、3センチの乳がんになっていて最終的に手術したんですけど。

 そうしましたらば、そこは医者の家系なんですよね、周りが全部、医者。それで大変だって、あの医者、この医者、全部がっちりガードして、温存手術で切ったんですけれども、こういうふうにリンパのこっちのほうまでとったらしくって、形はあるんですけれども、その後に抗がん剤、放射線、いろんなことをして、今や片手が上がらなくなっているわけです。

 周りにあんまりいい医者がずらっと並んでいるっていうのもね、考えもんだなと思いましたね。(笑)要するに、すごくやってくれちゃうわけですよ。私みたいにあんまりほっぽりっ放しも例がないんですけれども、その後輩みたいに、至れり尽くせりで、その結果、今立っていることも座っていることもできない、苦しいっていうような、こういうがんの術後っていうのもあるんだなって考えますと……。先生はいい医者ですよ。

 鎌田 無理しているんじゃないですか。(笑)

 樹木 でも、いい医者にめぐり会えなかったとか、いい病院に会えなかったとか、つらい思いをさせられたという人がいますが、これも私の場合はそれも自分のご縁だなというふうに思うようにしています。今日はそんな気持ちで私は来ました。一気にしゃべりましてすみません。

 鎌田 もう何かいつ終わってもいいぐらいな感じですね。(笑)

 樹木 いやいや。

 鎌田 あれ、初めの時、自分でわかりました?

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樹木希林氏

●がんになって九死に一生を得る

 樹木 わかりましたね。乳腺炎だと思った。18年ぐらい前から乳腺炎が出ているんですね。それは何かモワッとしたゴリッとした感じで、カチッとしたものじゃなかったから、いろいろ耳でちらっちらっと聞いた乳がんというものの感じからすると、これは違うなと思って。でも、医者に行きますね。「あ、これは違います」と言われるとありがたかったんですけど、1年半前の今回は、そこから一挙にがんになりました。カチッとなりました。

 それは多分、私自身が他の病気を持っていたからでしょう。呼吸器系が弱くて、ぜんそくとかを持っていて、体力がドッと落ちている時だったので、何か素人療法ですけど、今回はがんになるなって思ったんですね。

 これは60過ぎてです。40代だったらば、うわーっと思ったと思います。今、40代でなっている方もおられますけども。だから、私の場合は、まだ考える余裕がある。もう全部手が離れちゃって、私1人いなくなっても大丈夫そう。そういう時のがんだったので、すぐに病院に行かなかったんですね。要するに、手術しに行かなかったんです。

 それと、もう1つ。ちょうどその頃、9月頃に映画の出演依頼がありました。日本人の男の子(柳楽優弥さん)がカンヌ国際映画祭で主演男優賞をとった映画(「星になった少年」)なんですが、それがちょうど暮れからタイで撮影に入るということで、出演依頼があったんですね。私、こんなに簡単にがんが手術で治るとは思っていませんで、ずっと引きずるんだろうなと思っていましたから、がんだとわかって結局、その映画を断ったんですね。

 でも、当初は――私は仕事をとる場合も遊びが主で仕事をとるんですが――遊びのスケジュールをまず考えて、その間に仕事をぎゅっと入れるっていう感覚ですから、タイのチェンマイで12月24日に映画の撮影が終われば、25、26、27、28日とクリスマスと暮れを、孫を呼んでプーケットのアマンプリ(リゾートホテル)に部屋をとって、これで今年は終われるなと思っていたんです。そこに、このがんというのが出てきたので、やっぱり遊びは遊びで行くべきで、遊びにくっつけた仕事は、やっぱり断るべきだと思って断りました。

 それで、まあ、暮れも終わって1月に出術したんですね。これは私事ですけれども、暮れからお正月にかけて(富士フイルムのCMで)「お正月を写そう」なんて、そんなのをやっていて責任がありましたので、じゃあ、年は越しちゃわないとまずいなと思って(笑)それで年を越してから手術をしたんですね。

 手術してから、ちょっと掃除をしていましたら、映画のスケジュール表が出てきたんです。そうしましたらば、タイのチェンマイからプーケットに12月25日に入り、アマンプリっていうリゾートホテル、まさしく津波(スマトラ沖大地震・インド洋津波)の被害にあった湾に建っているんですけど、そこに宿泊する予定でした。

 このホテルはちょっと高いところに建っていたので多少の被害で済んだそうです。しかし、私のことですから、元を取ろうと思って、孫連れて朝10時ぐらいから浜辺に出ていたはずです。(笑)もしそうなった時というよりも、行っていることは確実ですから、地獄を見て、自分も見て、子どもにも見せて、自宅にいる父親に顔を向けられないようなことになっていた可能性がすごく大きかったわけですよ。

 その時に「あ、人間ってこういうふうに病院でいろいろ手当てしてもらって、やっとこさ何とか生きていたら、パカッと首切られるみたいに死ぬっていうことも片方であったんだな」って思ったら、何のことはない、ものすごい覚悟が決まっちゃったんですね。ありがたかったですね。これがあったということは私にとって、非常に重大なことでした。そんなふうにして乗り越えました。

 余談ですけれども、私には30年以上別居している夫がいます。この夫が非常に暴れる夫なんですけれども、わりかし怖がりなんで、私が「乳がんだから」とそれだけは言っといたんですね。いつどうなるかわからないから。

 年に1度か2度ぐらいしか会わないんですね、そういう人なんですけれども、そうしたら、何と「えっ」って言ったきり絶句したんですね。そのことにびっくりしましたね。ああ、この人は、だれに対してもそういうふうにするのかなと。愛人ががんだからと言っても絶句するのかもしれませんけど、私が乳がんだからと言ったら絶句した時に、いい人だなあと思ったんです。(笑)

 ただ、手術に立ち会ってもらうと、すごく派手な人なんで、病院でバレたりすると嫌なので、黙って手術しちゃったんですね。そうしたら、それをどっかから聞きつけた記者たちから、夫はハワイに行っていたんですけれども、問い合わせが来ちゃった。ハワイのソニーのオープンなんかも楽しみに行くつもりだったのが、ホテルから一歩も出られなくなっちゃった。

 手術が終わってしばらくしても、ハワイの街を歩いていると、おばさんの団体から「嫌ねえ、まだこんなところにいるわ!あんた、奥さんが大変なのに、まだハワイにいるの」って言われて、「うるせえ、俺の勝手だろうと思った」ったそうです。(笑)そんなつらい思いも本人はしたなんて言っていましたけれども、なかなかいい体験でしたね、いろんな意味で。

 そして、夫が私に対して、「ああ」って言った時に、怖さがもう充満しているんですね。当事者の方がまだ楽なんです。そしてまた、私の娘婿(本木雅弘さん)が、私が手術した次の日に、オンエアで乳がんのドラマ(「87%―私の5年生存率−」)に出演していて、この符牒の合うったらない。これぐらい劇的だったんですけれども。(笑)

●医師の「治るかもしれない」にゾッとした

 その時に、私はどういうふうに変わっていったかといいますと、こういうふうに変わっていったんですね。がんっていうのは、最初は死ぬ病気なんだと思っていたんですね。ところが、だんだん、こういう先生方がいろんなことをおっしゃるから、ひょっとして死なないのかなというふうに思っていたんですけれども、ある日、別のお医者さんがセカンドオピニオンとかっていうのをやった方がいいって言うんで行ったら、その医者が何とこう言ったんですね、「ああ、これは治るかもしれないな」。(笑)

 鎌田 うん。

 樹木 「ええっ」て思いましたね。「治るんだ」と思っている人間に「治るかもしれないな」っていうことは、本当は治らないのかなって。これが1番ゾッとしましたね。

 余談ですけど、この間、和田アキ子さんに会いましたら、「いや、希林ちゃん、やせたな」って言うから、「だって、がんだもの」と言ったら、「何で?」って。「がんは、特に乳がんなんて、やせなきゃいけないんだよ。だから、私は10キロやせたんだよ。努力してやせたんだよ」って言ったら、「何でですか。切ったんでしょう?」って。「切りましたよ」。「ほな、治ったんじゃないんですか」って。アッコさんもがんでどっか切っているんですよね。ああ、こういう大ざっぱな人は生きられるんだなと思いました。(笑)

 切りゃ治るんだと思っている人はいいんだけど、なまじ私なんかは、こういう先生と直接会えないから、安保徹先生の本だとか読みますね。そうすると、いろんなことが書かれていると、だんだん「いや、これはえらい病気になったな」というのを実感しながら現在に至っています。

 そして、がんを体験された皆さんと同じなんですが、再発ということに非常に気になっている状況で今日参りました。だから、ちょっとこの辺がグズグズグズッとしたりすると、「ああ、再発だなって」いうような、(笑)なかなか劇的な毎日を送っているわけです。

 そういう同じものを抱えた患者の1人として、今日は参加させていただきました。長々と、こんなにしゃべっちゃった。はい。


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