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司馬遼太郎没後10年シンポジウム 「街道をゆく」の世界
【パネルディスカッション】(1)

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加藤千洋・朝日新聞編集委員

 加藤 皆さん。こんばんは。

 これから、こちらにおそろいの素晴らしいパネリストの皆さんに、大変興味深い講演をしていただいた山折(哲雄)先生のお話も下敷きにしていただきながら、自由自在に、司馬さんが我々に残してくれた「街道をゆく」の世界に分け入っていただきたいと思います。

 春の宵、まさに春宵一刻直千金であります。限られた時間ですので、早速、冒頭発言からお願いしたいと思います。最初は手短に、なぜ今晩、自分がこの場にいるのかと。司馬さんとのかかわりも含めまして、真野さんからよろしくお願いいたします。

 真野 こんばんは、真野響子です。どうも(拍手)。司馬さんとのかかわりは、全然ないんです(笑い)。今日まで、ただの隠れファンでした。これで大々的にファンだということがばれてしまったんですけれども(笑い)……。

 最初は小説から入りました。「竜馬がゆく」。武田鉄矢さんが竜馬に心酔しておりまして、番組を作るというので、うちの夫、夫というのは目玉の大きい柴俊夫というんですけれども、彼も参加して……。亡くなった河合(義隆)さんの演出で、大変有名なすてきな演出家だったのですけれども、1982年にフジテレビでドラマ化することになりました。

 私の役は某大女優さんがやるはずでした。彼女がなぜかドタキャンしたんです。それで私に「どうしてもやってくれ」と。その時は劇団民藝というところにおりまして、バリバリの新劇女優でありました。

 それは竜馬のお姉さんの「お栄さん」役なんですね。私はその前に、鉄矢さんとこの間亡くなった久世(光彦)さんと一緒にホームドラマをやっていたこともあります。それで「なぜよ。私は鉄ちゃんより年が下なのに、どうしてよ」と言っていました(笑い)。そのときに原作を「参考文献」として読ませていただきました。

 次に、これはもう90分お話ししても話し切れないのですが、だまされて俳句をやりました。「NHK俳壇」という雑誌で、1年間自分が俳句をつくることになったのです。ちょうどいいと思いまして。私は夏目漱石と同じ誕生日なので、ここで正岡子規を勉強しようと「坂の上の雲」を読ませていただきました。

 それと前後して、ハイビジョンカメラが世の中に出始めて、沖縄に行くことになったのです。沖縄のプロモーションビデオを作るというので「街道をゆく」の「沖縄・先島(さきしま)への道」を読みました。それから、旅する時は、ほとんど「街道をゆく」。司馬さんが「街道をゆく」でいらしていればですよ……。携えていくようになりました。そういういきさつでございます。よろしいでしょうか。

 加藤 旅のお供が「司馬さん」というのは大変ぜいたくですね。

 真野 はい。

 加藤 ちなみに、きょうのこの真野さんの衣装から、何か連想されますでしょうか。お分かりになった方も多いかと思うんですが。菜の花(拍手)。

 真野 そうなの。以前、正岡子規のシンポジウムに出た時は、ふだんは絶対着ないのに、赤い色のものを着ました。正岡子規は赤が好きだったからです。私たち女性は、男性よりもいろいろ色で遊べますので、今日は司馬さんを記念して菜の花のショールをつけさせていただきました(拍手)。

 加藤 では、鹿島さん、よろしくお願いいたします。

 鹿島 司馬さんとの直接的かかわりというと、ただ一つしかないんです。僕は91年に「絶景、パリ万国博覧会」というパリ万博の研究書を書いたのですが、その時に、司馬さんにファンの1人として献呈したら、励ましのお返事をいただきました。それは家宝の一つにとってあるんです。

 これは、今になって考えてみると大変なことなんです。というのは、司馬さんクラスの方でしたら、1日に最低10冊ぐらいの本は届きます。僕の所にも今、それぐらい届いていますから。そうなると、読む読まないにかかわらず、返事を自筆で書かれるということは、これは大変なことでね。ああ、司馬さんって本当に筆まめで誠実な方だったのだなと、今になって思います。

 僕が司馬遼太郎さんという作家を意識するようになったのは、一つの明白な理由があるんです。

 僕の専門はフランス文学で、かつてパリにいましてね。若いうちはフランス文学が好きだとか、単にそういう形でやっている。でも、パリの経験なども長くなると、日本人にとってのフランス文学、文化とは何だろうということを考えざるをえない。「日本人」という要素を入れて考えないとどうにも解決できなくなってしまうのです。

 僕みたいな、本来はフランスと関係ない人間が、なぜフランスに行って、フランス文学をやっているのか。それを考える場合、「日本人」という視点を入れてみなければいけない。すると、日本が西洋文化を受け入れたのは明治だということになって、明治物の文献や小説を読み始める。そこで司馬さんの歴史観というものに出会ったんです。

 その時に、「ああ、そういうものか」と思いました。「こういう風に考えると、日本と世界を結ぶ接点というものが現れてくるのか」と。フランスと自分、つまり日本人である自分というものを意識に入れてフランスを見れば、自分は必ずしも無駄なことをやってない、ということが納得できたんです。

 それまではフランス文学を専攻していても「何かむなしいことをやっているな」という感じがしていたんです。その意識がなかなか抜けなかった。だから、司馬遼太郎という作家を読んで、明治とか、そういう時代を対象に入れるようになって、それでようやくコトリと自分の胸の中へ落ちるものを感じた次第です。

 加藤 私は中国語、中国文学を勉強していたので、仏文というのは、格好いい、あこがれの的だと思っていましたけれども、むなしいんですか(笑い)。

 鹿島 むなしいんです(笑い)。

 加藤 では、最後になりましたが、リービさん、お願いいたします。

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リービ英雄氏

 リービ 今日は軽い話でいいのか文学論でいいのか迷っていたのですが、たぶん、どっちつかずの話になると思います。

 これは人生の一番幸いな一日となったんですが、僕は一度だけ、司馬さんと会ったことがあるのです。僕が日本語の作家としてデビューして何カ月かたったある日、「週刊朝日」から電話が来て「司馬遼太郎があなたと対談したがっている」と言うのでびっくりしました。歴史文学はあまり読んでいなかったのですが、司馬遼太郎という人は非常に意識していました。

 司馬さんからは「あなたはおれの本は読まなくていい」とか「対談は、あなたの話が中心になる」と言われたのですが、ひそかに「アメリカ素描」という本を読んで、新宿で対談しました。デビュー直後は、同時代の作家や批評家と多くの対談をしたのですが、一番大きな思い出になりましたね。司馬さんの話には、具体性、世界性があり、日本の歴史に根づいた観点でありながら、非常に狭いナショナリズムとは何のかかわりもない「広さ」みたいなものを感じました。その後、新宿でちょっと1杯、まあ、かなり飲んだのですが(笑い)。

 2、3週間たって「週刊朝日」にその対談が出たんです。僕は、人生の半分は高田馬場のちょっと汚い6畳の部屋に住んでいて、毎日、高田馬場駅に通って、駅のキヨスクで新聞を買っていました。

 高田馬場駅のキヨスクのおじさんから、ずっと不良外人みたいな目で見られていましたね(笑い)。「お前、日本語読めるのか?」という感じで新聞を渡されていました。ところがある日突然、「先生」という感じに変わった。

 1日で、不良外人が先生に変わったんです。僕の本など読んだことがなくても「あの人は司馬遼太郎と対談した人なんだ」ということで、コロッと変わりました。その時に「あ、国民的作家ってこういうことなんだ」という実感がわきました(笑い)。100万単位の読者を持つ人が、日本及び世界について発言をする、これはかなりの影響力です。大きな存在に僕は触れたのだ、ということを、そういう形で思い知らされました(拍手)。

 加藤 どうもありがとうございました。そう言えば、リービさんには「我的中国」という中国の、特に河南省を中心に街道を歩かれた素晴らしい紀行文があります。河南省も道端の石ころ一つ一つに歴史があるような、そういう所じゃありませんか。

 リービ そうなんですね。僕が今、よく行っているのは中国の田舎です。北京、上海のようなきらびやかな所ではないんです。歴史と田舎が一緒になっているような所です。僕は司馬さんからインスピレーションをもらい、今も「歩く」ということをやろうとしているんです。そして自分と歴史、あるいは自分と世界との関係を、何とか文学に持っていこうとしています。

 忘れるから先に結論を言った方がいいかもしれないのですが、僕にとって司馬遼太郎って、ものすごく大きいですね。日本の歴史小説というジャンルのチャンピオンであると同時に、特にこの「街道をゆく」シリーズは、歴史文学というものを踏まえた一つの紀行文学の形式をつくった。

 その可能性はもしかしたら、「奥の細道」の時代からずっと日本にあったと思うんですね。1人が歩くという視点によって文学が成り立つということです。これは21世紀の文学の一つの大きなジャンルになると思う。

 たとえば西洋では、紀行文学、トラベル・リテラチャーというものは非常に軽い。文学じゃない、観光記プラスちょっとした文化の薫りをつけたものと見られてきたんです。僕は日本文学の一つの可能性として、紀行文学が大きく出てくることがあると思う。もしかしたら、朝日新聞社がやったこの長いシリーズが、21世紀、その可能性となるかもしれない。僕も、僕なりに「ミニ司馬遼太郎」のように中国を歩いて、最近いろんな形で文章を書こうとしているところです。


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